第6回
映画『PERFECT DAYS』と中勘助の小説
[ 更新 ] 2024.02.22
浅草の古い地下街の一角。簡素なテーブルと丸椅子は、買い物客が行き交う通路にはみ出している。
映画『PERFECT DAYS』で、役所広司さん演じる主人公の平山は、ほぼ毎日夕食をそこで済ます。座ると、何も言わなくても大将が焼酎の水割りらしきジョッキと、突き出しらしき小皿を出す。「らしき」というのは、平山はニコッとするだけで、オーダーをしていないからだ。いつものあれねという感じで。ソーダ割りかもしれないし、突き出しではなく、煮付けかもしれない。
あてをつまんでは、一杯をいかにも旨そうに飲みほして、さっと帰る。お会計は小銭に見えるから、本当に安いんだろう。
それだけのシーンなのに、登場するたびに「いいなあ」「あんなふうに顔を見ただけでいつものが出てくる店で、飲んでみたいもんだなあ」と見入ってしまう。
休日は、ちょっと贅沢をして、着物姿のママ(石川さゆりさん)がひとりで切り盛りする小さな飲み屋が行きつけだ。青菜のおひたしやきんぴらの大鉢がカウンターに並ぶ。アップの映像はないのに、そのおいしそうなこと。よかった、平山はここで栄養を取っているんだなとほっとする。
大きなできごとは何も起きない。
監督はヴィム・ヴェンダース。小津安二郎に影響を受けていると知らなくても、自然にわかる。小津映画がそうであるように、なんでもない日常を淡々と描く世界観、起伏のなさは好みがわかれるところだろう。
私はのっけから魅了されっぱなしだった。
小津でもヴィム・ヴェンダースでも、入り込めない作品は過去にあったのに、どうしてだろうと思うとき、あの二軒の店が浮かんでくる。質素な食のルーティン。その中に宿るささやかな幸せ。私にはけして手に入らない時間を平山は持っている。
この憧れには、おぼえがある。中勘助の短編小説『島守』だ。ある男が、わけあって湖の小島で初秋を過ごす。世俗から離れ、無人島で送る質素な毎日が淡々と日記風に描かれていた。
朝、米を炊き、浪華漬(なにわづけ)という大阪発祥の粕漬けの瓜を木桶から引き上げ、ほんの少し切って茶漬けにする。残りは再び大切に桶のなかに埋める。発酵の進んだ酒粕のほのかに酸味の混じる香りや、歯ごたえまで行間から聞こえてきそうなほど。男は、次の日のその次の日も、そんな朝食をこしらえる。
あれも食べたこれも食べたと、賑やかに報告されるインスタからは絶対に感じられない、想像力だけが生みだせる旨い味。
ひょっとしたら、ヴィム・ヴェンダースは中勘助を読んでいるのではないか。いや『島守』は翻訳されてないか。
『PERFECT DAYS』は、大入りだという。役所さんがカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を取ったからもあるが、それだけではないだろう。
足るを知る生活に対する憧憬。先人たちはこういう質素な食や暮らしを営んできたという懐かしさの遺伝子が、私たちの体に組み込まれているからではなかろうか。私がなんの事件も起こらない島守の男の自炊の風景を、今も忘れられないように。
映画鑑賞後、もう一度『島守』を引っ張り出してきて読み直した。うん、やっぱりこの白いご飯に浪華漬は旨そうだ。
真似して久しぶりに白米を炊き、大事にとってあった「雲月」の小松こんぶをのせてみた。昼食を3日連続それにしたら、4日目の夜には近所のバル(第5回「あの店の秘密は意外なところに」)に行きたくなった。黒板に手書きされた生ハムチーズトーストやラザニアを食べたくてたまらない。
映画も小説も。もう絶対に環れない世界があの卓にあると知っているから惹かれるのだなきっと。