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第8回

私は相撲を見ないことにした(後篇)

[ 更新 ] 2024.05.14
大相撲三月場所で唯一見た一番
 
 私にとって「災い」となってしまった大相撲三月場所を、「ある一番」を除いてまったく見なかったことは前篇に書いた。その一番は、千秋楽間近の金曜日にあった。前日まで休場していた、とある力士がこの日だけ相撲を取ると取組表に見つけたのだ。

 「あっ!」と思った。だって、そういう場合、その人自身の中で「最後の相撲を取る」と決めているか、もしくは他のおすもうさんの勝ち負け数に鑑みて、来場所に備えて一番だけ相撲を取って番付が下がりすぎるのを防ぐか、そのどちらかだから。今回は、どっちなんだろう?

 心がザワザワしながら、テレビの前に正座して、ネットからつないだABEMAにかじりついた。日頃は某ひろゆきだの成田某だのが出演し、煽情的かつ冷笑的な番組が多い印象で、相撲以外の番組は見ない。なんて言えば、「それはあなたの感想でしょ?」と突っ込まれそうだけど。

 さて、四股名(しこな)を呼びあげられたそのおすもうさんが土俵に上がってきた。四股を踏み、対戦相手と向かい合う。幕下以下は、基本塩は撒かない。いちどにらみ合い、また立ち上がる。まわしをぱんぱんぱん、と何回か叩いて、いざ仕切り。そして立ち上がりすぐ、その人は右に一歩動いて、相手は土俵でつんのめった。あっけない勝利だった。以前、怪我が多かった時期、こういう相撲をよく取っていた。でも、最近は真正面からぶつかっていく相撲になっていたんだけど……。ああ、そうか。怪我の度合いがひどいんだな。

 それでテレビを消して、友達にLINEを送った。
「見た?」 
「見た見た」
「あれが最後の相撲なのかな? それとも来場所に備えて?」
「どっちなんだろう、わからないね」
「うん、わからないね」
 互いに「?マーク」を送り合った。

 怪我の程度はわからないけど、他のおすもうさんたちが相撲を取るのをじりじりともどかしい思いで日々 見つめ、本場所の最後の一番だけ相撲を取った人の気持ちを思うと、どうであれ切ない。どうか、怪我が早く治りますようにと強く祈った。来場所に出場するのかしないのか、私にはわかるすべは今、ない。でも、どちらにしろ、元気で幸せにと、ひたすら願った。だって、私はそのおすもうさんに過去、とてもお世話になったのだから。

「いつも横綱を応援してくれてありがとう」

 最初にそのおすもうさんと話をしたのは2018年の初め頃、とある十両力士のインタビューをし終えたときだ。
「和田さん、いつも横綱を応援してくれて、うれしいです。ありがとうございます」と声をかけてくれたのが最初だ。えっ? と驚くと、手には、私がその前年に出した書籍『スー女のみかた――相撲ってなんて面白い!』があった。私は宮城野部屋宛てに、その本を2冊ぐらい送りつけていた。そのおすもうさんは、宮城野部屋の所属だった。

 彼は私を含む取材陣を「上でいっしょにちゃんこをどうですか?」と誘ってくれ、再びえっ?と驚いた。全身がカッと熱くなった。憧れの宮城野部屋、憧れすぎる白鵬のいる部屋、うおおおおおおお! 天高く雄叫びを発しそうになったが、おとなしく階段を上がり、横綱は留守だったものの、横綱愛にまみれながら、ちゃんこを食べた。

 それからしばらくして、そのおすもうさんから「稽古を見学にいらっしゃいませんか?」と声をかけてもらい、私は初めて白鵬に会うことができた。初めての白鵬――ぎゃああ。なんかもう、文字にするだけで卒倒しそうだ。初めての白鵬は、大きくて、だけど、圧じゃない。ふんわりしていて、やわらかい感じがした。握手してもらった手はそうそう大きいわけではないけど、でも、厚みがあった。話し方はぜんぜん偉そうじゃなく、優しい雰囲気だった。

展覧会場に届いた白鵬からのお花

 私は調子に乗って相撲絵の展覧会の案内を白鵬に渡した。「相撲ファンが集まって、相撲絵を描く展覧会を開きます。よかったらいらしてください」とかめちゃ図々しいことを言って案内状のハガキを白鵬に渡すと、「へぇ~」と面白そうに見てくれて、「ありがとう」と言ってくれた。もう、もう、それだけで「私は死んでもいい!」とさえ思った。だって。私が「推したちがいじめられている、ひどすぎる!」と鼻息荒く企画した展覧会を、当の推し(白鵬)が知ってくれ、「ありがとう」って! そりゃ、もう、興奮だろ?

