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第6回

わたしが千なら、フェミニズムはハク。 長島有里枝

[ 更新 ] 2024.06.28
 しばらく、フェミニズムとの快適な距離感がわからなくなっていた。パッと言葉にできるほど簡単じゃないこの気持ちは、学校に行かなきゃと思うのに布団から出られない、もしくは遅刻しそうで焦っているのに戸締りや忘れものを確認しに家に戻ってしまう、あの感じに似ている。
 きっかけは幾つか思いつく。わたしを苛つかせ、戦慄させ、疑問でいっぱいにしたのは例えば、アートの企画で常に「フェミニズム担当」を担わされる違和感。あるいは、男ばかりの審査会や講評で、発言が「女性の」意見と受け取られること。期待に応えるつもりはないのに、「わたしがやらなきゃ」みたいな自負がどこからか現れ、結局は優等生っぽい(「女性ならでは」の)リアクションをしてる自分に呆れ、惨めな気持ちになる。フェミニストだからっていつも連帯できるわけじゃないけど、ネットで激しくやりあう人たちには心が折れる。いや、きっと議論や批判自体は大いに交わされるべきだ、でも、そんなふうじゃなくてもよくない? と思うことはある(オーディエンスがいるときは特に)。フェミニストの名言やフェミニズムそのものが、広告や人気集めやプロパガンダに使われている場面(しかも、解釈が間違っているか、正反対のことがほとんど)にぶち当たるたびうんざりし、どっぷり疲れる。
 個人的に、戦争や差別や不平等の解決策として最も有効なのはフェミニズムだと思ってきた——そんなに期待すんなよぉ、と別のわたしがTシャツの裾を引っぱりながら忠告してくるにも拘わらず。そう、いつだって失望するのは過度な期待のせい。それに、わたしを苛つかせるのはフェミニズムそのものじゃなく、フェミニズムを利用する人たちだ。フェミニズムの力は、もっと違うことに使われて欲しい。フェミニズム理論の幾つかは、崇拝しすぎないよう気をつけなくてはならないほど美しい。それらは積もりに積もったわたしの小さな問題——自分がバカなだけかもとはぐらかし、きっとわたしが悪いんだと諦め、飲み込んできた——を見事に言い当て、違和感がわたしの勘違いじゃないことを論理的に、スマートに、知的な言葉で説明してくれた。フェミニストの本に書いてある言葉は、自信がなく、落ち込みやすく、クヨクヨしがちなわたしに前を向く力をくれた。ときどき、こんな素敵な考え方があるのに、どうしてムカつく出来事はなくならないのか考える。きっと、わたしが死んだあとも何百年、何千年、人類が存在し続ける限り、クソな事態はなくならないんだ。そう思って絶望する日もある。自分の望む結果がすぐに出ないからといってやさぐれるのは、ぜんぜんフェミニズム的じゃない。でも「世界、気に食わねぇ!」と思うことはあっていいし、それはわたしの性格や育ちが悪いから(まぁ、それもある)じゃないよと励ましてくれるのもフェミニズムだ。
 上野千鶴子さんに、あなたは根っからのフェミニストね、という意味のことを対談で言われたことがある。褒めてもらったからじゃなく、こっそり自負していたことを言動から見てとってもらえたことが嬉しかった。それ以来、そもそも自分がフェミニストなのかどうか、そうだとしたらいつ、どのタイミングでフェミニストになったのかのような質問に答えづらいと感じるのは、自分がBORN TO BE A FEMINISTだからだと思うことにしている。保育園時代の記憶に遡ってさえ、わたしの考えかたはフェミニスト的だった。子どもに昼寝をさせるためには恫喝も厭わない担任の先生に対し、泣き止まないことで断固抗議した記憶(結局、体調を崩して保育園を辞め幼稚園に移った)、幼馴染みと同じように立っておしっこがしたくて練習した記憶。言うことを聞けとか、女の子だからとか、理由が納得できないことは簡単に受け入れたりしなかった。
 そのうえ、3月生まれでもある。学校は子どもを「学年」という枠で区切る。3月生まれにとって、同じクラスの4月生まれとの成長の差は大きい。クラスいちのベイビーだったわたしはいつも、どこでも誰よりも鈍臭かった。身支度から徒競走まで、身体的行為を伴うすべてのことが人よりできない。大きい女の子の意地悪に言い返せず、ピンクレディごっこではいつも付き人役だ。掃除の時間になってもヤドカリみたいに、身体と一体化した椅子と机を引きずりながら給食を食べる。でも、その経験は、なにかが苦手な人や遅い人、力が弱い人、動物、その他の存在に理解を示し、寄り添おうとする性質を育んだと思う。
 わたしは自分が「女」であることを、当時からよく理解していた。なぜなら、周りが逐一わたしをそう扱うのに気づいていたからだ。昼休みや放課後に男子と遊ぶと、自分だけ違うやり方で接されているのがわかる。彼らは優しいが、わたしを正式な仲間とは認めていない。それなら女子は仲間かというと違う。彼女たちは気まぐれにわたしをハブる、謎の存在なのだった。帰属できる集団がわからないまま、「女」になっていく自分に恐怖や気持ち悪さを覚えながら成長した。1980年代後半、わたしの生きていた小さな世界では、いまほど多様なジェンダー・アイデンティティは「存在しない」ことになっていたから、性自認が「女」じゃないなら「男」、だから性的対象は「女」というのが一般的な知識だった。男の子みたいな体つきでいたかったわたしはブラを拒んでダイエットをし、セックスは気持ち悪いと思いながら、子どもを2人産みたいと思っていた。18歳の終わりにはすっかり自分がわからなくなり、わたしにはなんの価値もないという考えから抜け出せなくなった。19歳でシモーヌ・ド・ボーヴォワールと臨床心理士に出会い、美術と向き合うことで絡まりまくった糸をちょっとずつ巻き取った。
 いまでは多くの人が、フェミニズムは女性だけのものじゃないし、女性の問題だけを扱っているわけでもないと主張している。ベル・フックスは、論文では扱いづらい「愛」の重要性を訴えているし、ジョアン・C・トロントは経済活動の代わりにケアを中心に据えた、新しい民主主義を提案する。社会に出た1990年代、わたしは「失われた10年」のXジェネレーションと呼ばれた。いま、あの頃よりさらに多くの人が、さらに少ないお金と時間をなんとかやりくりして暮らしているように見える。じっとしていても世界中から届く大量の情報が、わたしの心と身体をフリーズさせる。わたしたちは簡単に奪われるし、大切なものを間違った名前で呼んで、自ら捨ててしまいもする。つまり、わたしが千なら、フェミニズムはハクだ。
 自分を慈しみ、楽しみながら生きられる世界を目指して働こうと思えるのは、フェミニズムという学問や運動を発展させたフェミニストたちがいたからだ。人生を賭けて活動した彼女たちのおかげでいま、挫けそうになってもわたしは一人じゃない。


