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第10回

気の利いた手土産の正体

[ 更新 ] 2024.04.11
 ある4月の昼下がり、ツレヅレハナコさんが、忘れ物を取りに拙宅にいらした。ちょうど家の前の桜が満開なので、簡単な昼ご飯を作った。タコライス、ネギチャーシューと切り干し大根のサラダ、ベーコンと菜の花のキッシュふう、漬物。
 食をテーマに文筆業をしている彼女と「気の利いた、もらって嬉しいと思われる手土産を贈るのは難しい」という話になった。おいしいものをたくさん知っている彼女でもそうかと驚いた。

 私は手土産選びが下手だ。甘いものが苦手な人にチョコレートを贈ってしまったり、同じものでもちょっと高いほうにしたら絶対喜ばれるとわかっているのに、変なところでケチってやっぱりあれにすればよかったと後悔したり。

 食べ物ではないが、とりわけ忘れられないのがフランス帰りのバラマキ土産にと、現地で惚れ込んで買ったスポンジ型のテーブル拭きである。
 フランスの台所を訪ねる取材では、どの家庭でも肌色のセルロース素材のスポンジをシンクまわりやテーブル拭きに使っていた。
 水をよく吸い取り、絞ると次の日にはカラカラになっている。場所を取らないし干さなくていい。これは便利と大量に買いこみ、仕事で会う編集者やカメラマンに配った。
 ところがいざ自宅でも使ってみると、翌日になっても乾かない。それどころか、1週間もすると黒いカビが生えてきた。
 日本の湿度を忘れていたのである。フランスは乾燥しているから、あの「カラカラ」が成立するのだ。
 使い勝手も試さぬまま衝動買いをするとろくなことがない。食べ物も同じだ。味も知らないのに、人に差し上げるのはリスクがある。

 相手の負担にならず、必ず喜ばれる手土産を選ぶのは難しいだけに、そういうことがサラッとできる人のことは長く印象に残りますよねという話で終わり、お茶を飲んで彼女は帰っていった。

 それから原稿のひと仕事を終え、夜になった。
 タコライスの具材の残りはあるけれど、またあれを食べるのは嫌だな。かといって、昼間張り切って台所に立ったし、またなにか作るのも億劫と思い、はっとした。
 ハナコさんから、「午前中、中野に寄ったので」と、当地で評判の肉まんと焼売をお持たせでいただいていたのだ。そうだ、あれがあるではないか。
 私は上げかけた腰をおろし、原稿のふた仕事目に手を付けた。夕食の支度をしなくてよいので、予定より捗った。
 しばらくすると、家人が帰宅。彼にはタコライスを作り、私は肉まんと焼売を頬張る。

 思わずハナコさんにLINEをした。
〈例えばランチでお邪魔した家に、夕食の代わりになるものを手土産にするって、いいアイデアだわ!と思いました。同じものを食べなくてすむし、楽ちんだし〉
 彼女は無意識に最高の手土産を持参していたというわけである。
 と同時に、懐かしい記憶が蘇った。長四角の箱にぎっしりつまったドーナツの箱を。

 著書に書いたことがあるが、かつて、同じマンションのママ友と仕事が忙しいときに子どもを預けあった。夜遅くに迎えに行く際、ちょっとしたお礼がわりの手土産を渡すのもいつしか恒例に。
 あるとき、我が家に子どもを迎えに来た彼女がミスタードーナツの箱をくれた。「明日の朝ご飯にどうぞ」と。オールドファッション、エンゼルクリーム、フレンチクルーラー……いろんな味がたっぷり家族4人分ある。

 よその子が来れば、喜んでもらおうと多少張り切って夕ご飯を作る。その疲れを見越して、明日の朝は台所に立たなくてもすむようにという気遣いがドーナツなのだと手に取るように伝わってきた。子どもたちから歓声が上がる。
 以来、預けあったときのお礼は互いにミスタードーナツになった。手土産を探し回らなくてもすむし、近所のミスタードーナツは23時まで開いている。小さな子がいる家では必ず喜ばれるし、渡す方も気が楽だ。子どもの預けあいなど、気張ったお礼を差し上げたら負担になり、次に預かってほしいと言いづらくなる。あれは、本当に良いシステムだったと今でも思う。

 つまり、どんな店の何が喜ばれるかということ以上に、差し上げる人の数時間後を想像すると、案外気の利いた手土産に近づけるのではないか。
 素敵な手土産の情報は巷にあふれているけれど、後者のように相手の心情に寄り添うのは、想像力だけが頼りだ。チェーン店のおなじみの味でも、想像力の賜物はこうして十数年経った今でもあたたかな記憶として胸に残っている。

 蒸してホカホカ湯気の出るずっしりと重いこの日のジャンボ肉まんも、きっと何年経っても忘れないだろう。









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