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第277回

おはがあわない。

[ 更新 ] 2024.05.11
三月某日 雨
 寒い日。今日の予想最高気温は、6℃。
雨も降ってきて、少しさみしい気持ちになってきたので、スマートフォンに搭載されているお天気アプリを開く。
 行ったことのある都市、いつか行ってみたい都市、行ったことはないが知人が住んでいる都市などを、ここには登録してある。今日のお天気にもの思いを感じた時には、自分が住んでいない、それらの都市のお天気を見ることにしている。
 ニューヨーク、予想最高気温12℃、晴れときどき曇り。
 ムンバイ、予想最高気温30℃、一日ずっと晴れ。
 などの予報を見ているうちに、さみしい気持ちがだんだんなくなってくる。

三月某日 雪
 ここしばらく、悩んでいることがある。
 ポテトチップスについてである。
 わたしは、ポテトチップスは塩味一筋の人生なのだが、その塩味のものほぼすべてに、最近は、化学調味料の味つけがしてある件については、いったいどうしたらいいのだろう。
 たしかに、化学調味料は、おいしい。けれど、塩と油とジャガイモのみの味で人生を送ってきた自分には、おいしすぎるのである。
 化学調味料の似合うスナックには、敵意はもっていない。
 カール。かっぱえびせん。とんがりコーン。その他もろもろには、好感をずっといだいている。
 自然志向などによる無化調へのこだわりも、ふだんはまったくない。
 台所にも、味の素を常に備えているし。
 けれど、塩味のポテトチップスだけには、化学調味料を加えてほしくないと思ってきた人生である。
 もっとも人口に膾炙している数社の塩味ポテトチップスに関しては、その化学調味料性は、もともと黙認(すまぬが、上からである……)していた。黙認したうえで、決してレジにもってゆくことはなかった(さらにえらそうである……)。
 けれど、それらの会社ほど人口に膾炙してはいないが、実直な無化調塩味ポテトチップスを作りつづけてきた会社のうち二社が、この数年でいつの間にか化学調味料を添加するようになっているのだ。
 そんなにも、世の中のポテトチップス消費者たちは、化学調味料のうまみが好きなのだろうか。ラーメンを追求する者たちにおける無化調志向とは反対の志向を持っているのだろうか。
 雪が激しくなり、つもりつつあるのを見ながら、しばらく悩みつづける。

三月某日 曇
 鶏屋さんで、鶏のもも肉を買う。
 鶏もも肉は、油を少ししいて焼き、塩と胡椒をふったものが最も好みなのであるが、今までは鶏屋さんでいちばん安い鶏を買っていた。
 けれど、数日前に悩んだポテトチップス問題以来、塩味関係で何かどでかいことがしたくなり、今日は鶏屋さんにある四段階の値段の鶏の中で、いちばん高い鶏もも肉を買うことに決めたのである。
 しずしずとお金を払い、家に持ち帰り、夕方まで待ってから、焼いて塩と胡椒をふる。
 お皿にのせ、ナイフで切って口に運ぶ。
 噛みごたえ!
 という言葉が、すぐさま脳裏をよぎる。
 よぎりながら、ものすごい勢いで顎を使い、噛みごたえの極致である最上等の鶏もも肉を噛み続ける。
 肉汁がじわじわしみだし、とてもおいしいが、噛みごたえは予想以上である。というか、ふだん顎をきたえていない年をくった軟弱者には、ほとんどついてゆけない噛みごたえである。
 食べ終え、ほんとうに今日はどでかいことができて嬉しかった、と思いながらも、すでに筋肉痛になっている顎をなで、次からはもとのいちばん安い鶏に回帰しようと、ひそかに決意する。

三月某日 晴
 実家に電話。
 突然母が、「そういえば、おはがあわない、っていう言葉を、よくわたしの祖母が言っていたわ」と言う。
「おはがあわない?」
「気が合わない、っていうくらいの意味」
 電話を切ってから、広辞苑を引くが、「おはがあわない」という言葉はない。ネットを調べても、出てこない。
「お歯があわない」「お派があわない」「尾羽があわない」「お刃があわない」など、いろいろ当てはめてみるが、やはりよくわからない。
抑揚としては、「おはが」は「飴が」と同じイントネーションである。
東京日記を読んでいる方で、この言葉を知っている、という方がいらしたら、ぜひ平凡社にお知らせください。ちなみに、母の祖母は、明治はじめの生まれ、東京育ちです。
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