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第12回

かわいそうな私の紅茶

[ 更新 ] 2024.05.23
 一日数十カット撮らねばならない書籍の取材・執筆を担っていたずいぶん前のこと。朝からハードなスケジュールが続き、カメラマンやデザイナーなどスタッフも疲弊していた。夕方過ぎにはみなの口数が少なくなるような日が三、四日続いた頃だったろうか。ある女性編集者と交わしたなんでもないやりとりを、私はいつまでも忘れられずにいる。

 インテリアの撮影中。隅のテーブルにドリンクコーナーがあった。合間に、インスタントコーヒーや紅茶、好きなものを自分で淹れて飲む。ずぼらな私は、マグに紅茶のティバッグを入れっぱなしにしたまま飲んでいた。そのたび、マグの中でティバッグが口元に寄ってきて邪魔なのだが、取り出すのが面倒くさい。ひと口ふた口飲んでは、撮影現場に急いで戻った。ティバッグは水分を含んでいるので、そのままゴミ箱に捨てられない。小皿に置いて乾燥させるひと手間も惜しい。結果、入れっぱなしなのでだんだん紅茶は濃くなり、最後はひどく渋くなる。

 あるとき、口元でティバッグをよけながら飲んでいると、前述の彼女が驚いて私のマグをそっと手に取った。そして、マグの持ち手にティバッグの紐をくるんとひと回し掛けて言った。
「こうすると渋くなりませんよ」
 取っ手に紐を巻き付け1回交差させることで、ティバッグが固定される上、高さが調節されるので底まで沈まず、いい塩梅の濃さを保てる。
「大平さん、いつもドボンと沈めて飲んでたんですか」
「うん」
「かわいそうに。最後はめっちゃ濃くなっちゃったでしょう」
 もう10余年経つが、ティバッグの紅茶を飲むとき、紐をマグに引っ掛けながら、いつもほんの一瞬、あの「かわいそうに」を思い出す。
 こんなにしんどい現場で、いつも渋い紅茶を我慢して飲んでいたなんて。よくがんばりましたねとでもいうような、いたわりのこもった「かわいそうに」だった。
 彼女は最後に体調を崩し、現場に来られなくなった。挨拶らしいこともできなかったが、こういう些細なことに気が付く繊細な人だったからではないだろうかと、今になって思う。ティバッグのなんでもない紅茶一杯でも最後までおいしく飲みたい、人にもおいしく飲んでほしいと思う人だから。

 ちなみに私は、朝のコーヒーについて家人から「たのむから淹れてくれるな」と言われている。
「いつも慌ててお湯を注ぐからシャビシャビの水みたいなコーヒーになってまう。俺が淹れたほうが絶対旨いから、やらんといて」と。
 たしかに家人は、そーっと細い湯の糸を回すように、時間をかけて少しずつ大事に注ぐ。悔しいが、味は雲泥の差だ。同じコーヒー豆なのにこうも違うかと思う。

 そのうえ私は忙しいときパソコンの前でカレーを食べてしまうし、チョコレートの包装をきれいに破れず、早く食べたいあまり、真ん中の変なところからビリビリ破いてかぶりつくことも。誰に見られるわけではないが、こういうふるまいが無作法でつつしみがないことだけは自覚していて、少々の罪悪感もまとわりつく。

 この連載は「自分の味の見つけかた」というタイトルだが、味だけではなく、食を前にした自分のありかたもふくまれるのではないかと思っている。それは、つつしみをもって食を楽しむことであり、ひいては“ていねいに暮らす”ことにも通じるかもしれない。
 どんなにおいしい料理をこしらえても、無作法はいけない。
 紅茶を茶葉から淹れる時間はいまだにないけれど、ティバッグを最後までおいしく飲める方法を教えてくれた彼女にいつか会ったら、小さくお礼を言いたい。

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