長島有里枝(ながしま・ゆりえ)
1973年東京都生まれ。1993年、現代美術の公募展での受賞を経てデビュー。2001年、写真集『PASTIME PARADISE』で第26回木村伊兵衛写真賞受賞。2010年、短編集『背中の記憶』で第23回三島由紀夫賞候補、第26回講談社エッセイ賞受賞。2020年、第36回写真の町東川賞国内作家賞受賞。2022年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』で日本写真協会賞学芸賞受賞。日常の違和感を手がかりに、他者や自分との関係性を掘り下げる作品を制作しつづけている。著書に『Self-Portraits』『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』『こんな大人になりました』『去年の今日』など。

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第0話

タカラヅカの“タ”

[ 更新 ] 2023.07.07
はじめに
みなさまごきげんよう、こう見えて元タカラジェンヌの天真みちるです。
……え、こう見えてもどう見えてもないんだが!……ですって?
というか、タカラジェンヌってなに?という方もいらっしゃいますよね。

タカラジェンヌは、宝塚歌劇団のステージに立つ団員たちのことです。
そして、宝塚歌劇団は、女性のみで構成された歌劇団です。
ステージ作品名ですと、『ベルサイユのばら』や『エリザベート』は、耳にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

女性が男役を演じる「男装の麗人」と、美しさと麗しさを極めた娘役が、煌びやかな衣装に身を包み、独特の格好良さで観客を魅了する……。
タカラヅカでしか得ることができないトキメキが溢れる、豪華絢爛なステージとなっております。

ここで、唐突な自分語りになりますが、わたくしは、幼いころ祖母に「アンタはタカラヅカに入りな」と言われ、おばあちゃんの許可さえあれば入れると勘違いしたまま受験し惨敗。2003年3月、14歳で味わったほろ苦い体験でした……。

そう、タカラヅカのステージに立つには、まず、宝塚音楽学校を受験する必要があるのです。
ここがまた、物凄く狭き門だったりするのですが……こちらについてはまたいつか詳しくご説明いたしますね。

直後1年間命を懸けてトレーニングし、翌2004年に宝塚音楽学校になんとか入学!
そして2006年、宝塚歌劇団に92期生として入団。宙(そら)組で初舞台を踏んだのち、花組に配属。
2018年10月にタカラヅカを卒業するまで、およそ13年間にわたり花組の男役としてタカラヅカのステージに立ち続けてきました。

現在は「株式会社たその会社」を設立し、脚本の執筆、劇団主宰、その他イベント出演など……「歌って踊れる社長」として活動しております。

とまあ、駆け足で己の約30年間の出来事を纏めてみましたが……
タカラヅカを卒業して早5年。
様々な案件、業務に携わる中で、「タカラヅカを好き」な方もいらっしゃれば「タカラヅカのタの字も知らない」という方もいらっしゃる……。
そのたびに「在団経験がある自分にしか伝えることのできないタカラヅカの魅力」は何だろう……と思索に耽る日々を過ごしてまいりました。

