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第0話

タカラヅカの“タ”

[ 更新 ] 2023.07.07
はじめに
みなさまごきげんよう、こう見えて元タカラジェンヌの天真みちるです。
……え、こう見えてもどう見えてもないんだが!……ですって?
というか、タカラジェンヌってなに?という方もいらっしゃいますよね。

タカラジェンヌは、宝塚歌劇団のステージに立つ団員たちのことです。
そして、宝塚歌劇団は、女性のみで構成された歌劇団です。
ステージ作品名ですと、『ベルサイユのばら』や『エリザベート』は、耳にしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

女性が男役を演じる「男装の麗人」と、美しさと麗しさを極めた娘役が、煌びやかな衣装に身を包み、独特の格好良さで観客を魅了する……。
タカラヅカでしか得ることができないトキメキが溢れる、豪華絢爛なステージとなっております。

ここで、唐突な自分語りになりますが、わたくしは、幼いころ祖母に「アンタはタカラヅカに入りな」と言われ、おばあちゃんの許可さえあれば入れると勘違いしたまま受験し惨敗。2003年3月、14歳で味わったほろ苦い体験でした……。

そう、タカラヅカのステージに立つには、まず、宝塚音楽学校を受験する必要があるのです。
ここがまた、物凄く狭き門だったりするのですが……こちらについてはまたいつか詳しくご説明いたしますね。

直後1年間命を懸けてトレーニングし、翌2004年に宝塚音楽学校になんとか入学!
そして2006年、宝塚歌劇団に92期生として入団。宙(そら)組で初舞台を踏んだのち、花組に配属。
2018年10月にタカラヅカを卒業するまで、およそ13年間にわたり花組の男役としてタカラヅカのステージに立ち続けてきました。

現在は「株式会社たその会社」を設立し、脚本の執筆、劇団主宰、その他イベント出演など……「歌って踊れる社長」として活動しております。

とまあ、駆け足で己の約30年間の出来事を纏めてみましたが……
タカラヅカを卒業して早5年。
様々な案件、業務に携わる中で、「タカラヅカを好き」な方もいらっしゃれば「タカラヅカのタの字も知らない」という方もいらっしゃる……。
そのたびに「在団経験がある自分にしか伝えることのできないタカラヅカの魅力」は何だろう……と思索に耽る日々を過ごしてまいりました。

というわけで、この度、元タカラジェンヌであるわたくしが案内人となり、素晴らしきタカラヅカの世界をみなさまにご案内させて頂こうと思います。

最後までごゆっくりお楽しみください。

【その1:最初の一歩はどこから診断】
さて、まずはあまり深く考えず、下記の質問に〇か×で答えてみてください。

■演劇がスキ
■歌がスキ
■ダンスがスキ
■熱い友情を見るのがスキ
■燃え上がるような恋、愛の物語がスキ
■世界各国の民族衣装、歴史ある装束、ドレスを見るのがスキ
■駅や商業施設などで大階段を見ると胸が躍る
■日本の時代劇、和物を見るのがスキ
■エンターテインメントがスキ
■ロケットダンスがスキ
■小説・漫画・映画原作のステージ化に興味がある
■キラキラがスキ
■リボンやレースがスキ
■中性的な人に魅かれる
■少女漫画がスキ
■スポ根漫画がスキ
■K-POPがスキ
■胸キュンストーリーがスキ
■最高に明るいハッピーエンドがスキ
■人生の意味について考えてしまう悲劇がスキ
■革命と聞くとワクワクする
■人生で一度は誰かにウインクされてみたい
■人生で一度は舞踏会に出てみたい
■白馬の王子様を夢見たことがある
■お姫様になりたいと思ったことがある
■手拍子のリズム感には自信がある
■大人数のコーラスを聴くと感動する
■コスメの新作はチェックしている
■何か夢中になれることはないか探している
■社内の人事話がスキだ
■美しい人を見るとテンションが上がる
■銀橋(ぎんきょう)という響きがスキ

