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第8回

貴船で時空がゆがむ、の巻

[ 更新 ] 2023.07.26
 暑い。セミの声も、熱い。
 一体何種類いるのでしょうか。ジージー、シャーシャー、ニーニー、シュワシュワ、ミンミン……今日も朝から大合唱。わが家の周りは木が多いこともあってセミ人口が(という言い方が正しいのかどうかわかりませんが)かなり過密のようです。夕方から夜にかけては、地中から這い出てきた彼らが地面を歩いているため、足元に注意しなくてはなりません。昨晩も小柄な子ゼミが、羽化の場所を求め歩道を横切ろうとしていたため持っていたメモ帳ですくい、植え込みの方へ移しました。前は「抜け殻が動いている!」と、いちいちぎょっとしていたのですが、最近は慣れたものです。
 京都盆地は24時間、むーんという熱気に包まれています。熱せられた地面は冷めることなく、連日の熱帯夜は当たり前。半年前、10年に1度とも言われる記録的な大寒波が京都を襲っていたのが嘘みたい。ついこのあいだ、って感じなのですが。
 そう、今回は実は猛暑の話ではない。私にとって強烈な思い出になっている、この1月末の大雪のころのお話。
 当時は映画の撮影中でした。現在公開中の『リバー、流れないでよ』。ここには真冬の京都がそのまま映し出されています。
 舞台は奥座敷・貴船。ある静かな冬の午後、平和だった貴船に突然異変が起こるところから物語は始まります。貴船神社の鳥居前にある旅館〈ふじや〉にいる人たちが奇妙な体験をし始めるのです。ちょっと前の時間、ちょっと前にいた場所に戻っているような感覚。これっていったい…? 強制的に繰り返される2分間に混乱し始める旅館の従業員やお客さん。原因は? どうやったら戻れる? 恐がる人にふざける人、銘々が勝手なことをやりだして、どたばた右往左往するというSFコメディ。私は旅館の女将、キミを演じました。

 この撮影を全11日間の予定で撮り始めていた3日目、大寒波の前触れのような雪がちらほら降り始めました。ここで降り出すとは。時系列とは前後する形で撮影を行っていた箇所があり、この日は、それらの映像が繋がらなくなるのをカバーするため、脚本家の上田誠さんがひとつの台詞を足しました。《雪の状況を見るに世界線が少しずつずれてきているのかも……》と。
 そもそも、この撮影現場が珍しいのは、脚本家が現場に常駐していたということ。作ったのは京都を拠点に活動する劇団ヨーロッパ企画。演劇人の彼らが手がけたオリジナル長編映画第2弾で、脚本担当の上田さんは、山口淳太監督とともに常に現場の中心におられました。作り方が演劇的なのか、状況に合わせて台詞の微調整や増減が随時行われ、俳優陣が即座に対応していくという、そのキャッチボールのテンポの良さにまずおどろきました。
 降り始めた雪は、台詞をひと言足したことによって、時空がゆがんでいることを示す奇妙な現象のひとつとして機能し始めたのであります。言葉の力ってすごい! 臨機応変、すてき!
 ですがその3日後。さらに、記録的な大雪が京都の街を、貴船の地を、綿布団のようにすっぽり包み込んでしまったのであります。街なかのうちの家の前ですら20㎝の積雪、山あいの貴船の地はいかほどだろうと、ただただ案じるしかない状況。
「スタッフが第1便で現場の状況を確認しに行きます」「到着はしたのですが、道路状況も現地の積雪量も大変厳しく、本日の撮影は中止することとなりました」「今すぐの出発は危険だという判断により、時間を遅らせて様子をみることに」「やはり積雪の状況がかなり厳しく、安全面を考慮した結果本日は中止……」。
 連日の制作陣からの連絡は心が痛かった。日数ばかりが経過していきました。自然現象とはいえ、期間を区切って全力で準備してきたものが止まってしまうのはとても辛いものです。この先どうなるんだろうと不安な気持ちでいましたが、もちろん、スタッフのみなさんも同じ、いや私とは比べものにならないくらいに打ちのめされていたと想像します。時空、ゆがみすぎです。
 しかも1カ月後の撮影再開の日も、まさかの雪! みんな半泣きで、創意工夫を重ねて歩みを進めたことを思い出します。


2月半ば。追撮の日もなぜか雪……

 遅れ遅れとなりやっと3月末に迎えたクランクアップの日の、めでたい夜。
「実はあの大雪のとき、山口監督の心が折れちゃって、僕たち励ましたり叱ったりと大変だったんです」「そもそも監督、あの雪で滋賀に閉じこめられちゃってて」って、プロデューサーの大槻貴宏さんがぽろりと打ち明けてくれたのでした。上田さんもくすくす笑いながら「ほんと、1年越しとかにしなくて、全部撮り終えることができて良かった」「最後はどうか桜だけは咲かないで……と願っていましたよ」と。
 5月の完成披露の日。あの大寒波のなかで、とても重要なシーンが撮影されていたことを私は初めて知ることとなりました。笑ってしまうくらいの大雪が、かわいらしくってきゅんとする世界を作ってくれていたのです。
 このクルーの、ピンチをチャンスに変える力とチームワークの素晴らしさに触れることができて本当に幸せだったと思います。現場の、アットホームな空気感も心地よかったな。出演者でありながら小道具も担当されていたり、監督なのにみんなからファーストネームで呼ばれていたり、演出助手とおっしゃっていたけど誰よりもタレント性がありそうな方がいたり、隙間時間にぐうぐう真剣に寝ている人がいたり、マリオカートがどこまで進んでいるかを自慢したり。どちらを見ても面白いことだらけで。劇団の人たちは、メンバーがいたらそのみんなが集まった場所がホームグラウンドになるんですね。何にも所属していない私の目には、彼らの一体感がとても羨ましく映りました。
 2分を繰り返す映画。ワンシーンを2分きっかり、カットを割らずに一連で撮るっていうのが今作品の絶対ルールだということを知らずに現場入り、初日に衝撃を受けたこと。5秒オーバー! 12秒ショート! カットがかかる度、監督の手元のストップウォッチにみんなの意識が集中したこと。足りなくても多くてもやり直し。愚直に2分を追求するこのこだわりに度肝を抜かれました。14時頃には日が陰るという理由で、2時半起床、3時15分出発という日々のスケジュールも、思わず2度見、3度見してしまいましたっけ。
 でも、でも、その全部が、楽しかった。

 第1弾の『ドロステのはてで僕ら』という作品も時間がテーマですが、これが面白くって家族全員でハマっていたので出演依頼が舞い込んだときは「えっ、ドロステの人と一緒?」「やった、かあさんすごい!」と小5息子に生まれて初めてぐらいに褒められましたっけ。
 息子よ。ドロステの舞台になっていたカフェの人が、おいしいケータリングを貴船に持ってきてくれたんだよ。それをみんなでわいわい食べて、あの「ゼブラダンゴムシ」の話とか、したんだよ!
 6月末から公開されているこのリバー、当初全国20館でのスタートでしたがその川の流れは今も絶えることなく新しい土地、新しい映画館にと広がりを続けています。何と海を越え、他の国にも! 予想を超えた大きな、これも時空のゆがみでしょうか。この暑い夏、どさどさの雪景色と、大まじめのどたばたと、“ゆがみ”を体験したい方はぜひ涼しいこの空間に足を運んでくださいね。


京都出町座にも大きな看板が!
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