というわけで、この度、元タカラジェンヌであるわたくしが案内人となり、素晴らしきタカラヅカの世界をみなさまにご案内させて頂こうと思います。

最後までごゆっくりお楽しみください。

【その1:最初の一歩はどこから診断】
さて、まずはあまり深く考えず、下記の質問に〇か×で答えてみてください。

■演劇がスキ
■歌がスキ
■ダンスがスキ
■熱い友情を見るのがスキ
■燃え上がるような恋、愛の物語がスキ
■世界各国の民族衣装、歴史ある装束、ドレスを見るのがスキ
■駅や商業施設などで大階段を見ると胸が躍る
■日本の時代劇、和物を見るのがスキ
■エンターテインメントがスキ
■ロケットダンスがスキ
■小説・漫画・映画原作のステージ化に興味がある
■キラキラがスキ
■リボンやレースがスキ
■中性的な人に魅かれる
■少女漫画がスキ
■スポ根漫画がスキ
■K-POPがスキ
■胸キュンストーリーがスキ
■最高に明るいハッピーエンドがスキ
■人生の意味について考えてしまう悲劇がスキ
■革命と聞くとワクワクする
■人生で一度は誰かにウインクされてみたい
■人生で一度は舞踏会に出てみたい
■白馬の王子様を夢見たことがある
■お姫様になりたいと思ったことがある
■手拍子のリズム感には自信がある
■大人数のコーラスを聴くと感動する
■コスメの新作はチェックしている
■何か夢中になれることはないか探している
■社内の人事話がスキだ
■美しい人を見るとテンションが上がる
■銀橋(ぎんきょう)という響きがスキ

……さて、〇はいくつでしたか?
項目が多すぎて何個〇が付いたか覚えてないわ!……という方もご安心ください。
1つでも〇が付いたそこのアナタ。

おめでとうございます。タカラヅカをおススメします。

「え、でも私、タカラヅカのことなんて何も知らない……」
と思っていますね……?
大丈夫、何もコワくありません。ただ身を任せ、劇場へ足を運んでみてください。
そこには夢の世界がアナタを待っています。

タカラヅカには夢の世界への入り口が5つある
さて、夢の世界の存在を知ったアナタは、そこへ向かうための入り口を探すことになると思います。

夢の世界への入り口は、5つあります。
タカラヅカでは花・月・雪・星・宙……という、5組に分かれて興行を行っているのです。
各組に在籍する生徒は「組子(くみこ)」と呼ばれています。1組におよそ70名程在籍しています。
また、いずれの組にも属さず、作品ごとに特別出演という形でステージを彩る「専科」というプロフェッショナル集団も存在します。

さて、あなたはどの扉をノックしたらよいのか、迷われているかと思います。
大丈夫です。続いて、こちらの診断に進みましょう。

【その2:入り口はどこだ診断】
下記質問に〇か×でお答えください。

Aブロック
■光り輝くスター、絶対的エースがスキ
■ステージ上から見つめられ、バチバチに釣られたい
■とにかく華!華がある集団を見たい
■「優勝!」「○○しか勝たん!」が口癖だ
■ゴレンジャーなら赤
■まぶしい太陽がスキ
■お寿司は大トロ
■花はバラ
■スタイリッシュなダンスを見てみたい
■常に誇りを忘れずに生きていきたい
■寮といえばグリフィンドール

Bブロック
■深く心に突き刺さる演技がスキ
■ミステリアスな人物に惹かれてしまう
■ストーリーについて考察・談義するのがスキ
■職人肌の人に弱い
■ゴレンジャーならアオ
■秋冬がスキ
■お寿司はコハダ
■花は百合
■映画やドラマで、エキストラの人のお芝居もつい見てしまう
■みんなでワイワイより一人でじっくり楽しむ方がスキ
■アフロのカツラをかぶってみたい

Cブロック
■渋い演技がスキだ
■中毒性のある人物に惹かれてしまう
■日本の美・和を感じることがスキ
■ウェットな物語がスキ
■冬がスキ
■悲劇がスキ
■お寿司はえんがわ
■花は桜
■大河ドラマはかかさず見ている
■普段は物静かな人が弾けた時のギャップがスキ
■仕事ではスタンドプレーよりチームワークを重視する

Dブロック
■元気が欲しい事がよくある
■「キラキラ」より「ギラギラ」に惹かれる
■未だかつて見たことがない高いパフォーマンススキルを目の当たりにしたい
■松岡修造さんみたいな熱い人がスキ
■パーティー、フェスがスキ
■ノリのよい人に惹かれる
■夏が大スキ
■お寿司は炙りサーモン
■体育祭では必ず応援団に入っていた
■盛り上がれることはないかいつも探している
■何かを成し遂げるには攻めの姿勢も大切だと思う

Eブロック
■長身の人物がタイプ
■A・B・C・D全てのブロックの全てのカテゴリーに〇を付けた
■母性本能をくすぐるような人物にグッとくる
■スタイリッシュなイケメンがスキ
■未だかつて見たことがない新しいジャンルのイケメンを目の当たりにしたい
■迫力あるコーラスを聴きたい
■お寿司はカリフォルニアロール
■花はカラー
■クラシックよりも流行の曲をよく聴く
■スーツがスキ
■ロングコートが似合う人がスキ

さて、どのブロックに一番多く〇を付けましたか?

