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第7回

60円のギルティ・プレジャー

[ 更新 ] 2024.03.14
「あー私、とんがりコーンって言葉、10年ぶりくらいに耳にしました。懐かしいなー」
 取材の移動中、車に同乗していた若い女性編集者に言われた。息子が、たしか小学生の頃。
 留守番していた息子が、「友達が遊びに来たから、棚の上にある菓子を食べていいか」と電話をかけてきたのだ。

 ふだんは、食べすぎないよう余分な菓子は棚の上のかごにしまってある。人が来たときや、何も菓子のストックがないときに手を出す緊急用だ。
「とんがりコーンならいいよ」という私の返事を聞いていた編集者が、冒頭のようにつぶやいたというわけだ。

 独身の彼女に、得意顔で言った。
「じゃあ、この言葉も久しぶりでしょ。赤白帽、連絡網、おっとっとにぷくぷくたい」
「おっとっと! とんねるずが宣伝してたあれ。まだあるんですか」
 笑い声が車内ではじけた。

 人生のある時期、スポッと抜け落ちていて二度と出会うことはないだろうと思っていた言葉と、不意に再会することが親になるとよくある。
 駄菓子屋は“再会の宝庫”で、子連れで越してきた家のそばにあり、初めて立ち寄ったときは大興奮した。子どもには「200円以内ね」と言いながら、私は次々と甘いのやしょっぱいのや酸っぱいのをザルに入れる。
 値段を見ずに買える、これぞ大人の至福だと。「ママ、ずるい」と言われても意に介さない。「欲しかったら稼いで自分で好きなだけ買えるようになりな」と小学生相手にマウントを取る。

 近所の駄菓子屋は、駅から自宅までの道中にあった。
 店主のおばさんの孫と、我が家の娘の年齢が近く、しょっちゅう小児科や保育園情報について立ち話をした。子どもと週末に行くが、私は仕事帰りにもこっそり寄った。
 そこで必ず買うのが、ぷくぷくたいであった。

 名糖産業のエアインチョコで当時1個60円(現在は標準小売価格70円。それでも安い!)。たい焼きの形をしたサクサクのモナカの中に、気泡を含んだチョコレートがぎっしり詰まっている。これもホロホロした軽い食感で、全体にしつこくない。100カロリー足らずなので、夜遅くに食べても大丈夫と自分に言い訳をして、子どもが寝たあと手を伸ばした。どうかすると2個目を開けかけてしまい、さすがに罪悪感に襲われ、パリンと尻尾だけ食べて翌日のお楽しみにすることさえあった。
 発売は私が24歳のときで、正確に言うと「再会」ではない。間違いなく私にとってあれは、子どもを生まなければ出会えなかったギルティ・プレジャーである。

 以前、雑誌の「買い物ついでに買っちゃうおやつ」という企画で、これを挙げたら、編集部が歴史を調べてくださった。発売当初は鯛の向きが逆だったという開発エピソードを聞き、よけいに愛着が湧いた。「魚を皿に出すときは、顔は左向きだ」と上司に指摘され、変更したという。駄菓子には駄菓子を作る人たちの、愛と思い入れがある。

 毎回、おいしさにもれなく感動する。たった60円で、大の大人までこんなに幸せな気持ちにしてくれるとは、日本の駄菓子の実力に頭が下がる。
 ぷくぷくたいというネーミングも、発するだけでなんだか福々しい気持ちになり、秀逸だ。

 あれから長い歳月が流れた。
 息子は一児の父になり、駄菓子屋のおばさんは亡くなり、店のあった建物はおしゃれなビルに建て替わった。生ジュース屋、古着屋と変遷、今はドーナツ屋さんである。

 一昨年、息子が住んでいるベトナムに行った。ビルやホテルの間に、プラスチックの小さなイスにすわってお年寄りが店番をする駄菓子屋が点在していた。
 店は変わらずあるのだけれど、自分の人生がそこから離れたり近くなったりする。この国にも、不意におとずれた再会に嬉々とし、子どもに隠れてこっそり夜中にささやかなギルティ・プレジャーを楽しむ大人がきっといるんだろうな。そう思ったら、ベトナムという国がぐんと身近に感じられた。

 駄菓子屋がなくなってから、ぷくぷくたいを一度も食べていない。もう子どもは巣立ったので、隠れて食べなくてもすむのに。
 さみしく思っていると、次の再再会のチャンスが巡ってきそうなことに気づいた。孫がもうすぐ2歳になる。私が駄菓子屋のおばちゃんになって、持っていってあげようか。ソラドンキ羽田空港店で買えるらしい。孫のためではない。異国で育児に奮闘している義娘の、夜の後ろめたい喜びのために。







 





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