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第10回

謎は謎のまま

[ 更新 ] 2023.01.15
〈月光茶房〉は友人が連れていってくれた店だ。ジャズ喫茶と言われたような気がするが、その日は入ってから出るまでフリー・ジャズがかかっていたから、勝手にそう思っただけかもしれない。2度目にひとりで行ったら、セイント・エティエンヌがかかっていた。壁に飾られたレコードジャケットにDNAのアルバムもあった。もしかしたらジャズ喫茶とくくるのは間違いなのだろうか。そうに違いないと確信したのは、ジャズ喫茶ではたぶんかからないだろう音楽を耳にすることが多かったからだ。意表を突かれたような気持ちになる。とにかく、この店のマスターの音楽趣味は、ぼくにとって謎だらけだ。年齢が近いことだけは間違いがないが、そんなわけだから、この店ではそれまでまったく知らなかったレコードがよくかかる。そして知っているレコードがかかることもあって、それがますます謎を深めるのである。

はじめて行ったのは2020年の夏。それから15回くらいしか行っていないのだが、毎回、音楽についての気づきがある。

壁に飾られているレコードも定期的に変わっている。このときは女性が写ったジャケットばかりだった。

 この店で、ぼくはだいたいコーヒーを2杯注文する。次に何が飛び出すか予想ができないから、もう少し聴いていきたいと思ってしまい、いつもお代わりをする。
 カウンターの隅でこっそりShazamして、これまでに手に入れたレコードが数枚あった。中でもサム・ゲンデルの『サテン・ドール』というアルバムが素晴らしかった。ジャズの名曲が数多くカヴァーされているから、ジャズ・アルバムと言う人も多いと思うのだが、ジャズというジャンルだけに興味があるというミュージシャンではないような気がする。35歳だそうだ。彼が吹くサックスはかなり加工されていて、ピッチがベンドされていたり、リズムマシンなども使われていて、どちらかというと音響系の音楽にも聴こえる。

SAM GENDEL『SATIN DOLL』2020年。「フレディー・フリーローダー」のカヴァーが素晴らしい。



 もう一枚、ニュークリアスの『エラスティック・ロック』がかかったときも驚いた。これは中学生か高校生のときに、郷里のレコード屋で見かけた記憶がある。同じレーベルから発売されたブラック・サバスというバンドのレコードを買い、ニュークリアスは眺めただけである。ただ、ブラック・サバスと同じレーベルから発売されていたので、同じようなヘヴィメタル・バンドだと思い込んでしまっていた。ところが〈月光茶房〉で流れたニュークリアスは、モーダルなジャズだったのである。

NUCLEUS『ELASTIC ROCK』1970年。タイトル曲を聴いてこの時代のイギリスのジャズに興味が湧いた。



 一度、ゆっくりとマスターと音楽について話してみたいと思ってはいるのだが、ぼくはまだまだいまの距離感を保ち、謎を謎のまま長く楽しむことを選ぶだろう。
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