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第275回

山の名探偵。

[ 更新 ] 2024.03.10
一月某日 曇のち雨
 前日に能登で大きな地震があり、たいへんに心配。
 心配しながらも、箱根駅伝を見る。
 五区山登りの区間のつわものを、以前は「山の神」と呼んでいたものだが、去年は「山の妖精」と監督に呼ばれる学生があらわれ、今年は「山の名探偵」とよばれている学生が出現していた。
 たしかに「神」より「妖精」や「名探偵」のほうが、自分ならば嬉しいかも、と思いつつ、能登のことを心より心配しつつ、去年の暮れからひいている風邪で咳きこみつつ、静かに駅伝を見続ける。

一月某日 曇
 電車に乗る。
 席が空いたので座る。
 扉が開き、入ってきた制服姿の高校生の男女が前に立つ。やがて二人ともが鞄から冊子を取りだす。
「国際数学オリンピック」と印刷された冊子である。
 それぞれ熱心に読みふけり、たまに、何か小さな声で言いかわしている。電車の音でよく聞こえないのだが、わたしには理解できない数学関係の言葉だと思われる。
 たとえて言うなら、
「山」「川」「いや、それは水鳥が」「そこは思い切って眼鏡で」といった感じで、他人にはわからない数学的符牒をかわし、壮大な数学的世界を語りあっている……ような。
 感心しきって、ぼんやりと二人を見上げたまま、終点まで。

一月某日 曇のち雨
 髪を切りに行く。
 美容師さんがしてくれた話。
 通っているジムのロッカーには、番号などがなく、場所で覚えるしかないのだが、わからなくなってしまうことも多い。
 だから、ロッカーを使う人は、たいがいキャラクターなどのついたマグネットを持参し、自分のロッカーにはりつけておく。自分は、赤いだるまのマグネットをいつも持参する。
 凝ったマグネットも多く、眺めるのが楽しい。けれど、たまに、郵便受けに入っている、水道工事の会社の宣伝の印刷してある四角い平らなぺらぺらのあのマグネットを、なげやりにはりつけている人がいて、これはこれで、好感がもてる。
 とのこと。

一月某日 晴
 NHKテレビで短篇がドラマ化されるので、番宣のための原作者インタビューを受けに、渋谷のNHKまで行く。
 インタビューが終わってから、ずっと心にかかっていたことを、NHKの人に聞いてみる。
 たぶん五十年ほど前(わたしは中学生くらいだったか?)にNHKで放映された、単発ドラマ、内容は、「マイホームを買うことになった一家の主人だったが、詐欺にあい、結局マイホームは手に入らないことになった、しかし喜んでいる家族に言い出せず、最後はリアカーに家財と家族を積み、『さあ、いまから新しいマイホームに向かうぞ、あと少しだぞ、あそこを曲がったらもうあと少し……』と言いながら、あてどもなく歩いてゆく」、それが実在のドラマなのか、実在ならば脚本は誰なのか、出演した俳優さんたちは誰だったのか……である。
 すぐにNHKの人は資料アーカイブにアクセスしてくれ、それが1974年放映の「あの角の向こう」という題の55分の単発ドラマで、脚本・別役実、出演・西村晃・市原悦子・佐々木愛・ハナ肇・熊倉一雄・うつみみどり・岸部シロー、であることをつきとめてくれる。
 ときどき夢にみるくらい恐ろしいドラマだったのだけれど、何か愉快だった部分もあり、その「恐怖」と「愉快」の乖離感から、自分の妄想かしらんとずっと思っていたのだが、実際に放映されていたばかりではなく、別役実の脚本で、どうしても家族に言い出せない役を西村晃、という絶妙な組み合わせであることを知り、感慨が深い。
 ちなみに、わたしと同じ質問を、十年ほど前にYahoo!知恵袋でした人がいることも、NHKの人は見つけてくれ、さらにその解答が正しいことも、確認してくれた。
 録画などできなかった五十年前のドラマを、今もはっきりと覚えている仲間がいることを知り、かさねがさね、感慨深し。
 家に帰ってから、いつもよりもっとたくさん、能登のことを祈る。
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