第8回
あきらめて楽になったこと
[ 更新 ] 2024.03.28
ある日、親しい編集者が漏らした。お茶ではないが、私も似たようなことを言われて今も小さな傷になっている言葉がある。
新婚の頃だったか、実家の両親が泊まりに来て、私は張り切って味噌汁を作った。長野で365日味噌汁を欠かさない父は、一口すすって言った。
「なんだこりゃ、馬のしょんべんだな」
びろうな表現をお許しいただきたい。それくらい薄いという意味である。
このとき、私は昆布とカツオでだしをとり、手作り味噌を使った。デリカシーのない言葉だが、父はとくだん気質的に冷たいわけでもない。親子だけになんの気遣いもなく、本音が口をついて出たという感じだった。
しかし、こちらは地味にショックだった。せっかく味噌から作っているのにそんなこと言わなくてもいいじゃんと言い返したのか、心のなかで思うにとどめたのか記憶は曖昧だ。ただ、30年以上経った今も覚えているくらいだから、遺恨にはなっている。
だから前述の編集者の、悪気はない家族のひと言で自信を失い、言い返すほどでもないが忘れることもできない小さなコンプレックスが、心の奥底に沈殿し続けているのが手に取るようにわかった。私はお茶さえまともに煎れられないのか、と。私も味噌汁ごときも上手に作れないのかと自信をなくしたクチなので。
言った家族はきっと忘れているに違いない。まったく血縁とは、遠慮がないから難しい。
さて、お茶の話を。
生まれてこのかた、自分の煎れた日本茶を旨いと思ったことが一度もない。マニュアル通りに温度や量や、最後の一滴に旨味が詰まっているからよく急須を振るという手順を真似してみても、どうもおいしくならない。
そして、あるできごとを機に、おいしく煎れることを私はすっぱりあきらめたのである。
7年ほど前、小さなアパートを仕事部屋に借りていたときのことだ。元日本茶喫茶の店主で現在は日本茶インストラクターとして活躍している近所の友達が、徹夜明けの午前10時頃、私の仕事場にお茶を煎れに来た。
部屋には猫の額ほどの流し台と電気コンロが一つついているだけで、料理も何もできない。朝夕の食事は自宅でとり、昼はおにぎりを持参したり、コンビニで買ったりしていた。
すでに一度締め切りを延ばしてもらっていて、これ以上は甘えられないという修羅場だった。朝方まで執筆することが続いた最終日。朝8時頃、原稿をメールで送り、放心状態でソファに崩れるようにへたりこんでいた。
〈終わった? 30分後くらいにお茶を煎れに行ってあげようか〉
友達からメールが来た。ガチガチに凍った湖面の端が、ゆるっと溶けた気がした。手を合わせる絵文字とともに、返事をする。
〈お願い〉
彼女は湯の入った水筒と湯呑みと急須と小さな茶筒を持ってやってきた。
「新茶だよ。これ煎れたらすぐ帰るから。ちょっと休んでて」
資料が散乱し、コンビニコーヒーのプラスチックカップや弁当の空容器が、ゴミ箱に溢れかえっている。
戦いが終わった部屋に、清涼味のある清々しい香りがたちのぼる。湯で温めた小さな骨董茶碗に大事に注がれた深緑色のそれを口に含むと、まろやかな甘みが舌に広がり、これがお茶かと驚いた。彼女の煎れるお茶は、季節や銘柄ごとに味が変わり、毎回これは私がふだん煎れている日本茶と同じしろものかと疑いたくなるほど旨いのだが、あの朝の何煎かはまた別の次元の味がした。2煎目は味がもっと丸くなり、3煎目はさっぱりフレッシュ。
何日も温かいものを食べたり飲んだりしていなかった環境と、なんとか納品したという解放感と、肉体の疲労が極限に達していたのだと思う。それから、何日も天気や季節を忘れていたことにも気づいた。
私は逆立ちしても、こんなにおいしいお茶は絶対に煎れられない。そのときの香りのように妙に清々しい思いで、きっぱり悟った。
粗忽な自分にはとうてい無理だ。締め切り直前にばたばたともがくような生活をしている人間には。
彼女とは、お茶への想いやお茶と向き合う時間軸のような根本的なものが大きく違う。
疲れているだろうと慮って駆けつけてくれた心遣いも含めて、私が追いつけない味を持っている。そのうえ、彼女は日本茶を学んで20年近い。
お茶くらいおいしく煎れてくれと年配者は簡単に言うかもしれないし、自分でもお茶さえも上手に煎れられないのかと落ち込む気持ちはよくわかる。
しかし、得も言われぬ一服に圧倒された私は、茶一杯にもプロの味というものがあり、「おいしい」は外に任せて、これからも気分良く適当に煎れようと、あの日気持ちよく決めた。それは、一流の人の料理を見て自分も真似しようとは思わないのと同じだ。
日本茶喫茶でなくとも、おいしいお茶が飲める場所は、いろいろあるから特別な日に愉しめばいい。毎回自分を否定するより、そのほうがずっと気持ちが安らかだ。
お茶でも何でもおいしく上手に、なんて欲張らず、手放すものがあってもいい。毎日のことならなおさらに。
味噌汁は、父が上京したときは、うんと濃い目に味噌をとく。そんな単純なものと違って、日本茶は奥が深い。くだんの編集者には、傷が消えるよう即座に助言した。
「私はおいしいのを煎れようなんて、とうにすっぱり諦めました。すごく楽になれましたよ」