……さて、〇はいくつでしたか?
項目が多すぎて何個〇が付いたか覚えてないわ!……という方もご安心ください。
1つでも〇が付いたそこのアナタ。

おめでとうございます。タカラヅカをおススメします。

「え、でも私、タカラヅカのことなんて何も知らない……」
と思っていますね……?
大丈夫、何もコワくありません。ただ身を任せ、劇場へ足を運んでみてください。
そこには夢の世界がアナタを待っています。

タカラヅカには夢の世界への入り口が5つある
さて、夢の世界の存在を知ったアナタは、そこへ向かうための入り口を探すことになると思います。

夢の世界への入り口は、5つあります。
タカラヅカでは花・月・雪・星・宙……という、5組に分かれて興行を行っているのです。
各組に在籍する生徒は「組子(くみこ)」と呼ばれています。1組におよそ70名程在籍しています。
また、いずれの組にも属さず、作品ごとに特別出演という形でステージを彩る「専科」というプロフェッショナル集団も存在します。

さて、あなたはどの扉をノックしたらよいのか、迷われているかと思います。
大丈夫です。続いて、こちらの診断に進みましょう。

【その2:入り口はどこだ診断】
下記質問に〇か×でお答えください。

Aブロック
■光り輝くスター、絶対的エースがスキ
■ステージ上から見つめられ、バチバチに釣られたい
■とにかく華!華がある集団を見たい
■「優勝!」「○○しか勝たん!」が口癖だ
■ゴレンジャーなら赤
■まぶしい太陽がスキ
■お寿司は大トロ
■花はバラ
■スタイリッシュなダンスを見てみたい
■常に誇りを忘れずに生きていきたい
■寮といえばグリフィンドール

Bブロック
■深く心に突き刺さる演技がスキ
■ミステリアスな人物に惹かれてしまう
■ストーリーについて考察・談義するのがスキ
■職人肌の人に弱い
■ゴレンジャーならアオ
■秋冬がスキ
■お寿司はコハダ
■花は百合
■映画やドラマで、エキストラの人のお芝居もつい見てしまう
■みんなでワイワイより一人でじっくり楽しむ方がスキ
■アフロのカツラをかぶってみたい

Cブロック
■渋い演技がスキだ
■中毒性のある人物に惹かれてしまう
■日本の美・和を感じることがスキ
■ウェットな物語がスキ
■冬がスキ
■悲劇がスキ
■お寿司はえんがわ
■花は桜
■大河ドラマはかかさず見ている
■普段は物静かな人が弾けた時のギャップがスキ
■仕事ではスタンドプレーよりチームワークを重視する

Dブロック
■元気が欲しい事がよくある
■「キラキラ」より「ギラギラ」に惹かれる
■未だかつて見たことがない高いパフォーマンススキルを目の当たりにしたい
■松岡修造さんみたいな熱い人がスキ
■パーティー、フェスがスキ
■ノリのよい人に惹かれる
■夏が大スキ
■お寿司は炙りサーモン
■体育祭では必ず応援団に入っていた
■盛り上がれることはないかいつも探している
■何かを成し遂げるには攻めの姿勢も大切だと思う

Eブロック
■長身の人物がタイプ
■A・B・C・D全てのブロックの全てのカテゴリーに〇を付けた
■母性本能をくすぐるような人物にグッとくる
■スタイリッシュなイケメンがスキ
■未だかつて見たことがない新しいジャンルのイケメンを目の当たりにしたい
■迫力あるコーラスを聴きたい
■お寿司はカリフォルニアロール
■花はカラー
■クラシックよりも流行の曲をよく聴く
■スーツがスキ
■ロングコートが似合う人がスキ

さて、どのブロックに一番多く〇を付けましたか?