 しかし、それだけでは終わらなかった。
 展覧会2日目のこと。会場に着くと、見たこともない、私の背丈よりずっと大きな2段籠のお花がドーンと届いていた。
 な、なんだ、これは? 
 そこには「御祝 和田靜香様江 第69代横綱 白鵬翔 寄利」とあった。
 えええ? えええええええええ? 
 えええええええええええええええええええええええええええええ? 
 驚いて震える手ですぐに写メして、「大変なことが起こった」とツイートすると、当時フォロワーが数百だった私のアカウントはたくさんリツイートされ、相撲ファンたちが大騒ぎになった。いやもう、私、推し活の勝ち組すぎる! いや、そんなことじゃない!



 は、は、は、白鵬が私の主催する展覧会に花を? 
 でもでも、もしや? これは?
 お花の配送票にある番号に電話をした。すると「無事に届いていましたか? 昨日、横綱に展覧会のことをまたちゃんと話したら、お花を出すよう言われまして、ヨカッタです、無事に届いて。展覧会、楽しんでください」という。ああ、やはり!

心の支えとなっていたおすもうさんのあたたかさ

 実は展覧会初日、そのおすもうさんは部屋の若い衆たちを連れ、オープニングパーティーに足を運んでくれていたのだ。集まった相撲ファンたちは突然のことに大興奮して、大騒ぎになっていた。その時点で、この展覧会の大成功は決まったのも同然だったが、展覧会2日目から、想像以上のフィーバーが巻き起こった。連日、ギャラリーが開く前から相撲ファンが並び、次から次へと押し寄せ、小さいギャラリーは人であふれた。ギャラリーの人のいいおじさんとおばさんがお茶を淹れてくれたり、なんやかや世話を焼いてくれたりして、お客さんたちは作品の写メを撮りまくり、横綱が贈ってくれた花の前でも、みんなが記念撮影をしまくった。さらに見知らぬ相撲ファン同士がその場で作品を見ながらあれこれ語らい、「こんな風におしゃべりできる場があってうれしいです」と言ってくれた。



 2017年暮れ、大相撲が大バッシングを浴びて悔しくて悲しくて辛くて開いた展覧会で、私たち相撲ファンは、幸せになった。ほんと、幸せに包まれた。幸せしかなかった。ここには幸せ以外の感情なんて1ミリも入るスキはない! 心からそう言えた。私たちは闇に打ち勝ったんだ。

 正直、私はその頃、自分自身が暗闇の中にポツンといるような気持ちだった。何度もいろいろなところに書いたり言ったりしているように、当時はバイトに明け暮れる日々だった。この展覧会を開いた2018年から2019年にかけて私は人生に絶望していた。「明日のことは考えないようにしよう。考えたら死んでしまうから。とりあえず今日を生きる」とだけ考えて働いていた。でも、自転車に乗ってバイト先に向かう途中、何度も何度もスピードを上げては壁に激突したくて、でも、最後の瞬間にできなくて、ブレーキをギュッと握っていた。

 そんな日々の中で、この幸せな場所を作ることができたのはものすごく大きな体験だった。ほんの数日間でも「暗闇」に打ち勝ち、幸せを作れたことは、その後の私に少なからず影響を与えてくれたと思っている。

 そして、その幸せづくりにあれこれと心配りをしてくださり、大いに協力し、盛り立ててくれたのが、そのおすもうさんだったのだ。会期中、他のおすもうさんと誘いあわせ、その人は何度も足を運んでくれ、そのたびにまた歓声が上がった。展覧会が無事に終わり、集まった寄付金で「図録」を作り、そのおすもうさんに「横綱に渡してほしい」と(図々しくも)お願いすると、「ぜひ、ご自分で渡してください」と稽古にまた招待してくれた。うおお! 私は「お花をありがとうございました」と言いながら、図録を横綱に渡すという快挙を果たせた。がんばったご褒美だと思った。