A→花組
B→月組
C→雪組
D→星組
E→宙組

〇の数が一番多いブロックが、アナタの入り口となります。
ぜひ、扉をノックしてみてください。

扉をノックする方法
さて、いよいよ夢の世界への扉をノックする方法です。
……実はここが一番難しいポイントだと思います。

宝塚歌劇では、拠点である「宝塚大劇場」と「東京宝塚劇場」にて、先程申し上げた5組が順番に上演されます。
また、それ以外にも若手スターによる「宝塚バウホール」など小劇場での公演、地方の劇場を回る全国ツアー、ホテルでコース料理とともに楽しめるディナーショーなども行われています。

あなたの入り口である組の公演が、いつ、どこの劇場で上演されるのか、まずはホームページなどから確認してみましょう。

次に、観劇をする方法ですが、一般的な方法ですと、宝塚歌劇のホームページから、または電話で公演チケット を購入する、などがあります。
ただ……タカラヅカをよく知らない方も、「タカラヅカは、公演チケットを入手することが難しい」という噂は耳にしているかもしれません……。
そこで、より「確実に」 ステージを観劇するための方法をいくつかご紹介したいと思います。

その1:まずは配信・ライブビューイングから

こちらは最も確実に観劇する方法です。
まずはぜひ、場所を選ばない配信で、ご自宅のテレビや、スマートフォンなどから観劇するのをおススメします。

もう少し、劇場に近いサイズで観劇してみたいわ……という方は、映画館でのライブビューイングをおススメします。
大画面に映し出される圧倒的「美」の世界をご堪能ください。

終演後、きっと「実際にお会いしたい……」そう思われるかと存じます。

その2:宝塚歌劇公式ファンクラブである「宝塚友の会」に入る
チケットの先行販売があり、友の会優先貸し切り公演や、会員限定のイベントに参加することもできたりと、特典は様々です。

ただ、宝塚の友は何万人といるため、世界一友情を築くのが難しい、とも言われているとかいないとか。
真の友になるまでの道のりは険しい……それでも覚悟があれば……ぜひともお友達になってほしいものです。

その3:アナタの周りの「隠れタカラヅカファン」を探す
これはもはや裏ワザと言っても過言ではないのですが……。

まずは、アナタの周りに潜んでいる隠れタカラヅカファンを探してみましょう。
あくまで私調べですが、女子が30名いたら、その中に1人は「タカラヅカファン」がいらっしゃると思います(あくまで!大事なので2度言う)。
ただ、気を付けて頂きたいのが、タカラヅカファンの中には「公言せずに、密やかに」応援されている方もいらっしゃる……それが、隠れタカラヅカファンなのです。

隠れタカラヅカファンの方々は、自身の応援しているタカラヅカの生徒さん(タカラヅカ界隈では「ご贔屓」と呼ばれております)の魅力に気づいてもらいたい……!と密かに愛の炎を燃やされております。

アナタにはその、静かなる愛の炎の揺らぎを、探してほしいのです。
その際に役立つ「手がかり」をお教えします。

*あくまで私の意見です……あくまで。

■デスク周りが「ピンク・イエロー・グリーン・ブルー・パープル」のいずれかのカラーで統一されている
■謎に「炭酸せんべい」を頻繁にお土産として渡してくる人がいる
■ 何か物を貸し借りする際に、薄紫色の袋に入れて渡されたことがある

……などなど。
1つでも当てはまる方があなたの周りにいらっしゃったら、その方は隠れタカラヅカファンの方かもしれません。
その時は、周りに誰もいないことを確認してから静かに話しかけてみてください。
何度も言いますが、ファンだと公言されていないかもしれませんので、絶対に静かに声をかけてください

隠れタカラヅカファンの方は、同士ができると嬉しいので、チケットを取る際にチカラになってくれるかもしれません。
まずは、おススメの公演、ご贔屓などを質問してみてください。

お声がけが上手くいった場合は、去り際、相手の方より「我らは同士」と固い握手を交わされ、翌日、イケメンが微笑みかける付箋メモ付きのBD・DVDが、机にそっと置かれていることでしょう。

終わりに
……いかがでしたか。
この連載が、アナタのタカラヅカの世界への最初の一歩を踏み出すキッカケになれば……幸いです。

次回「ご贔屓は決まりましたか?」
それではまたの機会に……。


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第12回

レコードを持ち込む店

[ 更新 ] 2023.02.15
 京都でコーヒーを飲むと高田渡の「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」(第3回で紹介)を想い出すように、吉祥寺でコーヒーを飲むと中川イサトのアルバム『お茶の時間』が思い浮かぶ。ジャケット写真は第2ボガと呼ばれていた〈CAZA DE CAFE BOGA〉という店で撮影されたものだ。通りに張り出した窓に写り込んでいるのは、たぶん当時建設中だった近鉄百貨店ではないだろうか。この店には一度だけ行ったことがあり、それは苦い思い出として残っているが、その話は別の機会に譲る。

