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第11回

上手な盛り付けは、見てきた「引き出しの数」で決まる

[ 更新 ] 2024.05.09
 文筆業は、読んできたものが血肉になると実感する。あるいは絵然り、音楽然り。観てきたもの、聴いてきたものが肥やしになり、それらが多いほど創作の裏支えになる。じつは、料理の盛り付けも同じではないかと思っている。
 飲食店やセンスのいい人の盛り付けを観察していると、自分の引き出しにエッセンスのかけらが入る。逆に、何も見たことも聞いたこともない人が、初めて料理をしたその日からいきなり美しくおいしそうには盛り付けられるはずがないと私は思う。引き出しがないのだから。

 そう気づいたのは、ブログだったかエッセイだったか、十数年前、ある料理家が綴っていた文章がきっかけだ。
 著者は会社員から人気料理家になった人で、料理家のアシスタント経験もなければ、調理学校や飲食店での修行経験もない。なんでも学生時代に、留学先で料理に目覚めたとのことで、よほどホストファミリーの食卓が素敵だったに違いない。そこには、“ポテトサラダでも煮物でもグリーンサラダでも、大皿に、できるだけ中央を高く山型に盛ると、プロっぽく見栄えが良くなります”というようなことが綴られていた。そして、できるだけ皿は大きなものを使い、料理は中央に。余白があるほうが見た目が決まる、とも。

 彼女の料理本を見て私もおおいに納得。たしかにレストランのパスタでも、居酒屋のポテトサラダでも、こんもり中央が高いぞと気づいた。
 以来、しばらく盛り付けのときにはそのコツと、彼女の料理写真などをなんとなく思い出しながらやっていたと思う。あんなふうにやったらいいんだなという脳内に浮かべるお手本のような感じで。
 先日はカナリア色のイッタラの大皿に、唐揚げを堆(うずたか)くのせた。余白のカナリア色が栗色の主役を引き立て、料理にぐっと迫力が出る。
 経験を積めば、自分の中から素敵な盛り付け方のアイデアが生まれるのかもしれないが、きっと彼女も料理を始めた頃は盛り付けのたび、留学先のどこかで見たお手本が、頭の中にあったのではと想像している。
 どれだけ素敵な料理と器のコーディネートパターンを知っているか、コツの引き出しやお手本を持っているかは大きい。

 ファミレスや定食屋でも、あらゆるプロの皿が教科書になる。私は、定食屋をたずね料理と店主の生き方を綴る連載を6年していたので、豆皿の漬物の盛り付け方、千切りキャベツの添え方、揚げ物に添えるレモンの切り方や置く場所など、プロにはプロの工夫があるなと毎回勉強になった。
 たとえば、豆皿にたくあん2枚でも、同じ向きに少しずらして面積を広く見せると黄色がおいしそうであるし、さらに白菜の浅漬けやぬか漬けのきゅうりが横にちょこっと添えられていれば最高。メインの料理に目がいきがちだが、定食屋の漬物や小鉢も、じつは食欲を誘うのに欠かせない粋な名脇役なのである。
 雑誌の料理ページもおおいにヒントになる。料理編集者やライターは、プライベートでも盛り付けやテーブルコーディネートの上手い人が多いが、やはりたくさんの好例を毎日目にしているからだろう。

 昨年、義理の弟一家と義母が上京。宿泊は近くのホテルだが、食事は我が家でとった。大人7名、学生1名。さて朝食はどうしようと考え、乳白色の信楽焼の大皿に笹の葉を敷き、一口大のおむすびを20個ほど並べた。しそ、たらこ、梅、鮭、ツナマヨ。具をおむすびの上にのせて、ひと目で選べるようにした。
 後日、義妹が「あれは豪華で目にも楽しかった。人を招くのに慣れた人の盛り付けだねとお義母さんと話したんですよ」と褒めてくれた。おむすびを、一列ではなく大皿に水玉模様のように配置したのが良かったのかなと嬉しくなった。
 取材した陶芸家のお宅でそんなふうに出してもらったのを真似ただけなのだけれど。

 先日はヤムニョムチキンのファストフード店が近所にできたので、1ピースだけ注文した。ステンレスの小さな四角いバスケットにちょこんとチキンが入っていて、かわいらしかった。ちゃんと油が下の皿に落ちるようになっている。金属の器も面白いものだなと思った。
 盛り付けの先生は、街中にいる。
 

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