
第290回
無限ループ。
[ 更新 ] 2025.06.10
昨日から、頭の中で「ボヘミアン・ラプソディ」と「およげ!たいやきくん」のメロディーが、無限ループしている。
「ボヘミアン・ラプソディ」の方は、連載している新聞小説の中にちょうど登場させたところなので、つい頭の中で響かせてしまうのはわかるのだけれど、それが終わると、なぜだか間を置かず「およげ!たいやきくん」のメロディーに変わり、終わるとふたたび「ボヘミアン・ラプソディ」が響きだす。
テンポも雰囲気も曲調もまったく違う二つが、交互に永遠に響きつづける、一種の地獄感のある一日をすごし、へとへとに。
原稿、まったく進まず。

四月某日 曇
数日たって、ようやく「ボヘミアン・ラプソディ」と「およげ!たいやきくん」の繰り返しがさほど頻繁ではなくなったのだけれど、油断するとすぐにまた頭の中で響きはじめる。
久しぶりに、長野の友だちから電話。
大糸線の中で、「五千円札をくずせる人はいませんか」と、車掌さんが乗客に呼びかけているので、「わたしが」と手をあげ、千円札と百円玉にくずした。飛行機や新幹線の中で「お医者さんはいませんか」と呼びかけられて手をあげるシチュエーションにあこがれていたのだけれど、自分は医師ではないので、もちろん応える機会は一生来ないと思っていた。けれど、五千円札をくずす、という呼びかけに応えられたことは、「お医者さん」に応えるよりももしかすると、ときめきが大きかったかもしれない。
とのこと。
四月某日 曇
桜がすっかり散る。
散った花びらが、少し前に降った雨に濡れて、濃いピンクになっており、濡れていない薄いピンクの花びらと、きれいに入り交じっている。
桜がすべて散ったためか、ようやく「ボヘミアン・ラプソディ」と「およげ!たいやきくん」の呪縛から解放される。
四月某日 曇
「たんだく」という言葉を、知人から教わる。
漢字では「拱く」と書く。同じ「拱く」で、「こまぬく・こまねく」とも読み(こちらはわたしも知っていた)、意味はどちらも、「何もしないでいる」。
教わったあと、スマートフォンで「たんだく」を検索してみる。
ちかごろ何かを検索すると登場する、AIによる回答がいくつか出てくるので、読んでゆく。
「たんだく」と「こまぬく」は同じ意味であり漢字も共通……と、友人が教えてくれた通りのことがちゃんと書いてあって、AIの博識に驚くが、読みすすめるうちに、「転じて、つゆだく、牛丼のつゆが多いこと」とあり、おい、AI……と、心配になる。

四月某日 曇
AIが不憫で、もう一度、「たんだく」を検索する。
すると、昨日は確かにあった「転じて、つゆだく、牛丼のつゆが多いこと」という文章が、消えている。
わたしの心が通じたのか、それとも同じ日に「たんだく」を検索し、AIにいちゃもんをつけた人がいたのか……。
どちらにしても、AIのその着実さがかえって不憫で、また同時にいとおしく、微妙な気持ちにひたっていると、いつの間にか頭の中で「ボヘミアン・ラプソディ」と「およげ!たいやきくん」のループが始まってしまっている……。