中川イサト『お茶の時間』1973年。この時期の吉祥寺には、高田渡を筆頭に、たくさんのぼく好みのミュージシャンが移り住んでいた。ちなみにジャケット写真が撮影された第2ボガは、いまは〈BAR boga〉というイタリアンのレストラン&バルとして営業されているようだ。



 大学入学と同時に東京でひとり暮ラしを始めた。いちばん住みたかったのは吉祥寺だったが、家賃が高くて断念せざるを得ず、それでも諦めずに、2年目から吉祥寺の二駅先の武蔵境に住んだ。それだけで半分以上は吉祥寺の住人になったような気分だった。高校時代の同級生が、羨ましいことに井の頭公園に近いところに下宿していて、よく彼の部屋に遊びに行っていた。というのは、吉祥寺には〈芽瑠璃堂〉という、素晴らしい輸入盤専門店があったのと、彼がオーディオを持っていたからで、再生装置を持っていなかったぼくは、買ったばかりのレコードを彼の部屋で聴かせてもらっていたのだ。
 そのうち、同級生の下宿の近くに〈山羊〉というカフェがあることに気づき、そこでコーヒーを飲むようになった。桑沢デザイン研究所の先生がオーナーだと聞いたことがある。店を任されていたのは写真家の橋口譲二さんご夫妻だった。これも後で知ったことだ。和光やICUの学生が通う店で、おっとりとした都会育ちの若者が集まるようなところだった。しばらく通ううちに店にも馴染み、そこにも買ったばかりのレコードを持ち込むとかけてもらえるようになったので、大学生の頃に手に入れた大切なレコードを、ずいぶんここで聴いたような記憶がある。トム・ウェイツのファーストやフィフス・アヴェニュー・バンドなどだ。

TOM WAITS『CLOSING TIME』1973年。芽瑠璃堂のPOPに「イーグルスのOL’55の作者」と書いてあったので買ったレコード。ぼくはB面1曲目の「ROSIE」がいちばん好き。



 ぼくは留年をしているので、大学には5年通っていた。最後の2年は、井の頭公園の池を渡ってすぐのところに住んだ。ただ、住所は三鷹市なので、ぼくはとうとう吉祥寺に住むことはなかった。公園の入口近くにコーヒー専門店があって、いつもいい香りが漂っていたというかすかな記憶があるが、そこが有名な〈もか〉だったと知る由もない頃の話だ。ところで、そもそも吉祥寺にもう何年も行っていない。いまなら何処でコーヒーを飲むのがいいのだろうか。


嶋中労『コーヒーの鬼がゆく 吉祥寺「もか」遺聞』。毎日のように伝説の店〈もか〉の近くを通り過ぎて、ぼくは〈山羊〉でコーヒーを飲みながら音楽を聴いていた。
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第9回

名古屋が好きなのは

[ 更新 ] 2022.12.01
〈喫茶クロカワ〉には、名古屋に行くと必ず寄る。最初は建物がぼくの興味の対象だった。アントニン・レーモンドの事務所が設計した、カナダかどこかの会社の事務所だったと聞いた。そこをマスターが自分で改装し、しかもその改装が、元の建物とレーモンドへの敬意に溢れているので、まるでこの店のためにレーモンドが設計したように思える、居心地がすこぶる良い喫茶店だ。

〈喫茶クロカワ〉には年に1~2回しか行けないが、「好きなコーヒー店は?」と訊かれたら、必ず名前を挙げる店だ。

 何年か前に友人が連れていってくれて、この店を知った。会うのが久しぶりだったので、積もる話をたくさんした。ふと会話が途切れたときに、友人がマスターに「いま流れているのは誰の曲?」と訊いた。マスターがCDジャケットを差し出すと、驚いたように「えっ!?」と小さくもらした。友人が前からよく知っている音楽だったのがわかるリアクションだ。コーヒーを飲みながら喫茶店で偶然に聴く音楽には、こういうことがよく起こる。知っているのに、はじめて聴いたように感じるのである。
 ぼくはこの曲をまったく知らなかったので、東京に戻ってからすぐ取り寄せた。グユンというニックネームを持つキューバ人ギタリストと彼のグループが、エリサ・ポルタルという歌手とともに1960年代のはじめに録音した音楽だという。その少し前に、別の友人が、ぼくがカリブ海由来の音楽が好きなことを知って、キューバのフィーリンという音楽を薦めてくれたことがあり、ホセ・アントニオ・メンデスなどを聴いていた。だから、このグユンもすぐに愛聴盤になった。そして、あらためてクロカワのマスターの音楽趣味を思った。

GUYUN Y SU GRUPO 『CANTA ELISA PORTAL』。手に入れてしばらくは、夜になるとこればかり聴いていた。

 ある雑誌で名古屋の特集をするということになり、もともと名古屋の魅力に惹かれていたぼくは、そこに参加させてもらうことになった。自分の好きなものをいろいろと推薦したが、担当編集者に「名古屋のミュージシャンでは誰がオススメですか?」と訊かれて、学生時代に聴いていたセンチメンタル・シティ・ロマンスというバンド以外を思いつけないぼくは、名古屋で誰かに会うと同じ質問をして歩いた。何人かから「やっぱりGUIROですね」という答えをもらい、たしかクロカワのマスターからも同じ名前を聞いたはずだ。だからまた、東京に戻ってからすぐに彼らのCDを手に入れた。
 そんなことがあった後にクロカワに行ったら、マスターが「これを、どうぞ」と、GUIROのシングル盤をくれた。それからすぐに、幸運にもGUIROが東京でライヴをやって、そこで彼らの演奏を聴いていよいよ大ファンになったのだが、残念ながらGUIROは現在活動休止中である。