 さらに翌2019年、2回目の展覧会を開いたときも、そのおすもうさんは何やかやと、私たち相撲ファンのために尽力してくださった。番付表と白鵬が勝って土俵でもらった懸賞金のご祝儀袋を綺麗に並べた額を手作りしてプレゼントしてくれたり、私たちが日ごろ触ることができない「横綱」、ああ、あの土俵入りする横綱が腰に巻く白い綱、その端っこ(長さを調節するために切ったもの)を「どうぞ展示に加えてください。『横綱』は最強のお守りと、相撲界では言われているんですよ」とわざわざギャラリーまで持ってきてくれたりした。

 翌日からそれをケースに入れて展示し、来たお客さんみんなに白い手袋をしてもらい(実際、横綱を編むお相撲さんたちも白い手袋をしてやる)、触ってもらった。みんな「ドキドキしますね」と言って横綱をギュッと握り「ありがとうございます。来た甲斐がありました」と、涙を流す人さえもいた。私たちは再度、幸せを感じることができた。もちろん、私もその横綱をギュッ、ギュッと、何度も握った(今も家にあるそれを、ときどきギュッとしている)。



そのおすもうさんがやっていたことは「ケアの倫理」にあてはまることだった

 私は、そのおすもうさんの心配りに、本当に胸打たれた。こんなにも心を配ってあれやこれやしてくれるのか!と驚いた。私たち相撲ファンが何に喜ぶか?を考えて実行してくれ、同時に彼が付き人を務める横綱白鵬のためにそれがプラスになるかどうかを常に考えていた。その後、私は仕事の主流が政治分野に移ったことで相撲の現場に熱心に通うことはなくなり、ただテレビで、ときどき本場所を見るだけになった。それでも今も思い出す。そのおすもうさんはすごい人だ。なんというか、彼のやっていることは「ケア」だったと思う。

 ケア――今、盛んに言われている言葉で、岡野八代さんの『ケアの倫理――フェミニズムの政治思想』(岩波新書)によれば、ケアとは「気遣い、配慮、世話すること」だという。ケアは長い間、いや、今もだが、女性たちが主に“担わされる”領分である。「女性らしさや母性に安易に結びつけられてしまうがゆえに、女性たちが無償で担うことが当然視されてきたし、有償であったとしても、その報酬は、男性らしさに結びつけられてきた職種と比べると、安価に抑えられてきた」(同書)と、岡野さんは書く。そして「それでもなお、ケアという営みは、人間にとって、そして人間社会の存続にとって不可欠である」とする。そして、「経済的に報酬が多く得られることに価値を置き、経済力のある者が善い市民であるかのように、政治的にも発言力が高まる新自由主義と呼ばれる現在の社会状況のなかで、ひときわ重要性を増している」と、ケアの倫理の大切さを説く。

 私はうんうんと、うなずきながら読んだが、その、何やかやと私たち相撲ファンに心を配ってくれたおすもうさんのしていることは、まさにこうした「ケアの倫理」に当てはまるように思える(岡野さんに「和田さん、それ違うよ!」と言われてしまうかもしれないけど)。

 そのおすもうさんは相撲界の慣習である「付け人 」という横綱との関係性の中から自らの責任を見出し、それにやり甲斐を感じ、そのことでファンといかにつながるかという新たな関係性を紡ぎあげていっている――これって岡野さんも言うケアが世界に広がるための実践のプロセスそのものじゃないのか(と、また勝手に解釈している)。そのおすもうさんは幕下という、給料さえまともにもらえず、キラキラとスポットライトを浴びることのない地位に長年ありながらも、気遣い、配慮し、私たちファンに献身的に尽くしてくれた。私たちはそのケアに心からの感謝をし、またその価値を称えるべきだと思う――もちろんどんな地位にあろうが、その人の相撲を楽しみ、称えるのと同様に。

