第2回
新井薬師門前のY字路
[ 更新 ] 2026.03.02

江古田の芳花園住宅(前回)の方へ行くバスに中野から乗ると、新井薬師の町を通りぬける。とくに、早稲田通りの中野五丁目の先でグイッと左の柳通りに入っていって、薬師の門前で右にカーブを切って、西武新宿線の駅の方へ裏町風情の通りを進んでいくあたりはバス好きには楽しい。
新井薬師──東の方にある西新井大師と混同する人もたまにいるけれど、こちらの薬師様は、とくに眼病の効能で知られている。寺院名としては梅照院というのだが、本堂の前に置かれた大鉢から線香の白煙がもうもうと漂っていて、この煙を顔にあてると目が良くなる……なんていう噂が僕ら子供の間にも伝わっていた。前回も書いたが、この辺は中落合にいた僕の“ちょっと遠い近所”といった領域で、月の何日かに催される縁日の話を小学校のクラスで聞いたおぼえがある。
毎月8日、18日、28日に行われるという護摩祈願法要の案内が境内に出ていたが、そういえば縁日も8が付く日、だったかもしれない。それから、ここは骨董市でも知られているが、いま朝の6時から始まる市がひと頃はもっと早い夜中からぼちぼちと店が出ていて、懐中電灯を手に宝探しをするマニアの姿を何かの雑誌で取材しにきたことがあった。
この企画は編集部から与えられた資金(2、3万くらいだったか?)で僕も品物を1点買って、「なんでも鑑定団」で人気者になっていた中島誠之助さんが価値を評価する、という試みも含まれていて、確か2万前後で買った伊万里の絵皿(可愛らしい動物が描かれていた)を“2千円かそこらの模造品”と鑑定された記憶がある。
さて、今回の画伯の絵は「新井薬師門前」の道路標示板が出た五差路信号から薬師本尊の方を眺めたショットだ。この絵の背の側でバスがググッとカーブを切って駅方面へ進んでいく。そちらの構図も僕としては捨てがたかったけれど、毎回バスネタというのもナンなのでこちらを選んだ。
美しいY字路というか、三角地帯の尖がった角に現在はケバブの立ち売り店がある。少し前は寿司のテイクアウトだったはずだが、このケバブ屋の赤黄と緑の幌看板がいい感じのエキゾチックムードを放っている。そして、その先の美津和商店というのは中華料理店やソバ屋に卸す製麺なんかを扱っている問屋さんのようで、ここは相当昔から年季の入った2階屋でがんばっている。そういえば、駅の方へ行くバス通りにも昔風の製麺卸しの店があったが、新井薬師にはこういう昭和風情の食料品屋が多い。
この絵の左奥のあたりには、㋚マークの醬油ビンや味噌樽の絵看板を付けた坂本商店というところの古びた倉庫がある。この坂本商店の本拠は中野の方へ向かう参道気分の商店街・薬師銀座(あいロード)の途中にあって、日本各地の名産味噌が並べ売りされている。この店舗のオープンは昭和30年頃だというが、並びには、いり豆屋、履物屋、金物屋……と、昔ながらの個人商店が目につく。
この道から東方の柳通りにかけて、薬師門前の二業地が戦前まで栄えていた、と聞く。柳の並木というのはそういう色町の意味合いも感じさせるが、二・二六事件が起こった昭和11年に色めいた猟奇事件として巷を騒がせた阿部定事件は尾久とともにこの町も1つの舞台となった。阿部定の情人(被害者)の男が営んでいた吉田屋という料理屋(ウナギが名物だったらしい)は芸妓置屋街の西側の入口にあたる、いまの薬師あいロードの一角にあり、定も上京当初そこで働いていたというから、近辺の待合なども使っていたのかもしれない。
おもえば、20年かそこら前までは柳通りの東側に昔の待合っぽい小料理屋が数軒見受けられたものだが、もはや全く面影はない。横道に質屋が1軒見あたるくらいで、小マンションばかり並んでいる。
ところで、新井薬師というと、もう1つ大切な思い出があった。父の葬儀をあげたのがこの梅照院だったのだ。68になる手前だったので、けっこう早逝の方だったが、90年代初めのことである。僕は執筆の他、テレビなんかにもよく出ていた頃だから、人もいっぱいきて、割と派手な式になった。初めて喪主を務めた35、6の僕はあたふたしたが、小川画伯の絵の薬師門前の桜を見て、当時の光景が思い浮かんできた。4月の10日過ぎだったから、散り始めた桜の花が境内の路面に淡い色を放っていた。

