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第15回

九州に渡る・後編 あこがれの温泉を訪ねる、の巻

[ 更新 ] 2024.04.01
 ぷつぷつぷつぷつ。32℃のひんやり透き通った温泉に肩まで浸かると、細かな気泡が全身にまとわりついてきました。ぴちぴちぴち、ぷつぷつぷつ。じっとしているとかすかに音が聞こえます。わあ、生きてる音がする。泡は次々に生まれては消え、消えては生まれる。一粒ずつ水面に上がってくるときのふるんっと揺らめく様子のかわいらしいこと。手のひらで肌をそっと撫でると、一気に気泡が浮き上がりました。しゅわっ。
 おお、こんなの初めて!
 ラムネのなかにとっぷり浸かるという愉快な体験を、おんせん県、大分でしてきました。
 ラムネ温泉館。大分県竹田市長湯温泉にある、日帰り入浴施設です。芹川沿いに、背丈の低いおかめ笹に囲まれて建つ温泉施設は、建築家の藤森照信氏が設計したもの。外観は焼き杉の黒と漆喰の白が縦縞になっていて、銅板三角屋根のてっぺんにはなぜか松の木が生えている。絵本に出てきそうなユーモラスな佇まいです。ちなみに名前の由来は文豪・大佛次郎が「これぞ、ラムネの湯だぜ」と言ったのが元になっているそうで(だぜ、というのがいいですね)、ラムネ=炭酸泉のことなのでした。湧き出てきた天然の炭酸水にそのまま浸かれる、珍しい温泉なのです。
 何年も前から雑誌やホームページを見て一度訪ねてみたいと思っていたラムネ温泉は、屋外の透き通った冷泉と屋内の温かい濁り湯の、2種類の違う炭酸温泉が愉しめる想像以上に楽しいところでした。温かい方は見た目にはしゅわしゅわしていないものの、成分としてはしっかり含まれているようで、温まり具合が断然違います。冷泉は体感としてはラムネそのもの、冬に冷たいお風呂なんてと一瞬躊躇しますが、キンキンに冷たいというわけではなく、肌にまとわりつくしゅわしゅわが珍しいので意外とゆっくり浸かることができました。
 敷地内には飲泉所もありましたよ。味見をした息子は「うがっ」、口を押さえて目を白黒。まるで無糖ソーダに錆びた釘と土を混ぜて塩で味を調えた、というようなパンチのある味でした。清涼感は正直感じられないけれど、どうやら胃腸には良いらしい。
 さらに付け加えるならば、気の良い猫がいる。我が家では「当たり猫」と呼ぶ。これは猫好きのみなさんにとってはたまらない情報でしょう。うちの一家は温泉と「ふぅさん」「チャイさん」という猫の愛らしさに魅了され、秋冬の疲れがどんどん取れてゆくのでした。
 おしまいに南伸坊さんのデザインしたロゴ入りTシャツ、トートバッグも購入し満足満足。


