第15回
なにはなくとも稲荷ずしの皮
[ 更新 ] 2024.07.11
今も、人を招いたり誰かの家を訪ねたりする予定のあるときは、念のため買い置きをする。他のものを作れるかもしれないが、万一ギリギリまで仕事の手が離せなかったり、作る元気がなかったりという不測の事態に備えておくお守りのようなものだ。
だいたい10枚入りで、私は2袋買う。賞味期限は1カ月以上。しっかり甘辛の味付けで、化学調味料不使用のものもある。
すし飯を詰めれば出来上がり、重箱に詰めると映える。すし飯に柚子の皮を混ぜたり、そぼろ入りと鮭ごま入りの2種を用意したり、皮作りの手間がないので、具に手をかけられる。
すし飯に混ぜ込むのではなく、蒸しエビやサーモン、じゃこ、牛肉のしぐれ煮、でんぶをトッピングしてもきれいだ。
最近気づいたのだが、稲荷ずしを嫌いという人はあまりいない。あのに含めた茶色の楕円形があると、宴の半ばくらいで「ではひとつ」と手を伸ばす。とくに男性は、食べてくれる率が高い気がする。稲荷ずしは日本人のDNAにご馳走としてすり込まれているのかもしれない。全く手がかかっていないのに、ひどく感謝されてちょっと後ろめたいのだが。
だから、子どもがらみの集まりが多かった頃“なにはなくともいなり寿司の皮”は、冷蔵庫の守り神、究極のお助けグッズなのであった。
長野に住む私の母は、昔から時短の新製品が大好きで、便利そうなレトルトの素や「◯◯の素」と冠された加工品、即席でできるルゥ、ちょっと贅沢なインスタント麺、湯を注ぐだけでできるスープなどのCMを見るとすぐ試す。
そして、自分がいいと思ったものは、大量に送ってくる。無神経な私はそれがありがた迷惑で、「子どもにはだしから作りたいから送らないで」「無添加にこだわっているから」とぞんざいにしていた。
今思うと、自分も幼い頃はそれらをおいしいおいしいと言って食べていたわけで、母は私や妹の喜ぶ顔を見たくて買ってきたのだと思う。もちろん自分の時短のためでもある。働いていようといまいと、育児や家事は待ったなしの24時間営業だ。あのときの母には、気持ちを軽くしてくれ、おいしくて助かる日々に必要な食材だったのだろう。
そのならいで、娘の料理の手助けになればと親心で送ってくれたのに、申し訳ないことをした。
新米母時代は頭からインスタントや加工食品は悪と決めつけていたが、稲荷ずしの皮のように、便利でおいしいものはたくさんある。頭でっかちだったなあと反省している。
ところで、稲荷ずしを張り切って重箱に詰めることも減ってきた最近は、三角に切ってきつねうどんにしたり、チーズを挟んでトースターで焼いたり、短冊に刻んで青菜とあえたりしている。
ライフスタイルや家族構成、年齢によって、楽しく使い方が変化する便利食材。考えた人に感謝状を贈りたいくらいだ。そして十人十色のお守りを、聞いて回りたいものである。