A→花組
B→月組
C→雪組
D→星組
E→宙組

〇の数が一番多いブロックが、アナタの入り口となります。
ぜひ、扉をノックしてみてください。

扉をノックする方法
さて、いよいよ夢の世界への扉をノックする方法です。
……実はここが一番難しいポイントだと思います。

宝塚歌劇では、拠点である「宝塚大劇場」と「東京宝塚劇場」にて、先程申し上げた5組が順番に上演されます。
また、それ以外にも若手スターによる「宝塚バウホール」など小劇場での公演、地方の劇場を回る全国ツアー、ホテルでコース料理とともに楽しめるディナーショーなども行われています。

あなたの入り口である組の公演が、いつ、どこの劇場で上演されるのか、まずはホームページなどから確認してみましょう。

次に、観劇をする方法ですが、一般的な方法ですと、宝塚歌劇のホームページから、または電話で公演チケット を購入する、などがあります。
ただ……タカラヅカをよく知らない方も、「タカラヅカは、公演チケットを入手することが難しい」という噂は耳にしているかもしれません……。
そこで、より「確実に」 ステージを観劇するための方法をいくつかご紹介したいと思います。

その1:まずは配信・ライブビューイングから

こちらは最も確実に観劇する方法です。
まずはぜひ、場所を選ばない配信で、ご自宅のテレビや、スマートフォンなどから観劇するのをおススメします。

もう少し、劇場に近いサイズで観劇してみたいわ……という方は、映画館でのライブビューイングをおススメします。
大画面に映し出される圧倒的「美」の世界をご堪能ください。

終演後、きっと「実際にお会いしたい……」そう思われるかと存じます。

その2:宝塚歌劇公式ファンクラブである「宝塚友の会」に入る
チケットの先行販売があり、友の会優先貸し切り公演や、会員限定のイベントに参加することもできたりと、特典は様々です。

ただ、宝塚の友は何万人といるため、世界一友情を築くのが難しい、とも言われているとかいないとか。
真の友になるまでの道のりは険しい……それでも覚悟があれば……ぜひともお友達になってほしいものです。

その3:アナタの周りの「隠れタカラヅカファン」を探す
これはもはや裏ワザと言っても過言ではないのですが……。

まずは、アナタの周りに潜んでいる隠れタカラヅカファンを探してみましょう。
あくまで私調べですが、女子が30名いたら、その中に1人は「タカラヅカファン」がいらっしゃると思います(あくまで!大事なので2度言う)。
ただ、気を付けて頂きたいのが、タカラヅカファンの中には「公言せずに、密やかに」応援されている方もいらっしゃる……それが、隠れタカラヅカファンなのです。

隠れタカラヅカファンの方々は、自身の応援しているタカラヅカの生徒さん(タカラヅカ界隈では「ご贔屓」と呼ばれております)の魅力に気づいてもらいたい……!と密かに愛の炎を燃やされております。

アナタにはその、静かなる愛の炎の揺らぎを、探してほしいのです。
その際に役立つ「手がかり」をお教えします。

*あくまで私の意見です……あくまで。

■デスク周りが「ピンク・イエロー・グリーン・ブルー・パープル」のいずれかのカラーで統一されている
■謎に「炭酸せんべい」を頻繁にお土産として渡してくる人がいる
■ 何か物を貸し借りする際に、薄紫色の袋に入れて渡されたことがある

……などなど。
1つでも当てはまる方があなたの周りにいらっしゃったら、その方は隠れタカラヅカファンの方かもしれません。
その時は、周りに誰もいないことを確認してから静かに話しかけてみてください。
何度も言いますが、ファンだと公言されていないかもしれませんので、絶対に静かに声をかけてください

隠れタカラヅカファンの方は、同士ができると嬉しいので、チケットを取る際にチカラになってくれるかもしれません。
まずは、おススメの公演、ご贔屓などを質問してみてください。

お声がけが上手くいった場合は、去り際、相手の方より「我らは同士」と固い握手を交わされ、翌日、イケメンが微笑みかける付箋メモ付きのBD・DVDが、机にそっと置かれていることでしょう。

