ウェブ平凡 web heibon




第11回

大山に行く・前編 こんなはずでは、の巻

[ 更新 ] 2023.11.01
 目指す待ち合わせ場所は鳥取県、米子駅。10月下旬の夕暮れどき、私はひとり列車に乗っていました。特急やくも、出雲市行き。出演しているBS朝日「そこに山があるから」のロケのため、スタッフのみなさんと合流すべく西へと向かっていたのです。
 今回の山は中国地方の最高峰、大山だいせん。番組が始まったばかりのころ、同行してくださる山岳ガイドさんから「大山、いいですよ、いつかロケに出かけられたらいいですね」と言われていたのですが、あれから一年半、いよいよチャンスが巡ってきました。しかもちょうど紅葉の季節。森は黄色く色づいているかな、最高の景色が見られるかもしれないと、期待が高まります。
 スタッフのみなさんは東京からの飛行機移動。京都から行く私は列車旅。米子まで小旅行かあ、嬉しいな。特急やくも、いい名前だね。以前鳥羽の巻(第4回・第5回)でも書きましたが、列車旅はよい。あのゴトンゴトンとお腹に響いてくる音、車体の揺れやきしみ、車窓の景色にもしみじみとした旅情があります。どんどんと運ばれていくあの感じが本当に好きなんです。
 少し早めに家を出て明るい時間に景色を楽しみたい、乗り継ぎの岡山駅の売店も覗いてみたいし、せっかくだから米子の街も少し探検できたらな。今日のうちに遠くからでも大山が見えたりしたらテンション上がるな~などとかなりの欲張りになってわくわくしていましたが、移動日当日、案の定もたもた、ごそごそとしているうちに時間は過ぎ、諸々の段取りがついて京都駅に到着したのは14時30分。券売機で新幹線と特急指定券を購入しようとしたら、直近の便が46分発という。おおちょうどいいじゃないの! と切符を握りしめ、新幹線ホームに滑り込んできたのぞみ号へと駆け込んだのでした。新幹線と言えば普段の私は東京へ行くばかりなので東向き。西向きホームに行くこと自体新鮮。わーい、嬉しいな。
 デッキから車内へと歩みを進めると、ややっ。私の席とおぼしきところに、もう他の方がくつろいでおられる! あれ? ええと、46分発ののぞみでしょ、それで座席は10のA……、じっくり見てみると、私の買ったのは時間がきっかり1時間後の、10のA席だったことに気がつきました。なんということ! 浮き足立ってちゃんと確認できてなかった。
 巡回の車掌さんにうっかりミスを報告し、お恥ずかしいスミマセン、とお詫びとお礼を言いつつ空いている席に案内してもらいました。すると。
「ピロピロピロピロ」
 なんだろ、誰だ?……おれか。おれのバッグか。携帯の音? いやちょっと違うような。なにか慣れない音がマイバッグから発せられているのです。やかましい。なんだろう? 息子のおもちゃを間違えて持ってきちゃったかな。ごそごそと手を突っ込むと「ピロピロピロピロ、ピロピロピロピロ!」音がどんどんデカくなってきた。ええっ! 何、何? 慌ててデッキへ退避、あっちこっちまさぐると、謎の黒の棒状の物体が底から出てきたのであります。ひー! こ、これはまさかの盗難防止用のセンサータグ。
 デッキを行き交う人がこちらをちらちら見て通り過ぎていきます。まずい! 私は掌でそれをぐっと握り、音漏れを最小限にしながら途方に暮れました。今日おろしたてのこのバッグはネットショップから届いたばかりのもの。お店の方が外し忘れて、一緒に出荷されちゃったってことでしょう。
 万引き犯と思われたらどうしよう。非常にまずい状況下、私は頭を巡らせました。機械だから水につければ? 私は洗面台に走り、黒タグに水をかけました。音漏れを最小限にすべく手はグーのまま、水が充分かかるようにして。頼む、弱まれ! 息の根止まれ! 電気の仕組みに弱い私は、これで感電とかしたらどうしようと思って怖かったのですが、新幹線のなかで不審物発見=不審者発見とかで騒ぎになるより感電した方が100倍マシ。
 しかし、音は一向に止まらない。黒タグは「私はこんなことでは弱まらんぞ!」とピロピロ主張し続ける。おろおろするうち、新幹線のアナウンス。ああ、まもなく新大阪。列車は減速を始めました。乗客がぞろぞろ洗面台の横を通っていきます。みんなが横目でこっちを見ていく。
 そうだ、バッグを買った店に電話だ! 片手にタグを握ったまま、スマホでデパートに電話をかけました。もしもし? あのあのそちらのオンラインサイトから購入したバッグにセンサータグが……新幹線のなかで急に鳴りだして今すごく困っているんです!
「恐れ入ります、お客さま。オンラインサイトの窓口はこちらとは別になりまして……今、連絡先をご案内できますが、なにかメモできるものをお持ちでしょうか」ええっと、手帳手帳……ない! あのごめんなさい、ちょっとものすごく慌てていまして書くものもなくって。その番号は難しいものですか? 「いえ、フリーダイヤルの0120で……●△□●△□、これで終わりです」必死で覚える私。
 言われたとおりに番号にかけてみれば「大変混み合っております……」とよくあるつれない音声メッセージが。そ、そんなあ。
 しかしこれ、このタグ、一生鳴り続けるのか? と天井を仰いだ瞬間、ぴたりと音が止まりました。水没作戦成功? 変な汗をびっしょりかいて、今後どうすれば良いか途方に暮れていたところ電光掲示板に「姫路駅通過」の文字。え、もうすぐ岡山じゃん! せっかくの姫路城、見逃してるじゃん! 
 車窓を楽しむどころでなく、そして岡山の乗り継ぎ時もタグを処分する余裕はなく、私はセンサータグと共に、初めての特急やくもに乗り込んだのでありました。


やくもの車内。応接室がそのまま列車になったよう。

 やくもの車内はシックなカーテンと、上等の織り地に包まれたふっかふかの応接室の椅子みたいなシート。昭和レトロな雰囲気がかっこいい空間であります。居心地いいなあ。とっても落ち着くね。って、しみじみしていたらまた! 何の前触れもなく、また奴が鳴り出しました。潑剌と。一段と活発に。くーっ、私はまたタグを握りデッキへと走りました。今度は10分ほど鳴り、そしてまたぴたりと止まった。
 席に戻って、眺める車窓には美しい夕焼けの空と、きれいな川が見えていました。特急やくもは川沿いを走る列車だったのか。高梁川たかはしがわっていう名前なんだ、ああ、こういうのが見たかったんだよ。ゆっくり座って。せっかくの機会だったのになあ、岡山駅でコーヒー買って、なんて考えていたのになあ。
 せめてもと、車窓の景色を写真に撮り、心を静めようと決めました。こんな日もあるさ。そのかわり、明日はきっといい一日になるよ。(つづく)


米子に着いたらもう日が暮れていました。
SHARE