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第9回

800円のすごい皿

[ 更新 ] 2024.04.11
 上京した年に適当に買った一枚の器が、33年間・転居9回を経た現在も、週に1度は食卓にのぼる。夫に至っては料理するとき、必ずメインディッシュにこの皿を使う。だからどの家に越しても、食器棚の大皿コーナーの取り出しやすいいちばん上に置かれている。
 気に入っているとか好きとかいう感覚ともどうも違う。使い勝手が抜群、その一言に尽きる。

 なのに今、私はこの皿の絵柄をどんなに考えてもぼんやりとしか思い出せない。“藍色の長四角のあれ”が、ふわっと頭に浮かぶだけなのだ。
 日常使いの優秀な器というのは、案外そんなものかもしれない。ディティールを忘れるほど、使い手の毎日に溶け込む。空気のように存在感を消し、料理の引き立て役に徹するものなのかも。

 そんなわけで、今、初めてゆっくり観察している。
 驚いた。こう書いては作り手に申し訳ないが、武者小路実篤の「野菜図」の、少々出来損ないのような具合なのだ。あんなに使い倒しているのに、こんな絵柄だったとは。

 8×27センチの変形八角形。長方形の4つの角が取れ、八角になっている。縁には斜めの傾斜があり、測ると深さは4センチある。左右に小さな持ち手がついている。絵柄は、白地に藍の染め付けで、中央にねぎとさやえんどうとかぶ。そのねぎの根もとは大根のように太い。大根を描いている途中で、ねぎに変更したんだろうか。
 価格は800円くらいだった。

 右も左もわからぬ東京の、千代田線の終点・綾瀬駅でひとり暮らしを始めたとき、駅前の古い洋品店が閉まった。店舗が空くと、いかにも次の店が入るまでのつなぎという体(てい)で、数日ごとに乾物屋になったり、竹細工の市になったり出店者が変わった。今でいうポップアップストアだが、そんなおしゃれな感じではない。
 たまたま「掘り出し物市」のような暖簾(のれん)がかかった、雑多な陶器屋の日にふらりと入り、思いつきでこの八角形の中皿一枚と豆皿をいくつか買った。豆皿の値段は忘れたが、中皿の「800円くらい」は、千円なら絶対買わないし500円よりは高くて、それでもひとり暮らしの自分には贅沢だと思う価格帯だったので覚えている。
 豆皿はどこかのタイミングで、古道具屋の印判の皿に入れ替わったが、中皿はどこまでもついてきてくれた。

 改めて観察すると、この皿は、長く使える器の条件を多々教えてくれる。
 まず、長方形というのは抜群に使いやすい。オムレツ、焼き魚、春巻き、厚揚げのチーズ焼き。楕円や長四角や細長い料理の収まりが良く、映える。チンジャオロースーのようにピーマンやたけのこの細切り食材が入る中華も長方形に合う。丸皿以上に大きな角皿は何でも引き受けてくれる。
 ただし、角に丸みがあるか、私のそれのようにゆるやかな八角形になっていることが重要だ。漆作家の長方形の角皿を作品展で買ったことがあるが、粗忽(そこつ)なため、狭い食器棚から取り出すときに角が欠けてしまった。

 陶器市、器のショップ、ギャラリー、窯元、作家のアトリエ。さまざまな場所で器を買ってきた。振り返って言えることは、器を買うとき、どんな料理が似合うか、自分の家の食卓に合うかを考えがちだが、しまうときのことを先に考えたほうがいい。
 収納場所はあるか。スタッキングできるか。取り出しやすく、しまいやすいか。食器棚のスペースは限られているので、重ねて収納できるかどうかはとくに重要である。

 暮らしに余裕ができてくると、前述のようにはりきって、作家の一点物の個性的な皿を買ったものだが、スタッキングできないのでいつしか使わなくなり、人に譲ったり、奥の方にしまいこんだり、活躍の場が少なかった。
 北欧のイッタラやアラビアが人気なのは、デザインとともにじつは収納しやすさも、隠れた魅力ではないかと思う。

 それと色味だ。
 藍色の食器は和洋中、どんな料理もおいしそうに見せてくれる。卵の黄色や人参の朱色、肉や魚の茶色など料理は暖色系が多いので、補色の青にのせると生き生き引き立ててくれるからだ。有田や伊万里も青が多い。
 食事の最後に、苺をわさっとのせることもあるし──赤が映えるのだこれが──、三角にカットしたピザをワンピースずつ交互に並べることも。

 深さも忘れてはいけない。「鉢」というほど深くはない、けれど平皿でもないわずかな縁つきの深さは、使用頻度を格段にあげる。我が家は焼きそばやあんかけ、つゆだくの肉野菜炒めもこの皿を使う。縁を使うと、ぽろぽろしたものもつかみやすい。ちょっとした汁物もいける。中途半端かなと思うような深さがちょうどいいのだ。

 その後私は結婚し、フリーランスライターとなってさまざまな窯元を訪ね、陶芸家を取材し、前述のようにプライベートでも益子、清水、小鹿田(おんた)、小石川、砥部と旅をしてお気に入りを一つ一つ増やしていった。
 どれも大好きで愛しているのだけど、いちばん使っているのは名もなき大量生産の、33年目にしてやっと絵柄を覚えてもらえた推定800円の皿という人生の不思議。
 この器も、まさか数枚の硬貨で買われたあのとき、30年以上もフル稼働させられるとは思ってもいなかったろう。家族が一人増え二人増え、四人の主菜まで担わされるとは。

 有名無名は関係ない。台所にひとつ、角が取れた長方形のやや深い皿があると、重宝する。この皿にはこんな料理をとすぐに思いつかないような個性弱めが、万能選手の条件である。
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