終わりに
……いかがでしたか。
この連載が、アナタのタカラヅカの世界への最初の一歩を踏み出すキッカケになれば……幸いです。

次回「ご贔屓は決まりましたか?」
それではまたの機会に……。


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第12回

レコードを持ち込む店

[ 更新 ] 2023.02.15
 京都でコーヒーを飲むと高田渡の「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」(第3回で紹介)を想い出すように、吉祥寺でコーヒーを飲むと中川イサトのアルバム『お茶の時間』が思い浮かぶ。ジャケット写真は第2ボガと呼ばれていた〈CAZA DE CAFE BOGA〉という店で撮影されたものだ。通りに張り出した窓に写り込んでいるのは、たぶん当時建設中だった近鉄百貨店ではないだろうか。この店には一度だけ行ったことがあり、それは苦い思い出として残っているが、その話は別の機会に譲る。

中川イサト『お茶の時間』1973年。この時期の吉祥寺には、高田渡を筆頭に、たくさんのぼく好みのミュージシャンが移り住んでいた。ちなみにジャケット写真が撮影された第2ボガは、いまは〈BAR boga〉というイタリアンのレストラン&バルとして営業されているようだ。



 大学入学と同時に東京でひとり暮ラしを始めた。いちばん住みたかったのは吉祥寺だったが、家賃が高くて断念せざるを得ず、それでも諦めずに、2年目から吉祥寺の二駅先の武蔵境に住んだ。それだけで半分以上は吉祥寺の住人になったような気分だった。高校時代の同級生が、羨ましいことに井の頭公園に近いところに下宿していて、よく彼の部屋に遊びに行っていた。というのは、吉祥寺には〈芽瑠璃堂〉という、素晴らしい輸入盤専門店があったのと、彼がオーディオを持っていたからで、再生装置を持っていなかったぼくは、買ったばかりのレコードを彼の部屋で聴かせてもらっていたのだ。
 そのうち、同級生の下宿の近くに〈山羊〉というカフェがあることに気づき、そこでコーヒーを飲むようになった。桑沢デザイン研究所の先生がオーナーだと聞いたことがある。店を任されていたのは写真家の橋口譲二さんご夫妻だった。これも後で知ったことだ。和光やICUの学生が通う店で、おっとりとした都会育ちの若者が集まるようなところだった。しばらく通ううちに店にも馴染み、そこにも買ったばかりのレコードを持ち込むとかけてもらえるようになったので、大学生の頃に手に入れた大切なレコードを、ずいぶんここで聴いたような記憶がある。トム・ウェイツのファーストやフィフス・アヴェニュー・バンドなどだ。

TOM WAITS『CLOSING TIME』1973年。芽瑠璃堂のPOPに「イーグルスのOL’55の作者」と書いてあったので買ったレコード。ぼくはB面1曲目の「ROSIE」がいちばん好き。



 ぼくは留年をしているので、大学には5年通っていた。最後の2年は、井の頭公園の池を渡ってすぐのところに住んだ。ただ、住所は三鷹市なので、ぼくはとうとう吉祥寺に住むことはなかった。公園の入口近くにコーヒー専門店があって、いつもいい香りが漂っていたというかすかな記憶があるが、そこが有名な〈もか〉だったと知る由もない頃の話だ。ところで、そもそも吉祥寺にもう何年も行っていない。いまなら何処でコーヒーを飲むのがいいのだろうか。


嶋中労『コーヒーの鬼がゆく 吉祥寺「もか」遺聞』。毎日のように伝説の店〈もか〉の近くを通り過ぎて、ぼくは〈山羊〉でコーヒーを飲みながら音楽を聴いていた。
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第9回