 大相撲という勝負の世界においては何よりも十両や幕内の力士になることが価値のある素晴らしいこととされるけれど、彼のやってきたケアもそれと同じぐらい価値があり、彼がそのケアの行為によって築いてきた関係性は本当に素晴らしい宝だと思う。何より私は心から感謝をしている。本当にありがとうございましたと心から言いたい。そのおすもうさんの人としての素晴らしさに感激する。

 私が大相撲という世界に魅了されてきたのは、そういう勝負そのもの以外の部分に負うところも大きいと思う。それはおすもうさんたちの人間性そのもので、大相撲を語るときに一部の人たちが言いたがる「伝統」みたいなものとはぜんぜん違う。そもそも、今言う伝統とかっていうものは、たいてい明治の頃に作られたものが多い。以前に『「日本の伝統」の正体』(藤井青銅著、新潮文庫)という本も出ていたが、「日本古来の伝統」というようなものはたいてい明治時代に急ごしらえで作られている。

正しい歴史認識を持って大相撲を語るべき

 前篇でちょっと触れた「相撲道」、あれも実は明治時代に意味付けされたことは、私が宮城野部屋に送り付けた『スー女のみかた』にも書いた。大相撲の常設館(のちの国技館)を作ろうとした設立委員会の委員長で好角家だった板垣退助が当時の「東京日日新聞」にこう書いている。

「維新前、未だ外国との交通がなかったときはともかく、今日の如く欧米諸国から貴賓が来るやうになり、従って我が国固有の相撲が海外人に見られるやうになっては、如何にしても常設館がなくては不可ない。ここにおいて、古来かつてない常設館を建てることになった」
 そう、大相撲の常設館(国技館)を建てる理由として板垣は「海外人に見られる」からとしていた。外国からどう見られるか?――大相撲の歴史をその視点が大きく変えているのだ。

 さらに板垣は書く。
「今回この機会に力士の風紀をただし、あわせて従来の慣例中新時代の今日に適しないことは之を改めることにした。これらは確に相撲道に一大光明を与へたものであると思う」

 なるほど、当時の力士というのは風紀が乱れていると板垣は認定した。さするに1909年、常設館の完成とともに土俵のルール、取組のルール、行司と勝負検査役が判定を下す際のルール、団体戦のルール、報酬のルール、観客のルール、服装や番付の方法など、相撲に関するあらゆることが改められ、決められた。今、大相撲の伝統だと思っている多くはこのときに決まった。となれば、「古来の伝統」とは言い難い。もちろん、それからすでに100年以上も経ってはいるから「伝統だ!」と言いたい人は言えばいい。でもね。私は言いたいのだ。伝統を言うなら、歴史を言うなら、自らも正しい歴史認識を併せ持つ必要があるだろうと。そして、その正しい歴史認識でもって、伝統を、大相撲を語るべきだ。歴史を修正してはいけない。過去を捻じ曲げたら、現在も、未来も、そこにはより良い世界は生まれない。

「入日本化」問題を考える

 何が言いたいか? ああ、そうだ。私は「入日本化(にゅうにほんか)」のことを、きちんと知らせたいと思う。それを書かなくてはいけない。今回の宮城野部屋の一連の報道の中で怒りを抱くのは、「宮城野部屋の閉鎖は当然」と言うメディアが、総じて「入日本化」に対して無視を貫いていることだ。そこから目を背けていては、この宮城野部屋閉鎖問題の本質が見えてないことになると思う。

 その「入日本化」なるおかしなワードが誕生したのは、2021年4月19日に「大相撲の継承発展を考える有識者会議」が、日本相撲協会に提出した提言書でのこと。2019年に作られたこの八角理事長の諮問機関は、委員長が歴史学者の山内昌之氏。故安倍晋三元首相のメシ友として高名な方で、2019年10月11日「関東を史上最大級の台風が襲う!」と予測されていた夜もご一緒に有楽町の高級フレンチ「アピシウス」で食事をしていた(産経新聞・安倍日誌より)。そして委員ナンバー2は元経団連会長の今井敬氏。この方は故安倍元首相最側近の今井尚哉補佐官の叔父であり、また安倍元首相のメシ友でもあり、ホテルニューオータニの取締役も務めていた。そう、「桜を見る会」前夜祭のニューオータニだ。