GUIRO『エチカ/日曜日のチポラ』。ライヴ会場でのみ売られていた4枚のシングル盤のうちの1枚。これをもらった後に、東京で彼らのライヴがあって、そこで残りの3枚を手にいれることができた。

 クロカワに行くと、いまやぼくはアントニン・レーモンドではなく、GUIROのことを思い浮かべるようになっている。

コーヒーは、あればいつも「インド」を淹れてもらう。
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第7回

モンゴルからヨークシャーへ

[ 更新 ] 2022.11.01
 今年の誕生日に、札幌に住む友人夫妻から小包が届いた。中にはレコードが入っていた。まったく見たことのないジャケットだ。エンカルジャール・エルクヘンバヤルというウランバートル生まれのシンガーで、現在はミュンヘンを拠点にしているらしい。エンジという名前で活動しているようだ。このレコードがすっかり気に入ってしまい、それからしばらくは繰り返し聴いていた。先日、仙台でレコードをかけながら話すイヴェントがあって、そこでこのレコードを最初にかけたほど好きなのだ。

友人夫妻が誕生日にくれたレコード。ENJI『URSGAL』。

 仙台まで来たので、そのまま新幹線で函館に行き、さらに足をのばして札幌に行くことにした。そして、この友人夫妻が営む店で食事をした。そのときに、贈ってもらったレコードを手に入れた場所を教えてほしいと話すと、「明日の夕方に一緒に行きましょう」と誘ってくれた。店は〈chiba house〉という名前だった。てっきりレコード屋だと思い込んでいて、住所を頼りに行くと、店の前で友人たちが手を振っていたのだが、そこはどうもカフェのように見える。

久しぶりに友人夫妻に会えて、あのレコードを買った店に連れて行ってほしいとお願いしたら、そこ〈chiba house〉はレコード屋ではなくカフェだった。

 中に入ると、壁際に少しだけレコードとCDを並べたコーナーがあるのだが、そこに置いてあったのは、ほぼ知らないものばかりだった。席に着いてコーヒーを頼む。しばらくして、素敵な音楽が流れ始めた。ターンテーブルのあるほうに顔を向けると、いまかけているらしいレコードのジャケットが飾ってある。静かなこのカフェの雰囲気に合った、男性のギター弾き語りだ。アーティストの名前はクリス・ブレインと読むのだろうか。ヨークシャーというイングランド北部の地方生まれ。ぼくは、昔、札幌に住んでいた頃によく聴いていた、カナダのシンガー・ソングライター、ブルース・コバーンに似ているなと思ったが、本人によれば、ジョン・マーティンやニック・ドレイクに影響を受けているようだ。レコードを買ったら、一緒にクリスが制作した小さなポスターがおまけでついてきたのも嬉しかった。

〈chiba house〉でかかったレコードを買う。CHRIS BRAIN『BOUND TO RISE』

レコードについてきたおまけは、アーティスト自身が撮影したヨークシャーの鳥。彼の生活はどのようなものなのだろう?

 東京に戻ってから〈chiba house〉のインスタグラムを覗いてみると、このレコードを盛岡の書店〈BOOKNERD〉のインスタ投稿で知ったと書いてあった。仙台のイヴェントで、ぼくがエンジをかけながら話した相手は、この盛岡の書店主だったのだ。趣味が似た人たちの、ゆるやかなつながりを感じるような買い物になったなァ。
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第6回

コーヒーかワインか

[ 更新 ] 2022.10.15
〈ワルツ〉は恵比寿にあるワインバーだ。いつからだったか、そのワインバーが昼間にコーヒーを出すようになった。コーヒーを出すときの店名は〈プレイタイム・カフェ〉に変わる。〈ワルツ〉の常連だったAちゃんが、コーヒーを淹れてくれるのだ。ただ、ここにはもちろん、ワインバーだからワインがある。最初のうちは遠慮して、コーヒーをオーダーしていたのだが、「ワインも飲めるのかな」と訊くと、「大丈夫です」と言う。だからそのうちにコーヒーを頼まずに、最初からワインをオーダーすることが多くなった。
 それには理由がある。ぼくは夜遅くに出歩くのが得意ではない。歴史が夜つくられるものならば、ぼくは歴史がつくられる現場をほとんど見ていないことになるが、それで構わないと思っているほど、夜はできるだけ早く家に帰り、シャワーを浴びて寝てしまうのだ。〈ワルツ〉はとても好きな店だが、家からは少しだけ遠く、開店時間がぼくからするとちょっと遅い。たしか19時だったと思う(いまは18時オープンに変わっている)。たまに覗いてみるのだが、折悪しくマスターの出勤が遅れているときに当たったりして、なかなかここで飲むことができないのが続いた。それが、コーヒーを出す日ならば、15時から始まる。つまり好都合なのである。