名古屋が好きなのは

[ 更新 ] 2022.12.01
〈喫茶クロカワ〉には、名古屋に行くと必ず寄る。最初は建物がぼくの興味の対象だった。アントニン・レーモンドの事務所が設計した、カナダかどこかの会社の事務所だったと聞いた。そこをマスターが自分で改装し、しかもその改装が、元の建物とレーモンドへの敬意に溢れているので、まるでこの店のためにレーモンドが設計したように思える、居心地がすこぶる良い喫茶店だ。

〈喫茶クロカワ〉には年に1~2回しか行けないが、「好きなコーヒー店は?」と訊かれたら、必ず名前を挙げる店だ。

 何年か前に友人が連れていってくれて、この店を知った。会うのが久しぶりだったので、積もる話をたくさんした。ふと会話が途切れたときに、友人がマスターに「いま流れているのは誰の曲?」と訊いた。マスターがCDジャケットを差し出すと、驚いたように「えっ!?」と小さくもらした。友人が前からよく知っている音楽だったのがわかるリアクションだ。コーヒーを飲みながら喫茶店で偶然に聴く音楽には、こういうことがよく起こる。知っているのに、はじめて聴いたように感じるのである。
 ぼくはこの曲をまったく知らなかったので、東京に戻ってからすぐ取り寄せた。グユンというニックネームを持つキューバ人ギタリストと彼のグループが、エリサ・ポルタルという歌手とともに1960年代のはじめに録音した音楽だという。その少し前に、別の友人が、ぼくがカリブ海由来の音楽が好きなことを知って、キューバのフィーリンという音楽を薦めてくれたことがあり、ホセ・アントニオ・メンデスなどを聴いていた。だから、このグユンもすぐに愛聴盤になった。そして、あらためてクロカワのマスターの音楽趣味を思った。

GUYUN Y SU GRUPO 『CANTA ELISA PORTAL』。手に入れてしばらくは、夜になるとこればかり聴いていた。

 ある雑誌で名古屋の特集をするということになり、もともと名古屋の魅力に惹かれていたぼくは、そこに参加させてもらうことになった。自分の好きなものをいろいろと推薦したが、担当編集者に「名古屋のミュージシャンでは誰がオススメですか?」と訊かれて、学生時代に聴いていたセンチメンタル・シティ・ロマンスというバンド以外を思いつけないぼくは、名古屋で誰かに会うと同じ質問をして歩いた。何人かから「やっぱりGUIROですね」という答えをもらい、たしかクロカワのマスターからも同じ名前を聞いたはずだ。だからまた、東京に戻ってからすぐに彼らのCDを手に入れた。
 そんなことがあった後にクロカワに行ったら、マスターが「これを、どうぞ」と、GUIROのシングル盤をくれた。それからすぐに、幸運にもGUIROが東京でライヴをやって、そこで彼らの演奏を聴いていよいよ大ファンになったのだが、残念ながらGUIROは現在活動休止中である。

GUIRO『エチカ/日曜日のチポラ』。ライヴ会場でのみ売られていた4枚のシングル盤のうちの1枚。これをもらった後に、東京で彼らのライヴがあって、そこで残りの3枚を手にいれることができた。

 クロカワに行くと、いまやぼくはアントニン・レーモンドではなく、GUIROのことを思い浮かべるようになっている。

コーヒーは、あればいつも「インド」を淹れてもらう。
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第7回

モンゴルからヨークシャーへ

[ 更新 ] 2022.11.01
 今年の誕生日に、札幌に住む友人夫妻から小包が届いた。中にはレコードが入っていた。まったく見たことのないジャケットだ。エンカルジャール・エルクヘンバヤルというウランバートル生まれのシンガーで、現在はミュンヘンを拠点にしているらしい。エンジという名前で活動しているようだ。このレコードがすっかり気に入ってしまい、それからしばらくは繰り返し聴いていた。先日、仙台でレコードをかけながら話すイヴェントがあって、そこでこのレコードを最初にかけたほど好きなのだ。