 そんなことを頭に入れながらつらつらと、いや、しっかりと読んでほしい。読んでいると気持ち悪くなる文章が続くが、気を確かに持ってお願いしたい。

 提言書では「はじめに」として、「日本の伝統文化である大相撲を守り、相撲道の伝統を継承発展させていく」ためと、「スポーツ庁が策定したスポーツ団体ガバナンスコードを尊重しつつ、相撲道と調和させた協会独自の自己規律(ガバナンス)の指針を作成する」ために検討を重ね、提言をまとめたとある。「令和という新しい時代にふさわしい相撲道とは何かを考え」たいとも。相撲を取らない人が考える相撲道。はて?

 そして、さっそく「入日本化」が登場する。

「日本の大相撲の伝統と慣習の受け入れを『入日本』(にゅうにほん)または『入日本化』と表現する。これは脱日本化と反対の意味であるが、外国人固有の文化からの離脱を強制する意味をまったく持たない。また、外国人に日本文化を押し付ける意味と誤解されがちな日本への『同化』『日本化』という言葉との混同を避けるためでもある」

 この「入日本化」なる言葉について、『ふたつの日本――「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書)の著書もある、移民問題に詳しい望月優大さんは「正直なところ、それが『同化』でないというのは質(たち)の悪い言葉遊びにしか思えなかった」と書いている(ニューズウィーク/2021年4月28日)。そうだよね。

 さらに第1章「大相撲がめざすべき方向」その「3大相撲における文化変容」ではもう一歩踏み込み、

「もしこれら外国の(筆者注:モンゴルやセネガルとしている)格闘技出身の力士が大相撲に入るなら、彼らは日本の大相撲の歴史と伝統に共感しながら自己変容を起こすことになろう。これを『入日本』『入日本化』と呼ぶのである。言い換えれば、彼らは『入日本』することで、モンゴルやジョージアなど外国に生まれながら日本の大相撲の力士になるのだ。出身国がどこであれ、日本の大相撲に入門することで(『日本化』『同化』ではなく)『入日本』をするのである」

 と書いている。きっと後から( )書きの部分を付け足したよね~? というのが見え見えな言い訳ぶりを加味せずとも、「それ、だから、同化だよね?」と言いたい。戦時中の植民地に対する日本の同化政策のひどさは、たとえば韓国映画『マルモイ ことばあつめ』を見てもらえばわかるだろう。それに「出身国がどこであれ」誰もが大相撲というスポーツ/興行団体に入門しただけで、べつに入日本しよう!などと思うわけじゃない。どう思うか?とはそれこそ内心の自由で、どうしてそんなことを言えるのか、わけがわからない。憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」を声に出して読んでほしい。

 しかし、「入日本化」の魔の手はファンにまで及ぶ。

「大相撲のファンは、外国出身力士が日本の伝統・慣習・考え方・文化を身につけて、日本の大相撲力士として『入日本化』した新たな姿を見せ、日本の国技である大相撲の伝統を継承する担い手となって活躍する様子を喜んできた」

 って。何これ? 過去に私は百億万回言っているんだけど、大相撲は国技じゃない。明治の頃のコピーライターみたいな人が「国技館」という名前を常設館に付けたことから言われているだけだ。

 もちろん私は外国出身力士が「日本の伝統・慣習・考え方・文化」など身につけなくていいと考える。そもそも「日本の伝統・慣習・考え方・文化」って何だろう? 彼らはここでそれが「何か」を言わないし、日本に生まれ育った、日本のパスポートを持つ私もよく知らない。もしや、右派の人たちが願う、家父長的なイエ制度のことか? 日本に古来住み、日本国民であるアイヌ民族の「伝統」は彼らの脳裏に浮かんだろうか? 

「入日本化」が親方・師匠になる条件!?