ラムネ温泉館入口はこちらです

 さて。前回からの続きです。
 底冷えのする京都を脱出、瀬戸内を航行するフェリー《さんふらわあ》にて別府へ上陸した私たち一家は、九州各地の温泉を求めて年越し車旅をしていたのです。
 旅中、頼りにしていたのは高速道路のサービスエリアに置かれている、大判の無料地図「高速道路ガイドマップ」。私は昔からこの地図の愛用者です。今さら言うまでもないけれど、広範囲が一目瞭然で見わたせるので車旅には欠かせません。片面は高速道路と主要一般道路、JR線、名勝や温泉、国立公園、山の標高なども記された地図、片面には高速の全パーキングエリアとサービスエリアの情報が載っていて、書き込みができるし付箋も貼れる。ぶらぶら旅行するにはぴったりの、頼もしい友となっているのです。
 今回は12日間の旅(恥ずかしながら毎度、取れる限り目いっぱい欲張る日程)。行きと帰りは1泊ずつ船内で、残りの10日をどう過ごすか思案します。行きたいところは山のようにありますが、息子が渇望する鹿児島県、指宿いぶすきの砂むし温泉を全日程の真ん中に定め、そこから前半後半で宿泊地を順番に決めていきました。
 以前仕事で行った大分くじゅう連山のタデ原湿原、熊本の黒川温泉、鹿児島の仙巌園、宮崎のえびの市にたくさんおられる田んぼの神さま「かんさぁ」も、もう一回家族と見たい。一応真冬なので寒波襲来をおそれ、今回は南九州中心に、標高の高いところはなるべく避け、一般道も高速道路も使えるような場所を中心に旅程を組みました。別府、湯布院、長湯(ラムネ温泉)、大晦日は竹田の城下町散策と阿蘇神社にお詣りをし国道57号線を通って熊本へ。元旦は復興の進む熊本城を見学、午後に高速を使って鹿児島市へと向かいました。
 指宿へ行った日は鹿児島湾沿いの道をドライブしました。1月とは思えないくらいのうららかさ。普段暮らしている京都の、きゅっとしたコンパクトな街なみや冬のしんしんと底冷えする寒さと真逆と言っていいくらいの、広々のーんびりした景色が迎えてくれています。車内の会話も、海きれいだねえ、魚釣りとかしたいねえと、のんきなゆるい話題がとぎれません。
 そしてとうとう、砂むし会館「砂楽」に到着しました。よい名前です。
 入り口で受け取った浴衣を纏いサンダル突っかけて海辺へ進んでいくと、大きなテントに風よけのよしずが待っている。テント内はすでにほんのり温かい。係の人に招かれるまま、砂のスキマに3人並んで横たわると、お兄さん、お姉さんが手際よく、でもとても丁寧に黒砂を首から下、全体に乗っけてくれました。小学生の息子にも「重くない?」「熱かったら我慢しないで言ってね」と優しく声かけをしてくれています。湿った温かい黒砂はかすかに潮の香りがして、ふわあ、これが砂蒸しかあと感激する。
 背中がどんどんぽかぽかしてきて、そのうちちりちり、じりじりと熱くなってきます。テント内にかけてある時計をちらちら見る。まだ5分、まだ7分。息子は念願の砂蒸し体験、どんな顔をしているかと思ったらほっぺたをピンク色にしながら、真面目な顔をしています。微動だにしない。と、思ったら「お母さん、まだ?」と小さな声で聞いてきました。もう出たいのかと思ったら「これ、すごくいいね」。気に入っていたんだ!
 ちなみに海も、砂まみれになるのも嫌な夫は、外のベンチに腰かけて待っていました。砂まみれになるのが醍醐味なのに。せっかく来たのにねえ、もったいないなあ。
 湯上がりアイスキャンデーをかじりながら、海岸を歩いてみる。浜辺も湯気が立っています。不思議な景観だなあ……。

 旅行先では次々と名産品も買う。がつがつ買う。米にもち麦、「やっこめ」というコーンフレークのように平たく加工された乾し飯(これがめちゃくちゃ美味しくて便利!)、かぼす酢、お茶……あれ? 食べものばっかりですね。デコポン、サツマイモ。極めつきの一品は、道の駅で発見しましたよ。バナナの木。いえ、正確に言えばバナナの苗。
 おお! バナナだ! 私は興奮して娘に話しかけました。見てふうちゃん、バナナだよ! 「ほんとだ! 小さい苗だね。実が生るのかな?」。そして「真ん中から新芽が出てる、かわいいね」と言いました。本当にかわいい。これはめっけもんだよ。
 買おう! 私が言うと「えっ、本気?」「京都に連れて行くの?」。
 私は植木鉢をつかんで、レジに向かいました。夫は離れた場所で、息子と芋けんぴを吟味しています。買っちゃえばこっちのものだ。車の荷台にはまだ余裕が十分にあります……が、やっぱりかなりでかいな。
 お金を払って、段ボールに植木鉢を填めて、もうひとつの段ボールを上部に連結させて苗が折れないように養生していると、息子が気がついて近寄ってきました。
「おかーさん、それ何?」。うん? バナナだけど。
「えっ!」「かわいそうじゃない?」「寒いよ、京都は」「枯れちゃうんじゃない?」「この子、どんなところに連れて行かれるか知らないんだよ」「大丈夫かな……」。
 常に心配性の息子、実力発揮です。
「邪魔!」と思っているにちがいない夫は、しかしこういう私の突発的な衝動買いには慣れているので、スルーを決め込み、また宿のある鹿児島へと向かうのでした。

 いや、今回は特にだらだらとすみません! このあとも旅は続き、宮崎の極楽温泉経由でまた大分へと戻り、別府港から再びフェリー《さんふらわあ》に乗り込み、大阪港へとバナナの苗をはじめ大荷物を運んだのでした。
 え、バナナですか? 床暖房の効いたリビングから雪景色などを見ていましたが、春が来た今、とてもうれしそうにしている(ように見えます)。


こちらがそのバナナ。京都暮らしに慣れてくれるのでしょうか……
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