友人夫妻が誕生日にくれたレコード。ENJI『URSGAL』。

 仙台まで来たので、そのまま新幹線で函館に行き、さらに足をのばして札幌に行くことにした。そして、この友人夫妻が営む店で食事をした。そのときに、贈ってもらったレコードを手に入れた場所を教えてほしいと話すと、「明日の夕方に一緒に行きましょう」と誘ってくれた。店は〈chiba house〉という名前だった。てっきりレコード屋だと思い込んでいて、住所を頼りに行くと、店の前で友人たちが手を振っていたのだが、そこはどうもカフェのように見える。

久しぶりに友人夫妻に会えて、あのレコードを買った店に連れて行ってほしいとお願いしたら、そこ〈chiba house〉はレコード屋ではなくカフェだった。

 中に入ると、壁際に少しだけレコードとCDを並べたコーナーがあるのだが、そこに置いてあったのは、ほぼ知らないものばかりだった。席に着いてコーヒーを頼む。しばらくして、素敵な音楽が流れ始めた。ターンテーブルのあるほうに顔を向けると、いまかけているらしいレコードのジャケットが飾ってある。静かなこのカフェの雰囲気に合った、男性のギター弾き語りだ。アーティストの名前はクリス・ブレインと読むのだろうか。ヨークシャーというイングランド北部の地方生まれ。ぼくは、昔、札幌に住んでいた頃によく聴いていた、カナダのシンガー・ソングライター、ブルース・コバーンに似ているなと思ったが、本人によれば、ジョン・マーティンやニック・ドレイクに影響を受けているようだ。レコードを買ったら、一緒にクリスが制作した小さなポスターがおまけでついてきたのも嬉しかった。

〈chiba house〉でかかったレコードを買う。CHRIS BRAIN『BOUND TO RISE』

レコードについてきたおまけは、アーティスト自身が撮影したヨークシャーの鳥。彼の生活はどのようなものなのだろう?

 東京に戻ってから〈chiba house〉のインスタグラムを覗いてみると、このレコードを盛岡の書店〈BOOKNERD〉のインスタ投稿で知ったと書いてあった。仙台のイヴェントで、ぼくがエンジをかけながら話した相手は、この盛岡の書店主だったのだ。趣味が似た人たちの、ゆるやかなつながりを感じるような買い物になったなァ。
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第6回

コーヒーかワインか

[ 更新 ] 2022.10.15
〈ワルツ〉は恵比寿にあるワインバーだ。いつからだったか、そのワインバーが昼間にコーヒーを出すようになった。コーヒーを出すときの店名は〈プレイタイム・カフェ〉に変わる。〈ワルツ〉の常連だったAちゃんが、コーヒーを淹れてくれるのだ。ただ、ここにはもちろん、ワインバーだからワインがある。最初のうちは遠慮して、コーヒーをオーダーしていたのだが、「ワインも飲めるのかな」と訊くと、「大丈夫です」と言う。だからそのうちにコーヒーを頼まずに、最初からワインをオーダーすることが多くなった。
 それには理由がある。ぼくは夜遅くに出歩くのが得意ではない。歴史が夜つくられるものならば、ぼくは歴史がつくられる現場をほとんど見ていないことになるが、それで構わないと思っているほど、夜はできるだけ早く家に帰り、シャワーを浴びて寝てしまうのだ。〈ワルツ〉はとても好きな店だが、家からは少しだけ遠く、開店時間がぼくからするとちょっと遅い。たしか19時だったと思う(いまは18時オープンに変わっている)。たまに覗いてみるのだが、折悪しくマスターの出勤が遅れているときに当たったりして、なかなかここで飲むことができないのが続いた。それが、コーヒーを出す日ならば、15時から始まる。つまり好都合なのである。