〈ワルツ〉は好きなのに、なかなか行けないワインバーだった。マスターのことも大好きなんだけどね。

金曜日と土曜日の午後3時から〈プレイタイム・カフェ〉という名前でAちゃんがコーヒーを出してくれる。

 ある日、〈プレイタイム・カフェ〉に行ったら、カウンター脇の冷蔵庫の上にターンテーブルが置いてあった。いつの間にか〈ワルツ〉はレコードをかけるようになっていたのだ。そして、店が開いてすぐだからか、配送の人と出くわすことが続いた。マスターが通信販売でレコードを注文しているようなのだ。セレクトがなかなか面白い。その日も包みを開けるのを横から見ていたら、ジュディ・シルのレコードが出てきた。有名なファーストアルバムではなく、セカンドのほうだ。思わず、それをかけてよとお願いする。ファーストはなかなかのレア盤で値段も高く、いまだに持っていない。さらにセカンドにいたっては聴いたことすらないのだ。まさかここで聴けるとは思ってもみなかった。

ここで聴けるとは思わなかった名盤。ジュディ・シルのセカンドアルバム(1973年)

 Aちゃんがジャケットからレコードを取り出して、ターンテーブルにのせた。なんだかドキドキする。ゆったりとしたテンポのカントリー・フレイヴァー溢れる曲が流れ出した。ワインをお代わりする。



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第8回

The Powerless Do Have Power.  金井冬樹

[ 更新 ] 2024.07.26
 「フェミニズム」や「フェミニスト」という言葉を意識するようになったのは、僕の場合、海外カルチャーに精通する友人との会話の中で、ビヨンセのフェミニスト宣言や、レナ・ダナムが製作・監督・脚本・主演を務めたドラマ『GIRLS/ガールズ』、それにエマ・ワトソンの国連でのスピーチのことなどを教えてもらい、なんとなく「今、イケてる女性たちがフェミニズムをやっているようだ」という印象を持ったのがきっかけだったと思います。2010年代半ば、MeTooムーヴメントの数年前のことでした。

 当時気鋭のファッションブロガーとして有名だったタヴィ・ケヴィンソンとエマ・ワトソンが対談で、ビヨンセのMVにおける性的な表現について議論する記事を読み、「ビヨンセのMVのようなポップカルチャーの中の表現も、フェミニズム的な視点で語れるのか」と、新鮮に感じたのを覚えています。

 その頃、僕はちょうどzine(ジン、個人や少人数による自主制作の出版物)に出会い、手当たり次第にzineを読んでいた時期でした。なかでもパーソナル・ジンと呼ばれる、作り手自身の経験や日記、好きな音楽や映画などについて書かれたzineに強く惹かれて、大文字の歴史では語られない暮らしや個人史が読めるのを楽しんでいたのですが、その中で「ライオット・ガール」という言葉に出会いました。
 ライオット・ガールとは、80年代末~90年代のアメリカ(をはじめとする主に英語圏)で、男性優位のパンク・シーンに異議を唱え、女性たちが主体となって新しくシーンを作ろうとしたパンク・コミュニティ内の運動です。ライオット・ガール・ムーヴメントも知れば知るほどフェミニズム的なのですが、その中でzineが活用されていたことを知り、一層興味を引かれました。
 紙とペンとコピー機があれば作れる気軽さ、ティーンの女の子たち(だけじゃないでしょうけど)が授業中に交換する小さな手紙のような親密さ、そうしたzineの持つ「女子供のものと揶揄されがちな」特徴が、商業的だったり男性中心だったりするメインストリームのパンク・シーンと距離を置きつつ、連帯感を高めたり議論を深めたりするのに役立ったようです。可愛いシールや手書きの文字やイラストを多用したポップな体裁なのに、内容はシリアスだったり政治的なメッセージだったりする、そんなライオット・ガールのzineやそれに影響を受けたzineに頭を殴られるような衝撃を受け、「こういうの、自分もやってみたいな!」と思った体験が今の自分に繋がっているような気がします。
 ライオット・ガールやzineについて詳しく書かれた書籍『ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア』(アリスン・ピープマイヤー著、野中モモ訳、太田出版)を読んだ際、zineが誕生するはるか昔、婦人参政権運動の時代からzineのような小さな紙のメディアが活用されていたことを知り、そのあたりからフェミニズムがグッと身近に感じられるようになりました。

