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第19回

ハーブのもてなし、いろいろ

[ 更新 ] 2024.09.12
「東京の台所」というせいの人の台所を訪ねる取材を11年続けていると、さりげないもてなしのアイデアに感化されることが多い。

 いちばん忘れられないのは、真夏の猛暑日、重いカメラを担いで──最初の7年は自分で撮影していた──やっとたどり着いた取材先で出された、冷たいおしぼりだ。厚めのミニタオルだったので、思わず首筋の汗を拭わせてもらうと、レモングラスの爽やかな香気がスーッとたちのぼる。
「わあ、いい香り!」
 声を上げると、住人の女性は微笑んだ。
「いらっしゃる30分前に、絞ったタオルにレモングラスのアロマオイルを1滴垂らし、ビニール袋で密封して冷やしておいたのです」

 長年仕事で滞在していたのがブータン王国で、の地の名産がオーガニックのレモングラスらしい。「幸福度の高い国ですが、経済状況は厳しく豪華なお土産品はありません。でもあちこちに自生しているレモングラスの香りが素晴らしく、お土産品としてお茶やアロマオイルに加工されています」とのこと。
 山間やまあいの澄んだ空気を感じさせる、凛とした清々しい香りに魅了され、ずいぶん前のことなのに、彼女のブータンの思い出話とともに鮮明に記憶している。

 話は定食屋にとぶが、地元の人に愛される名店のあるじから「定食で最初に口をつけるのは味噌汁です。それがおいしいと全部の印象が良くなる。だからうちは味噌汁に命をかけています」と聞いたことがある。数種の野菜と、コクを出すために豚の背脂を少々足していて、豚汁ではないが食べごたえのある、たしかに忘れられないおいしさだった。
 その流れでいうと、おしぼりはおそらく客が最初に受けるおもてなしだ。あの定食屋の味噌汁のように、何年経っても、ブータンの清々しい香気は、彼女の朗らかな人柄とともに、幸福な記憶として脳に刻まれている。

 以来何年か、私もおしぼりにアロマオイルを垂らして冷やすもてなしを真似ていた。
 ところが安物のオイルを使うからか、どうも香りが弱く、あのお宅のような感動がない。気づいたら、オイルを買い足さなくなっていた。
 あるとき、家でモヒートが飲めたらいいなと思い、ミントの苗をひと株購入。当時住んでいたマンションのベランダの小さなプランターに植え替え、育てた。いや、元々ハーブは強いので、育てたというほど何もしていない。夏に水やりを忘れてしおれかけても、二日目にたっぷり水をかけると、なにごともなかったかのように、昼過ぎには濃い緑の葉を天に向ける。放っておいたようなものだ。
 
 そのうち、よく洗って軽く手でもんで香りを出してから、古道具屋で買った昭和の水差しに入れ、ミントウォーターを作るようになった。来客の際に出すと、目にも涼やかで、汗をふきふきやってきたお客さんは、「ああ、いいですねえ」と小さく驚いてくださる。
 摘んだばかりのミントは香り高く、アロマオイルにはないワイルドな涼味がある。
マンションから越した今は、猫のひたいほどの小さな花壇があるので、ひと株だけ地植えした。
 どんな暑い日にもめげず、どんどん増えるいっぽうのそれは、簡単なカクテルにも大活躍。お酒があまり強くないお客さんには、冷やした白ワインを炭酸水でわってミントを添えたワインスプリッツァーを作る。ブータンのレモングラスとまではいかないが、東京でもミントさえあれば、案外簡単にもてなしのサプライズは作れるものだ。
 
 そうそう、私は花屋で月5回好きな花をもらえるサブスクをやっているのだが、夏はどうしても枯れるのが早い。ちょっと緑がほしいなというときはミントを摘んでくる。
 まったく花がないときは、陶器のつまようじ入れにちょこっとミントだけ飾ることも。玄関からリビングに通じる小さな出窓に置くだけでも、空間に表情が生まれる。

 あのレモングラスの冷たいおしぼりの女性のように、さりげなくお客さんに喜んでもらえるすべをたくさん知っている人に憧れる。
 ちなみに冬は、熱いお湯をそそぐだけのミントティの出番がある。万能ハーブは一年中、大活躍なのである。

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