 そしていよいよ「入日本化」の最大の問題が登場する。提言書の第1章その5「大相撲がめざすべき方向」だ。いわく、

「大相撲のめざすべきは、外国出身力士を受け入れながら、彼らの『入日本化』を促して日本の大相撲の力士に育てることである。(中略)外国出身力士には、『我が国固有の国技』の伝統と慣習を受け入れ日本文化になじむ『入日本化』を期待してきた」とある。

 そして力士が将来において親方・師匠になるには「入日本化」による「外国出身力士の内面の変化と成長を必要する」とある。

 何度でも言いたい。内心の自由は日本の憲法で護られている。そして成長って、何をもって成長とするのか? 相撲を取ったこともないだろう人たちによる、おすもうさんへの「成長」の促しなんて意味がわからない。そして、しつこく「入日本化」をしろと同化を求めることはまったく間違えている。しかし、彼らはこの前提をもとに、とてつもないことを要求するのだ。

「もし、外国出身の親方・師匠が自分のアイデンティティ(自己同一性)の多重性、日本の伝統と風土にこだわらないコスモポリタン的な感覚を重視するなら、大相撲の心を十分に理解できず力士に『大相撲とは何か』『日本と大相撲の心とは何か』を十二分に教えられるとは限らない。そして、日本という地に根をはって生きることを象徴的かつ実体的に表すのが日本国籍なのである。(中略)『入日本化』を通して日本の文化と伝統を次第に吸収した力士が日本国籍を持つ親方になることで、抽象的な議論に留まらず、大相撲や相撲協会を支える根本が強化されるのである」

 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 あまりのとんでもなさに、書いていて手が震えてしまった。こんなにもうすっぺらいナショナリズムの塊を堂々と「提言する」、「受け取る」って、なんなんだろう。同化を押し付け、その集大成が「日本国籍」とする。日本国籍者ならば「日本と大相撲の心」の根本を理解するという。旭日旗をサムネイル画像にするネトウヨのXアカウントが書いているみたいだ。

 そして、私は読んでいて申し訳なさで身がすくんだ。「日本という地に根をはって生きることを象徴的かつ実体的に表すのが日本国籍」なんて、よくぞ、よく、よく、そんなことを言えるなと、あきれる。だって、私たち、日本は、過去に過ちを犯してきた。

 思い出して。1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効した日、戦時中に日本の植民地であった朝鮮半島や台湾から労務動員(募集~官斡旋~徴用)させ、日本に住んで労働させられていた人たちから一夜にして「日本国籍」を喪失させ、外国籍にさせた。また沖縄の住民を「琉球住民」と定義し、沖縄在住で「日本本土の国籍」を持つ「日本人」とは区別し、人権蹂躙をした。そういうことを私たちは忘れてはいけないでしょう? その人たちが苦しみを私たちは忘れたら、また同じ過ちを――戦争を、植民地支配を――繰り返す。私たちが犯してきた過ち、歴史に知らん顔をしてはいけない。もし、伝統、伝統と言いたいのなら、なおさらだと思う。「日本という地に根をはって生きることを象徴的かつ実体的に表すのが日本国籍」と書いた人は、その過ちもまた脳裏に浮かんだの? そして今も総勢599人いるという番付に載るおすもうさん(2023年12月時点)のうち、1952年4月28日に日本国籍を奪われた人たちの子孫がいることを想像しないの? 歴史を正しく知っていたら、こんな言葉は書けないはず。なんてひどい。恥ずかしい。とんでもない。

 この提言書を作った審議員に「安倍友」が座っていることは書いた。安倍政権は戦争を美化し、植民地政策から目を背け、排外主義を煽った。憲法改正を自らの命題とし、集団的自衛権の行使容認の閣議決定や、武器輸出三原則を緩め、戦争への道をひた走った。それは今なお色濃く影響が残り、いや、増幅し、“2023年よりひどい年である2024年”が私の足元にある。

白鵬を想定した「入日本化」の提言

 ああ、まるで循環するかのようにつながっていると思う。世界も、日本も、相撲界も、入日本化の提言書も。提言書が出された当時、『世界』(2021年7月号、岩波書店)で、私は作家の星野智幸さんと提言書について対談をした。その中で星野さんは権威主義に満ち、外国人力士に対して植民地政策を行うと宣言するこの提言書に基づく考え方を「大相撲帝国主義」と名付けていた。

