第16回
ひとの滝行で心が洗われる、の巻
[ 更新 ] 2024.05.10
くねくねの一本道ドライブ、道路のそばには透き通った小川が流れ、うっそうとした木々の隙間から木漏れ日が差し込み川面を照らしています。空気がひんやりして気持ちがいいなあ。
魚、いそう……と助手席から水の中を凝視、透視していると「あっ、釣り人!」と夫が言いました。「えさ釣りだな」
子どもたちが生まれてきてからは全く釣りに行けない私たちですが、心はフライフィッシャーなのです。「いつか」「いつか」と念じながら、川に降りられないままもう10年以上の月日が流れてしまいました。けれど今でも清流を見ると、魚がいるのかいないのか、ライズ(捕食行動)がないかどうか……心騒いで覗き込む習性は残っています。
「この川、絶対にいる!」と夫。「釣り券、どこで売っているんだろ?」と口にしますが、本日の目的はもちろんそれではありません。やっぱり、またいつか、ね。
さて、10時。〈岩屋山 志明院〉に到着です。
山々の緑がぐんと迫るなか、春の日ざしを受けて静かに佇む古い山門が、私たちを出迎えてくれました。ほー、きれいなところだなあ。
ぼーっとしていると、「おはよう〜」と約束通り松尾諭さんがにこにこ顔でやって来ました。
俳優の松尾さんは私と同い年、関西圏で放送されている夕方のニュース番組『newsおかえり』で毎週火曜日に共演しているのが縁でよく遊んでいるのですが、この日は「きっと本上さん、好きだと思うよ」と前々から勧めてくれていた志明院へのお誘い。松尾さんはなんとここで「滝行をさせてもらう」というので、おお、じゃあ私は見届け人として参加しますと、便乗というか、興味半分冷やかし半分の感じでお邪魔させてもらうことにしたのでした。
ご住職の田中量真さんとその母上を紹介してくれた松尾さんは、袋から鼻息荒く白い装束を取り出しました。聞けばネットで購入したんだとか。へえ! そういうのも売ってるんだ。
ご住職は、歌舞伎の演目のひとつ『鳴神』の、龍神を閉じこめた岩屋がここにあるということ、全山が修行の地であることから貴重な植生が今なお保たれていること、そして特に苔がたくさんあるといったことを丁寧に教えてくださいました。松尾さんは「ね、本上さん、苔好きだから、ここ好きだろうなあと思って」。
かつて滞在されたときの話を司馬遼太郎さんがエッセイに書き残しているということも松尾さんが教えてくれました。「ええと……あ、これだ」。横の本棚から本をさっと引き抜いて見せてくれる。好奇心旺盛、面白いものをすぐ紹介してくれるのが松尾さんという人です。しかも、ひとの家の本棚なのに遠慮しないで本を引っ張り出すというところが彼らしいなあと思う。
司馬さんのエッセイは、彼が言うとおり、肩の力を抜いてさらっと書いてあるのに面白いという、非常に読み応えのあるものでした。一晩泊めてもらって、この寺に住みついているもののけ、つまり妖怪を見てきたよ、という話です。
確かに、この日も春うららの長閑さではありましたが、この静けさ、人気のなさですもの、夜になったら不思議なことのひとつ、ふたつ、みっつくらい起きてもなんらおかしいことはないなと思える場所ではある。だって、龍神も閉じこめられていた、ということだし。いにしえの都が今もここに息づいている、そんな感じが京都の凄さです。
これから滝行に臨む松尾さん
さあ、滝行。松尾さんはご住職のあとについて“行”の場所へと向かいます。私たちも手水を使わせてもらい、山門をくぐり、山を登り、滝行場までついて行きました。
岩の上に祠があり、かなりの高さから水が落ちています。水量はそれほどではないような細さでしたが、高いところから落ちているので、当たったときの刺激は強そう。それにとっても冷たそう。まだ4月です。晴れていてよかったね、松尾さん。
ご住職が短いお経を読んだあと、掌で足元の水をすくって身体にかけ、水慣らしを終えた松尾さんが、滝の下へと(おっかなびっくり)進んで、行が始まりました。でもいざ始まると背筋がぴんと伸びて、さすがに絵になっています。
山の奥深く、京都市内を流れる鴨川の源流に打たれるひと。ご住職の読経が、水の落ちる音が、山々に響きます。松尾さんの眼鏡を預かった私と、私に誘われてついてきた夫が、遠巻きにその様子を見守りました。とてつもなく、不思議なひとときです。
図々しく見届け人とか言ってついて来ちゃったけど、良かったのかな? 気が散ったりしなかったかな? と少しばかり心配になりましたが、でも、友だちが滝に打たれるって言ったら、普通応援しに行くよなあと思い直し、静かに、そばに生えた草のひとすじになった気持ちで、空気を乱さぬよう見守ることにしました。
何分くらい経ったのでしょうか。行はおしまいとなりました。
ごつごつとした石に囲まれた行場から出て、やわらかで温かな、日の当たる草むらに出てきた松尾さんは「はっ」「はーっ」と大きく深呼吸。そして今まで見たことのないような、すかーっとした表情で降り注ぐ日ざしを全身に浴びて、しばし佇んでおられました。
それを見て、私もまたひとりでに心の底から元気が湧いてくるのを感じたのです。達成感というか、充実感というか、とにかく、満たされた気持ち。
自分の心身がすっかり洗われたような気分になりました。
(と松尾さんに言ったら、「なんでやねん!」と言われた)
鳴神の岩屋と薬師如来におまいりをして境内に下り、お茶をいただきました。石楠花がふくふくふくらんで、今にも咲こう咲こうとしています。
かつてこの地にダムの建設計画があったということは、前々からご近所さんに聞いていました。自然環境保護の観点から市民運動が起こり、撤回となったという歴史です。今回初めて、こちらの先代ご住職が先頭に立っておられたということを知る。今も鴨川は自然いっぱい。日本有数の観光都市であるのに街なかにもオオサンショウウオがいたりするのは、当時、一生懸命活動してくださった方々がいたからこそなんですね。貴重な環境を守ってくださってありがとうございます、と心の中でつぶやきました。
「あ、ライズ!」と夫。お寺に流れる細い清流のなかで魚のぴちぴち跳ねる姿を見つけました。「桜の花びらを食べてるよ!」
ほんとだ。まだ小さな、生まれたばかりの魚たちが風に舞い降りた花びらをパク、パクッと。風流な子たちだな。「タカハヤです」とご住職の解説。
「ここは静かでしょう。いつでもまたおまいりくださいね」とお母さまがにこやかにおっしゃってくれました。
かくして私の(?)滝行体験は終わりました。
帰りはまた細い道をくねくね、雲ケ畑を背に、山を下りていきます。道は確かに続いているのに、しばし雲のなかにほわっと浮かんでいたような、不思議な感覚。
なんだか、いまだに、あれは夢だったのかもしれない、と思います。