 ここまで読んで、僕のフェミニズムとの出会いがずいぶんお気楽だなと感じた読者もいるかもしれません。自分でもそう思います。しかし、パーソナル・ジンやライオット・ガール・ムーヴメントに惹かれるメンタリティを持つようになった背景をお話しすれば、もう少しシリアスに受け取っていただけるのではないかと思います。
 思い返すと、僕は物心ついたときから、いわゆる「家族規範」に沿わない家庭で育った人と仲良くなる傾向にありました。子供の頃仲の良かった友達の家庭はある新興宗教の熱心な信徒でしたし、初恋の相手も、人生で一番長く交際したパートナーも、シングルマザー家庭に育った人でした。思春期にはインターネット上で親や兄弟との関係がうまくいっていない同世代と交流したり、上京後に大学で出会って仲良くなった友達は、たいていそれぞれに複雑な家庭の事情を抱えていました。これはなぜなのだろう? と考えると、一言で言えば、彼らが「普通の社会」から仲間はずれにされる痛みを知っている人たちだから、ということになるかもしれません。
 親が周りとは違う信仰を持ってるせいで、あるいはそれを強要してくるせいで、親が2人いないせいで、家族に障害や病気があるせいで……、そうした様々な理由で「あ、自分は他の人が経験しなくてもいいことを経験するんだ」「それでも生きていかなければいけないんだ」と気づいてしまった子供の戸惑いは、程度の差こそあれ、その後の人生に影響を与えると思います。
 今、自分の子供時代を振り返ると、病気と障害を持った兄弟のいる家の中で、自分だけは親に迷惑をかけまいと気を遣って妙に大人びた子供になってしまった上に、セクシュアリティを自覚しないまでも自分は周りと何か違うと感じ、さらに周りにもそれを気づかれてしまっていた僕は、相当なストレスを抱えていたと思います。そんな中、「おばあちゃんが朝5時からお経唱えててうるさいんだよね! 線香臭いし! 俺も将来アレやらなきゃいけないんだよ!」と、笑っていいのかわからないジョークで笑わせてくれる友達は、心の支えでした。
 体育の時間、男の子たちが盛り上がる球技に全くついていけない僕と、ついていくことはできるけどなんだか冷めた目で見ていた彼は、おそらくそれぞれ違う意味で「こいつらと同じ場所では生きられないんだな」と子供心に感じていたのではないかと思います。社会が自分の味方をしてくれると感じている元気な男の子たち、そもそもそんなことを考えずに済む人たちとは、いずれ別の生き方をするのだろう、と。

 このとき感じたこの感覚が、良くも悪くも僕の人生の核に近いところにあると、今になって感じます。作品を作るときにも、かつての自分や、自分が出会ってきた、急いで大人になった人たちのための何かが作りたいという想いが念頭にあります。

 僕の大好きなパーソナル・ジンの魅力のひとつは、多数の読者に読まれることを想定していないため言いたいことが言える、つまりセーフスペースを確保したうえで話ができることです。必然的に「話す相手を選ぶ話題だけれど、話さずにはいられないこと」が書かれる傾向が強く、それは、いつかの友達の笑っていいのかわからないジョーク──傷ついてもやり過ごさなければいけないときの、乾いた、怒りと悔しさと諦めがないまぜになったあのユーモアを思い起こさせ、勇気を与えてくれます。
 そして、そんなzineが飛び交ったというライオット・ガール・ムーヴメントは、想像するだけで泣きながら腕を広げて飛び込んでいきたくなる、そんな魅力を感じさせます。小さなzineの書き手たちが、「世の中が自分を受け入れないなら、こちらから世の中を変えてやろう」と、脱獄犯がスプーンでトンネルを掘るように、社会に小さな穴を開けようとした。さらに脱獄犯同士で手を取り合おうとした。そのことを想像すると、そのフェミニストたちは自分の仲間だと心から感じるのです。大げさな言い方をすれば、世界の転覆を狙う同志のように。

 インターセクショナリティという概念で「普通」の定義を何度も何度も問い直してきたフェミニズムは、僕にとって大きな希望です。「普通」の定義が更新されれば、僕が子供の頃に感じた「普通の社会」から仲間はずれにされる感覚を、未来の子供たちは持たずに済むかもしれないからです。そのことを胸に、これからも自分なりにフェミニズムを実践していけたらと思います。

 ここから先は蛇足かもしれませんが、男性の書き手としてこの企画に呼んでいただけたことを受けて、最近考えていることを書きます。
 男性にとってフェミニズムとの距離感は難しい面もあると思いますが、単に女性に対して反省を示したり感謝したり、女性を守ろうとすることではなく「男性も女性も、いずれかに当てはまらない人も、ジェンダーによる差別を受けない社会を目指すこと」や「階級や障害によるあらゆる差別のない社会を目指すこと」、つまり自分の今いる場所から差別をなくそうと努めることが、フェミニズムへの参加につながるのだと思います。
 そして、こういう言い方をすると、単に差別解消運動とかヒューマニズムと呼べばいいと思われるかもしれませんが、女性の被る性差別から運動が始まったことや、構造的なジェンダー不平等はいまだ根強くあることを忘れないために、フェミニズムという呼称が使われているのではないでしょうか、ということを申し添えておきます。


金井冬樹(かない・ふゆき/旧筆名 カナイフユキ)
長野県生まれ。イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、zineの創作を行う。2015~2017年に発表したzineをまとめた作品集『LONG WAY HOME』(SUNNY BOY BOOKS)のほか、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P.Books)、レベッカ・ブラウン『ゼペット』(柴田元幸訳、twililight)の装画などでも知られる。
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