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第271回

ひそんでいそうな隅。

[ 更新 ] 2023.11.10
九月某日 晴
 今年の夏はたいへんに暑く、真夏日というものの最長がどんどん更新されているので、どぎまぎする。
 人間であるわたしの動きも、暑さのために非常に遅くなっているのだけれど、人間だけでなくごきぶりの動きも暑さのためか遅くなっており、今年の夏は、噴霧にも丸めた紙筒にも頼らず、ただ数枚重ねただけのティッシュで、何匹ものごきぶりを捕獲した。
 古代から生き続けているごきぶりがこれほど弱っているのだから、わたしが弱るのもむべなるかなと、一日だらだら氷水をすすり続ける。

九月某日 晴
 思いがけないトラブルにまきこまれ、弱る。
 ただでさえ暑さで弱っているのに、ますます弱ってしまい、氷水をすすっても、なかなか回復せず。
 殺戮した幾多のごきぶりの怨霊に呪われているのかもしれないと思い、ごきぶりのひそんでいそうな隅を通るたびに、拝む。

九月某日 曇
 暗闇の中を走ってゆく、壁も屋根もない列車に乗っている、線路のはるか遠くに、ちらちらと街の灯が見えていて、かえって心ぼそい。
 という夢をみる。
 やはり、たいへんに弱っている。
 こういう時にお酒をたくさん飲むとさらに体力を削がれるので、めずらしく、冷やしたビールの小さな缶一本しか飲まずに晩酌を終える。
 自分の克己心に満足し、気力、多少回復する。

九月某日 晴
 友だちの住むG馬県の町にゆき、駅前のホテルに一泊。
 県内一長いという商店街を、友だちとそのまた友だちなど数人で、二時間ほどかけて歩き、商店街の果てにある神社にお参り(ごきぶりの怨霊についても忘れず拝む)。
 いったんホテルに戻りシャワーを浴びてから友だちの家にゆき、句会をおこなう。イノシシと会った、という句があり、句会が終わったあと、その句の作者に、出会ったイノシシの写真を見せてもらう。
「どこで会ったんですか」
 と聞くと、
「すぐそこの川辺です」
 とのこと。商店街から歩いて十数分の川辺である由。イノシシは、大きくなくて、ふさふさしていて、うつむきがちに草むらの中にいたそう。

九月某日 晴
 ここ二週間ほどずっと弱っていたが、昨夜の句会と、そののちに食べた体によさそうな夕食(友だちが作ってくれた。ちなみに、この友だちとは、『東京日記7 館内すべてお雛さま。』一五〇ページに出てきたY田さんのこと。インタビューがご縁で、友だちになった。Y田さんは、糖尿病になりかけたため、コロナ禍の間に三十キロダイエットに成功したという、つわものでもある)のおかげか、すっかり元気になった。
 W渓谷鉄道に乗る。
 今日も暑くて、山道を歩いてたくさん汗をかく。
 帰りの電車の中で、Tシャツがピンクにそまっていることに気がつく。ちかごろ、白髪を黒く染めずにピンクに染めているので、汗をかくと、ピンクの水分がしたたることがあるのだ。
 そのピンクの染まりも、なにか縁起がいいなあという心もちで帰京し、家で冷えたビールをあける。
 でも、ごきぶりのいそうな隅を拝むことは、忘れずにおこなう。
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