〈ワルツ〉は好きなのに、なかなか行けないワインバーだった。マスターのことも大好きなんだけどね。

金曜日と土曜日の午後3時から〈プレイタイム・カフェ〉という名前でAちゃんがコーヒーを出してくれる。

 ある日、〈プレイタイム・カフェ〉に行ったら、カウンター脇の冷蔵庫の上にターンテーブルが置いてあった。いつの間にか〈ワルツ〉はレコードをかけるようになっていたのだ。そして、店が開いてすぐだからか、配送の人と出くわすことが続いた。マスターが通信販売でレコードを注文しているようなのだ。セレクトがなかなか面白い。その日も包みを開けるのを横から見ていたら、ジュディ・シルのレコードが出てきた。有名なファーストアルバムではなく、セカンドのほうだ。思わず、それをかけてよとお願いする。ファーストはなかなかのレア盤で値段も高く、いまだに持っていない。さらにセカンドにいたっては聴いたことすらないのだ。まさかここで聴けるとは思ってもみなかった。

ここで聴けるとは思わなかった名盤。ジュディ・シルのセカンドアルバム(1973年)

 Aちゃんがジャケットからレコードを取り出して、ターンテーブルにのせた。なんだかドキドキする。ゆったりとしたテンポのカントリー・フレイヴァー溢れる曲が流れ出した。ワインをお代わりする。



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第4回

子育てを通して出会った、ぶっきらぼうな優しさたち。

[ 更新 ] 2024.04.30
 とある日曜日の朝に、キッズサッカークラブの練習に向かうため息子とバスに乗ったときのことです。

 全席埋まっている車内を目にし、「座れないな。まあ、しょうがないか」と思ったその瞬間、私たちの一番近くに座っていた、見るからにデロンデロンに酔っ払っている恐らく朝帰りであろうイケイケなファッションの若者が、ヨロヨロッと立ち上がり、「座れよ」みたいなジェスチャーで席を譲ってくれたのです。

 若者はドア近くになんとか移動をし、ビール缶片手に目を閉じたまま手すりにしがみつき、身体を大きく揺らしながら姿勢を保っていました。が、何かのはずみで姿勢が崩れ、缶の中身をブワーッとぶちまけてしまいました。バス中に立ち込めるビールのにおい。「くさい!」とブーイングする乗客たち。当の本人は立ったまま寝ていたからか、乗客たちの苛立ちも気がついていない様子で、次の停留所でフラッと降りていったのです。

 あんなにへべれけだったにもかかわらず、太古の昔から身体に深く染みついた本能のようにサッと席を譲ってくれるなんて。
 「あの人にすっごいサンキューだね」と息子と話しながらサッカー場に向かいました。

 ベビーカーお助け忍者たち。

 思えばロンドンでの子育てって、特に幼少期は毎日のようになんらかの形で誰かに助けてもらうような日々だったな。

 その日々の中で、私の中にあった「街での助け合い」という行為へのイメージが変わったような気がします。
 以前は、「優しい雰囲気を醸し出した人が、にこやかな声掛けで困っている人を助ける。助けられた人は申し訳なさそうに笑顔で感謝をする」みたいなイメージをなんとなくもっていたのですが、親として過ごすロンドン生活の中で、そういったイメージを覆す「ぶっきらぼうな優しさ」みたいなのものに何度も触れたのです。
 いや、ぶっきらぼうというか、「当然すぎて笑顔も別に必要ないでしょ」というテンションだったかもしれない。

 ロンドンは築100年以上の建物がざらにあるので、エレベーターがない駅がたくさんあります。そういった駅では「よっこいしょ、よっこいしょ」とベビーカーを運びながら階段を上り下りするしかありません。
 けれど、ベビーカーで階段の前に立ち止まった瞬間、たいてい「忍者?」ってくらいすばやく四方八方から人が寄ってきて「手を貸そうか?」と話しかけてくれるので、移動が大変だったという記憶がないのです。
 世間話をしながら手伝ってくれる人もいれば、ゼロ笑顔で流れ作業のように手伝ってくれる人、無言でバッとベビーカーを持ち上げて階段下まで運んでそのまま無言で立ち去った寡黙なスーパーヒーローのような人もいました。

