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第17回

達人ヨシさんの差し入れ術

[ 更新 ] 2024.08.08
 ヨシさんというご近所友達がいる。彼女の差し入れのセンスはずば抜けている。素敵な差し入れについての私のエッセイの、ネタ元の多くがこの人だ。24年の付き合いになるが、そのセンスが毎回粋で、いまだに驚き続けている。
 気負わず、気を遣わせすぎず、もらったらもれなくありがたい。思わずアイデアを真似したくなる。
 そういう差し入れを24年もできる人というのは、なかなかいないのではないか。
とりわけ印象的だったものをいくつかを挙げたい。

 まず、ドリップコーヒーのポットである。拙宅のホームパーティの差し入れだった。重いポットは、ご近所ならではだ。
 人をたくさん招いたとき、食後のコーヒーを豆から挽いてフィルターでドリップし、人数分出すというのは、結構面倒なものだ。デザートタイムは、食事の器の片付けもあれば、スイーツの取り分けなど案外忙しい。ヨシさんは自宅でブルーマウンテンを10人分ほどドリップしてポットに詰めてきた。
 ポットは持ち帰るので、私は片付けるものもない。あの熱々コーヒーは本当に嬉しかった。
 デザートタイムがブルマンの芳しい香りに包まれると、それだけでぐっと宴が締まる。心からの「おいしかったね」で終えられる。

 ちなみに「おもたせ」は手土産を指す。あのポットはまさに、おもたせではなく「差し入れ」の象徴だった。次の差し入れも、やっぱり手土産というより後者がしっくりくる。
 今年の春先のある平日。
「桜がきれいだから、今晩見においでよ」と当日ラインをした。
 こういうとき、招く側は料理らしいものは作らない。チーズやピクルスやドライフルーツなど、切るだけ、並べるだけの簡単なものを並べてつまみにする。ごちそうを作りあっていたら、いつしか負担になり、誘い合わなくなっていたかもしれない。
 しっかり食事がしたいときは、そのあと店に行くことも。しかし、だいたいアペリティフのようなものを延々楽しんでお開きになるのがつねである。

 その日彼女は、仕事帰りにクラフトビール数缶を携えてやってきた。近所に酒と輸入食品にこだわったスーパーがあり、そこに立ち寄ったのだ。持参の地ビールは、コンビニでは買えないちょっと珍しいものばかり。駅からの道にはコンビニもあるが、その“ちょっと珍しい”が、いつもの夜を、花見らしい、“ちょっと特別なもの”にしてくれた。

 ささやかなことだが、ビールから、彼女の「お花見が嬉しい」が伝わってくる。ふだんはコンビニビールも差し入れし合う。TPOの機微に感じ入った。
 彼女もワーキングマザーで忙しいので、差し入れのために遠くまで足を伸ばしたり、事前に取り寄せたりは難しい。関係性が近いだけに、それをやられたら私も次に気軽に差し入れができなくなってしまう。
 そのバランス感覚も絶妙だ。

 また、「親戚からのおすそ分け」といって筍をくれたときは、アク抜きをしてジッパーに入れてあった。濡らしたキッチンペーパーにはさんだ新芽も添えられていた。
 有名などこかのスイーツももちろん嬉しいが、ヨシさんは、なんでもない日常の「あるとちょっと嬉しい」を心得ていて、自分でさり気なくひと手間を加える。豆を挽いたり、アク抜きしたり。こちらは、いただいたらすぐ使えるのでありがたい。
 彼女のギフトの多くには、「すぐ卓に出せる」嬉しさも含まれているから印象に残るのだと思う。

 そういえば昔、「みょうがを切らしちゃったんだけど、ある?」とメールがきた。理由は忘れたがなぜか私の家にはたくさんあって、もてあましていた。取りに来た彼女に分けると、1時間後。冬瓜のスープを家族分鍋に入れて持ってきた。
「このスープはトッピングにみょうがが欠かせないの。さっきはありがと」
 食べて驚いた。好きな冬瓜にそんな食べ方があったことと、みずみずしいおいしさに。

 あらためて辞書を引いて気づいた。「差し入れ」の意は、「慰労や激励などのため、飲食物などを届けること。またその物」(大辞泉)。ヨシさんとは、長男がおない年で、付き合いはそのまま共に働きながら子育てをした歳月と重なる。大忙しのホームパーティも、ふだんの夕食に足すひと品も、仕事終わりの花見も、心からの「おつかれ」の気持ちが差し入れから伝わるから、忘れられないのかもしれない。








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