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第10回

やばい間違ったかも、と震えてはじまることもある 松尾亜紀子

[ 更新 ] 2024.08.16
 あ、結婚ですか? してません。子どもたちの父親とはパートナーとして一緒に暮らしてますが、籍は別です。同性婚は一刻も早く認められるといいですが、国家が私的な領域に法的に介入する婚姻制度とはなんなのかは問いたい。天皇制と家父長制を温存する戸籍システムも、なくすべきです。

 ……と、いまでこそ、フェミニスト出版社の代表然とした態度で生きているが、ほんの6年前に離婚届を出すまで、わたしは思いっきり法的に「結婚」していたし、戸籍上は相手の姓でもあった。素敵な白いドレスを着るために二の腕を鍛えあげて結婚式も挙げたし、当時勤めていた会社からはお祝い金が支給され、パーティまでしてもらった。せっかくならとやってみた一連のあれこれは、実際とても楽しかった。

 名字の選択も、わたしは三姉妹の長女、相手は三兄弟の長男、うちの九州の両親が菓子折りもって頭下げに行けばこちらの名字にならんこともないが、もういいや、そっちのほうが面倒だ、と最初から投げた。仕事では「旧姓」が使えるわけだし、そもそも今だって父親の名字だし、公的な名前くらい譲ってやりますよと。

 けれども、イベントごとが終わって、役所で婚姻届に印鑑を押すだんになって、自分の手が嘘みたいにブルブル震えたのだった。他人の名前になるなんて嫌すぎる、これは、これまでの名を自ら手放して、主をつくりますというサインだ、わたしはなにをやってるんだと、ものすごい後悔で吐きそうだった。でも、証人としてついてきたお互いの母親がそばでニコニコ笑っていて、いまさら引き返せないと、別の手で無理に押さえつけて捺印した。

 それからおよそ10年間、役所はもとより、病院、銀行、子が生まれたあとは、保育園、小学校その他、仕事以外の公的な場所で「××さーん」と夫の姓で呼ばれるたび、違和感は消えるどころか少しずつ積もっていった。子どもたちはふたりとも最高で大好きだが、同じ名だからという理由で幸せなんて感じず、だからといってそんな理由での離婚もためらわれ、ただ名を奪われたという恨みと後悔があった。

 わたしの改姓は同意のもとだったのだから、恨まれた元夫の人にとってはずいぶんと迷惑な話だった思う。
 結婚して9年後、前の会社を辞めて自分の出版社を立ち上げるとき、会社の代表名だけは戸籍名で登録したくないと、ようやく離婚したいと伝えたら、彼の「家族の関係がこれまでと変わらないなら全然OK!」みたいな爽やかな対応に、タタリ神になる寸前だったわたしは、両者の「これまで」の違いにガクッとなった。

 会社立ち上げの準備中、わずかな期間だけ入った国民健康保険の、これまでの社会保険では自分の名前が入っていた領域に、「扶養者」たる夫の名が書かれている様にも、実際に目にすると衝撃が大きかった。わたしの形相に、市役所のカウンターのおじさんが、ご不満でしょうけど我慢してくださいね、となだめるように声をかけてきて、不満を生む制度だとわかってはいるんだな、とぼんやり思った。
(この話は、松田青子さんの『自分で名付ける』〔集英社文庫〕というエッセイ本に、ある友人のエピソードとして載っているので、そちらも読んでみてください。松田さんは、結婚しないで子を産むし、名前も自分も一貫して他人に渡さない。かっこいい、わたしも最初からこうありたかったなあと思うがしかたない)
 
 さて、わたしのフェミはどこから? という話です。
 結婚してからおよそ1年後に、わたしには、はじめて「わたしはフェミニストだから」と行動する同世代の友達ができた。彼女、Aちゃんは女性たちの運動や活動を教えてくれた。ある日、Aちゃんに連れられ、おそるおそる上野千鶴子さんのゼミを聴きに東大に行ったとき、そこで、まさに冒頭に書いた家父長制と結婚制度の話が出てきた。急に恥ずかしくなって、後ろ手にそっと薬指にはめていた指輪を外して、ポケットに隠したのを覚えている。

 そこからいろんな出会いがあり、編集者としてフェミニズムの本をつくり出した。フェミニズムは知れば知るほど、これまでのアレはこういうことだったんだ! という気づきをくれた。フェミニズムで、自分をたどり直したとも言える。
 生まれ育ったのは、出勤する父親を三つ指ついて見送り、なにを言っても「生意気だと」親戚に薄ら笑いされるような男尊女卑が染みついた土地だった。やっぱりどこかで、結婚はするものと思っていたのだろう。

 10代も過ぎると自分や身近な人が性的な消費の対象とされて、暴力にさらされることが増え、うつうつとして大学の図書館で手に取った本でジェンダーの概念を知って、ものすごく感動した。これだけのことがわかっているなら、これから社会は変わるんだろうと思っていた。まさかそのあと、ひどいバックラッシュが始まるとは知るはずもなかった。

 そして、当然(?)、フェミニズムを知れば知るほど、なんてことやっちまったんだーーーーと、自分の結婚と改姓への後悔は強まった。その後、わたしがわたしの名を取り戻せたことは本当に、心からよかったと思う。

 一方で、フェミニスト出版社をはじめて6年目、書店を仲間たちと営んで、いろんなフェミニストに会って、しゃべって、本をつくって読む日々のなか、いま振りかえると、あの頃の自分は「理想のフェミニスト」像に囚われてしまってもいたんだなとも思う。結婚して、夫の姓に改名しているフェミニストなんてカッコ悪い、しめしがつかない、とイキっていた感じ。誰になにを示したかったのかと笑ってしまう。

 先日、一緒に働くエトセトラブックス店長のt島さんが、わたしやもうひとりのスタッフT花さん(彼女も子がひとりいる)にしみじみと言ってくれた。自分はフェミニズムを知ってから長いあいだ、わたしが子どもを産んで、その父親と育てることなんてないんだろうと思っていた。だけど、身近で楽しそうに、家族の形もそれぞれに子育てしているフェミニストの仲間たちがいて、やってみようかと思ったと。

 自分を失わない、損なわないと感じられていれば、それぞれの事情や思いで結婚しても改名しても、フェミニストであればフェミニストだ(もちろん、その権利を奪われている人たちの存在を知っておくのは必要だし、戸籍制度には反対!)。わたしのあの指輪だって、亡くなるまで金細工職人の現役だった曽祖父がつくってくれたお気に入りだったのだから、こそこそ隠さなくてよかった。

 そして、これも、いまならわかる。これまでの歴史の流れにいるフェミニストたちも完璧でなかったり、失敗したりしながら進んできた。明確なはじまりや終わりはなく、誰かとわたしで続いていくものがフェミニズムのように思う。だから、これからも、笑ったり泣いたりしながら、仲間たちと経験を語り合っていけたらいい。だから、あのときの「あ、やば、なんか間違っちゃったよ」というマヌケな手の震えも、わたしの大事な過程のひとつとしたい。

松尾亜紀子(まつお・あきこ)
1977年、長崎県生まれ。編集プロダクション、出版社勤務を経て2018年に独立し、フェミニズム専門の出版社エトセトラブックスを設立。年2回発行する雑誌『エトセトラ』のほか、小説、児童書、研究書などを刊行。2021年から同名のフェミニスト書店をスタート。性暴力に抗議する「フラワーデモ」発起人のひとり。
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