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第9回

名古屋が好きなのは

[ 更新 ] 2022.12.01
〈喫茶クロカワ〉には、名古屋に行くと必ず寄る。最初は建物がぼくの興味の対象だった。アントニン・レーモンドの事務所が設計した、カナダかどこかの会社の事務所だったと聞いた。そこをマスターが自分で改装し、しかもその改装が、元の建物とレーモンドへの敬意に溢れているので、まるでこの店のためにレーモンドが設計したように思える、居心地がすこぶる良い喫茶店だ。

〈喫茶クロカワ〉には年に1~2回しか行けないが、「好きなコーヒー店は?」と訊かれたら、必ず名前を挙げる店だ。

 何年か前に友人が連れていってくれて、この店を知った。会うのが久しぶりだったので、積もる話をたくさんした。ふと会話が途切れたときに、友人がマスターに「いま流れているのは誰の曲?」と訊いた。マスターがCDジャケットを差し出すと、驚いたように「えっ!?」と小さくもらした。友人が前からよく知っている音楽だったのがわかるリアクションだ。コーヒーを飲みながら喫茶店で偶然に聴く音楽には、こういうことがよく起こる。知っているのに、はじめて聴いたように感じるのである。
 ぼくはこの曲をまったく知らなかったので、東京に戻ってからすぐ取り寄せた。グユンというニックネームを持つキューバ人ギタリストと彼のグループが、エリサ・ポルタルという歌手とともに1960年代のはじめに録音した音楽だという。その少し前に、別の友人が、ぼくがカリブ海由来の音楽が好きなことを知って、キューバのフィーリンという音楽を薦めてくれたことがあり、ホセ・アントニオ・メンデスなどを聴いていた。だから、このグユンもすぐに愛聴盤になった。そして、あらためてクロカワのマスターの音楽趣味を思った。

GUYUN Y SU GRUPO 『CANTA ELISA PORTAL』。手に入れてしばらくは、夜になるとこればかり聴いていた。

 ある雑誌で名古屋の特集をするということになり、もともと名古屋の魅力に惹かれていたぼくは、そこに参加させてもらうことになった。自分の好きなものをいろいろと推薦したが、担当編集者に「名古屋のミュージシャンでは誰がオススメですか?」と訊かれて、学生時代に聴いていたセンチメンタル・シティ・ロマンスというバンド以外を思いつけないぼくは、名古屋で誰かに会うと同じ質問をして歩いた。何人かから「やっぱりGUIROですね」という答えをもらい、たしかクロカワのマスターからも同じ名前を聞いたはずだ。だからまた、東京に戻ってからすぐに彼らのCDを手に入れた。
 そんなことがあった後にクロカワに行ったら、マスターが「これを、どうぞ」と、GUIROのシングル盤をくれた。それからすぐに、幸運にもGUIROが東京でライヴをやって、そこで彼らの演奏を聴いていよいよ大ファンになったのだが、残念ながらGUIROは現在活動休止中である。

GUIRO『エチカ/日曜日のチポラ』。ライヴ会場でのみ売られていた4枚のシングル盤のうちの1枚。これをもらった後に、東京で彼らのライヴがあって、そこで残りの3枚を手にいれることができた。

 クロカワに行くと、いまやぼくはアントニン・レーモンドではなく、GUIROのことを思い浮かべるようになっている。

コーヒーは、あればいつも「インド」を淹れてもらう。
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