第6回
どうして春の池は素晴らしいのか、の巻
[ 更新 ] 2023.04.21
宝が池というのは江戸時代につくられた溜め池で、京都市・洛北の自然豊かな場所に位置します。池の周囲は散策路になっており一周が1500メートルほど。大谷幸夫設計の国立京都国際会館(1966年竣工)が畔に佇み、その奥に比叡山を望むことができる、かなり素敵なロケーションだ。ウォーキングやハイキングやランニングをする人も多く、部活の学生さんも往来し、自然学習や遠足で小学生もやってきます。
池にはカメ、コイ、カモやカワウなどの水鳥がいる。池を取り囲む小さな山々にはシカもいる。以前息子もクラスのみんなと見かけたそうで、「友だちがiPadで写真撮ろうとしたら、シカが顔を上げてこっちを見てくれたんだよ!」「めちゃ良い写真撮れたんだよ~」と、鼻息荒く報告してくれたっけ。友だちのラッキーやお手柄、100点のテストを、我がことのように自慢するのは、うちの子ふたりともに良くあるパターンです。こんなのんきな子でよかったよ。
私はここでルリビタキを見たとき、興奮しましたね。瑠璃の名のとおりの青い鳥。まだ若者らしく、5メートルほどの至近距離で地面に降り立ち、こちらを首をかしげながら観察してきます。種は違えど、好奇心旺盛というところでこの小鳥と私は似たもの同士ということがすぐにわかりました。
こういうときは、まず相手に存分に観察してもらうに限ります。リラックスして、できるかぎりじっとしておくのがコツ。あなたに危害は加えませんということを示すのが大事です。これは私の尊敬するムツゴロウさんこと、畑正憲さん方式といっていいでしょう。言葉は通じなくてもコミュニケーションは取れるってことをテレビで見せてくれていたムツゴロウさん。私は今もムツゴロウさん方式を守っていますよ。
生きものたちに「あなたもここにいていいよ」って認めてもらえるのが嬉しい。若いルリビタキと私は、つかの間ゆっくりと向き合いました。冴え冴えとした青の羽根を存分に見せてもらって、大満足したものです。
この日の朝は、息子はテニス教室、娘は二度寝満喫中のため、コーヒーを啜っていた夫を誘い、ふたりで歩くことにしました。結婚して20年。夫は、「歩かないと」「ストレッチしないと」「いよいよジム探そかな」「肩が痛い」「腰も悪い」「もう腐ってきてるのかもしれへん」「ちびまる(私のこと)、世話になったなあ」……と年がら年中ぼやき、嘆息しているわりに、常にのんびりまったりしているように見える。単に腰が重いだけ、と知っている私はいつも気兼ねなく彼を誘うようにしている。こっちが行こうというと、大抵OKなんですよね。
春の朝って本当に美しいものです。特に雨上がりの朝ときたら。澄んだ空気を胸いっぱいに入れるだけで、体の中のくすみが一掃される気がする。緑を眺めると、実際に目の前のもやが晴れたようにすかーっと、すっきりします。そしてそれを映し出すのが水で、とりわけ「池」という存在は空や山、空気すべてをとらえるぴかぴかの鏡となります。
宝が池越しに国立国際会館、比叡山を望む。
こういう風に自然の中に身を置くことが最も自分が健やかでご機嫌にいられる、ということに私はもうずいぶん前、小学生のころには気がついていたものの、縁あって今の職業に就き、そして想像していた以上に長く続けられる環境を与えてもらえたため、あえて気づかぬふりをしていたように思います。
だから東京を離れることを考え始めたとき、賛同してくれる夫、友人、仕事仲間がいてくれて本当にありがたかった。感謝してもしきれません。
ほら見て、あの若葉の見事なグラデーションを! 日ざしを浴びて白銀に光る新芽は、遠巻きに見ると花が咲いているかのよう。山桜は赤茶の新葉とともにふわふわと揺れ、ミツバツツジの薄紫やドウダンツツジの白も野山のトーンを明るくしてくれています。混じりっけなしの、天然自然のパステルカラーだ。
私たちはボート乗り場によじ登ろうとするカメを応援し、なぜか無数のハトに取り囲まれつつ、腰高の柵で斜め腕立て伏せに励むおじさんを遠巻きに見守り、山歩きの同好会のような3人組のリュックのおじいさんたちや、実に同じ笑みを浮かべて歩くご夫妻と犬の3人連れともすれ違い、池に潜ったまま何分も浮上してこないカワウの心配をし、さっきの腕立てのおじさんと見間違えているのか、夫の周りにも次々飛来するハトに「私ら、エサあげる人とちゃいますよ」と断りを入れつつ、ネコが日なたぼっことかしていないかもチェックしたりして、一周楽しく歩きました。
この宝が池はかつて、キングジョーとウルトラセブンが戦った地でもあります。その際は近隣の住人や動物たちもさぞかし肝を冷やしたと思われますが、セブンの活躍のおかげで今は平和そのものの風景が広がっています。
また、来よう。うん、また来よう。