 そして大相撲帝国主義の提言書は、過去に大鵬と北の湖と貴乃花が取得し、相撲界に大きな功績を残した力士に認められる「一代年寄」という制度を、あっさり廃止した。しかも不条理な言葉を連ねて憲法さえ無視するくせに、その理由を「やや唐突な一代年寄誕生の経緯を改めて振り返ると、公益財団法人としての制度的な裏付けとは整合しないと思われる」などと、にわかに日本相撲協会が公益法人であることを理由にしているのだから、あきれる。

 それによって「45回の優勝」を誇る白鵬に当然与えられるはずだった「一代年寄」は消え失せてしまった。その後、しかし、白鵬は日本国籍を取得して年寄・間垣を襲名する際に、「相撲道から逸脱した言動をしない」とする「誓約書」を書かせられる。2010年に発覚した野球賭博に関与した親方などには一切そのようなものは科せられなかったのに。もちろん誓約書にある「相撲道」とは、「提言書」が言う「日本の古典的な伝統・精神・技法を守る」こと。そのためには「入日本化」が求められるのだ。

 そして、その誓約書に反したとして宮城野部屋は閉鎖させられた。白鵬が「入日本化」を十分に果たしていないからと理由付けたいのだろう。しかし皮肉なことに、白鵬ほど大相撲や日本の歴史を本で読み、学んでいる人はいないのは相撲ファンであれば知っている。相撲発祥の地とされる神社を訪れ、美空ひばりの「柔」から「勝つこと」を考える。かなりベタであるが、白鵬って勉強大好きだからそうしてきた。

 ちなみに、提言書が白鵬を想定して作られていることは、これまた相撲ファンが読めばすぐわかる。「外国出身力士が(中略)優勝インタビューで万歳三唱や三本締めを求めた時などは、日本の大相撲の力士らしからぬ振舞いとして、少なからぬファンが違和感を覚えると同時に失望してきた」、「禁じ手や相撲規則に反しないとはいえ、高い地位と品性にふさわしくない張り手、すでに勝負が決しているのにダメ押しをする行為」、「行司軍配への土俵下での不満表明」などなど、白鵬を想定した、くそったれな(失礼!)嫌味が見え隠れする。

 加えれば、「大相撲の伝統と未来のために」としながら、提言書のほとんどが「外国人」をいかに同化させるかに内容を割いている。外国人力士は多い。とはいえ、大相撲界のほとんどは日本に生まれ育った人たちなのに、その人たちの健康や成長や未来を考えたものになっていない。

 外国人はこうあれ、あああれ、外国人は品行方正に。外国人はにこやかに。税金を滞納したら永住権はなくなります。難民申請は3回まで。ああ、申請を審査する参与員は、一人で年間数百件見る人もいれば年間数件の人もいる、とても偏ったものです。技能実習制度は評判が悪かったから、育成就労制度に変えました、でも内容はほとんど変わりません。がんばって日本人が嫌がる仕事をしてください。外国人は、そうそう、「申し分のないガイジン」たれ――。ところで、外国人って誰のこと? 日本人て……。

 提言書「大相撲の伝統と未来のために」では、「申し分のないガイジン」だった高見山について「力士として『入日本化』を果たし、日本国籍を取得したのち東関親方として『日本化』の道を進んだ」としている。「伝統と歴史に育てられた日本人と同じように大相撲を通して『入日本化』した姿だともいえよう」とも書いてある。

 かつて日本は植民地とした国で、そこに生まれ住む人の名前も言葉も、尊厳も奪い、同化を強要した。徴用し、労働をさせた。女性を慰安婦として、性奴隷にした。私たちには忘れてはいけないことがある。過ちを、繰り返してはいけない。

 大相撲が災いとなってしまい、私は相撲を見ないことにした。大相撲は1年に6場所、2か月にいっぺん本場所があって、終わったと思うと、すぐ次の興行が開かれる。始まればテレビやネット、新聞のニュースやらでも話題にのぼり、見ないことにしてもちょくちょく目に入ってはくるし、今だってそりゃ、私は相撲が好きだ。それでも私は自分から見ることはしない。自分の好きなことが社会正義に反していたら? 意地を張ってでも、それを楽しむことを選びはしないのだ。
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