 お店も自動ドアではないところが多く、ベビーカーでの入店に手こずるときもあったのですが、やっぱり誰かがちょっと離れたところからでも駆けつけて、ドアの開け締めをサポートしてくれることが多かったです。
 こういったことはいつも当たり前のように行われて、お礼と笑顔を交わし合うこともあったけど、助けてくれた側から「わざわざ礼を言われる筋合いはない」みたいな心意気を感じることもけっこうありました。
 助けられているほうも過度にお礼をせずに、サラッと受け止めているような光景をよく見ました。

 特別な優しさからする行動じゃなくて、普通のことなのかも。

 こういった経験から、私が漠然と抱いていた「人助けは優しい誰かの思いやりの心から発生する、特別な行動」みたいなイメージに対して、ちょっとクエスチョンをするようになったのです。
 確かに、優しさが大きな動機の場合もあるとは思います。でも「特別に優しい人だけが、困っている誰かを助ける」という感覚だけで成り立っている社会だと、助けるほうが相手に施すという関係性にどうしてもなってしまって、助けられる側はつねに低姿勢で感謝しないと失礼であるかのような構図ができてしまうのでは?

 私の場合だと、子育てでベビーカーを使用する期間は限られているとわかっていたので、助けてもらうたびに「ありがとう」と毎回お礼をすることを気にせずにできていました。でも、期間限定だったからこそ、「助けてもらう側」としての振る舞いをとくに負担に感じずできたのかもしれない。
 だけど、たとえば期間限定じゃなく、日常的に車椅子で移動をしなくてはいけない人の場合はどうだろう。どこにお出かけをするにもずっと「ありがとう」と低姿勢でお礼をしなくてはいけないとしたら、それって大変だよね。
 誰かの手を借りないと移動ができないのはその人のせいではなく、バリアフリーに街を設計していない社会に問題があるはずなのに。

 だから私は、助けるという行為にそこまで「親切」「優しさ」に重きを置かないロンドン民の姿勢が好きだなと思いました。必ずしも笑顔や過度なお礼はいらない、もし気が向いたらチットチャット(世間話)なんかをすればいい、みたいな対等な関係性がいいなと思ったのです。

 誰かの「なんとかなるさメンタル」を作り上げる一人になりたい。

 「街にいる知らない人は、自分に関係のない人」という感覚をどこかもっていた私でしたが、子育てをしているといろいろな人がカジュアルに話しかけてくれるので、見ず知らずの人と会話をすることへの抵抗感が格段に下がり、様々なロンドナーと他愛もないおしゃべりができるようになりました。そのおかげか、この街をもっと深く味わえるようになった気がするのです。
 一見コワモテに見えるおじさんが実は孫を溺愛している、とかそういった個々のストーリーをたくさん知ることができ、世界は私が思っているよりも愛にあふれているのかもしれないと思ったり。

 赤ちゃんだった息子が、電車の中で大きな声で泣いてしまったときに、見ず知らずの誰かが「私の子どももこういう時期あったよ」とサラッと声をかけてくれたり、バスでぐずりそうな息子をあやすために愉快なステップでダンスを踊ってくれた人がいたり、実はけっこうな数のロンドナーが子育てってものを応援してくれているんだ、という心強さを感じられるような経験をいくつもしました。

 だから、「お出かけ先で困っても、助けてくれる人がきっといるはず。なんとかなるさ!」のメンタルで子どもと街に繰り出せていた気がします。この感覚は、精神的に大きな助けになりました。

 私も誰かの「なんとかなるさ」メンタルを作る1人でありたいと思う。
 「困っていそうな人を見たら、忍者のように駆けつけてサラッと助けられる人になるぞ!」なスピリットで、今日もロンドンの片隅を闊歩する人間、それが私です。

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