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第4回

再生装置

[ 更新 ] 2022.09.15
 2019年の3月に細野晴臣のニューアルバムが発売された。『HOCHONO HOUSE』というタイトルで、これは1973年にリリースされた細野晴臣のファースト・ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』を、彼がリアレンジして新録したレコードだ。発売のニュースを聞いてすぐに予約し、発売日の数日前に家に届いたのだが、それを聴く方法がなかった。ちょっと長くなるけれど、まずその事情を説明したい。

細野晴臣『HOCHONO HOUSE』2019年

 東京でひとり暮らしを始めて嬉しかったのは、あちこちに輸入レコード専門店があって、田舎町で育ったぼくにとっては夢みたいな環境だったことだ。ふつうはレコードと同時に再生装置も買うのだろうけれど、仕送りとバイト代から再生装置まで手に入れるとなると、なかなか辛いことになる。だから、大学時代はお金はレコードだけに注ぎ込もうと考えていた。まともなオーディオを持ったのは、就職してからである。オーディオを所有していたのは5~6年くらいだったろうか。引越しをすることになり、新しい家で新しいステレオを買おうと決めて、それまでの古いものは友人に譲った。ところが引越してから、とりあえずCDとカセットテープとラジオが一体になったものを近所で買ったものの、それで充分な気がした。とはいえ、ターンテーブルがないので、レコードは部屋に置いてあるだけで聴くことができない。その後、何度か引越しを繰り返したが、いまもほぼ同じ状態である。安価なポータブルプレイヤーを2年前に買ったから、レコードもなんとか聴けるようにはなっている。つまり、『HOCHONO HOUSE』が届いたのはそのポータブルプレイヤーを手に入れる前のことだ。
 せっかく発売日より前に届いたレコードを聴けないまま、ぼくは用事があって福岡へ行った。福岡市大名にある〈珈琲花坂〉に入ったら、店内に薄く細野さんの歌声が流れている。席に着いてそれが「ろっかばいまいべいびい」という曲だと気づいた。でも、アレンジが違う。そうか、いまかかっているのは『HOCHONO HOUSE』なのか。いまいちばん聴きたいレコードを、入った喫茶店で偶然に聴けるなんて最高だなと思う間もなく、曲は終わってしまった。そして花坂くんは次のレコードをかけた。『HOCHONO HOUSE』は『HOSONO HOUSE』と曲順が逆なのだった。だから、さっきの曲で終わりである。仕方がないのでチーズケーキを食べながらコーヒーを飲む。そのうち他のお客さんが帰ったので、ぼくは花坂くんに「細野さんをもう一度かけてくれない?」とお願いした。はじめて聴く、しかも喫茶店で聴く『HOCHONO HOUSE』は素晴らしかった。特に「ぼくは一寸・夏編」がいい。歌詞がオリジナルと少し変わっている。46年の時を経て新しい境地に達している細野さんの気持ちに、すごく沿っているように感じた。



〈珈琲花坂〉は夜には〈ペトロールブルー〉というバーになる。奥にいるのが花坂くん。手前はバーのオーナーの小出くん。

この件があって、ぼくはようやくポータブルプレイヤーくらいは持っていようと決心した。写真は〈珈琲花坂/ペトロールブルー〉のターンテーブル。
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