第304回
蟹畑。
[ 更新 ] 2026.08.10
最近のマイブームは、鶏弁当である。
四月五月六月と、出張が続き、新幹線に何回も乗った。そのたびに、異なる種類の鶏弁当を買い、車中で食べた。
どの鶏弁当もそれぞれにおいしいのだけれど、自分の心を最もとらえて離さないのは、鶏と共に煮しめたうずらのたまごの入った鶏弁当だということが、次第に明らかになってくる。
六月初旬を過ぎ、出張の予定もしばらくはなく、新幹線の中で食べる弁当を買うこともなくなった、というところで、あんのじょう、鶏弁当ロスがやってきた。
近所のスーパーマーケットやコンビニエンスストアで鶏弁当を探すが、うずらのたまごが入っているものがみつからない。
ロスから立ち直れず、隣の駅、さらに隣の駅のスーパーまでさまよっていったが、やはりみつからない。
しかたがないので、ゆでうずらのたまごを買ってきて、味玉をつくり、おそるおそる食べてみる。
大変に、満足する。
鶏のたまごで味玉をつくることはしばしばあったが、うずらのたまごの味玉は、一口で全体を嚙みしめることができるがゆえの、味玉のすべてを把握できている感覚が、なんともいえない。

六月某日 雨
うずらのたまごの味玉を、つくり続ける。ゆでたものを買ってきて、うすめた醤油につけるだけなので、簡単このうえないのも、すばらしい。
六月某日 曇
すでにうずらの味玉を食べ続けて十日。まったく飽きない。
六月某日 晴
うずらの味玉、十三日め。突然、飽きる。

六月某日 雨
うずらの味玉に飽きてしまったことのさみしさと、仕事上のトラブルが二つ重なって、気分がすぐれないまま、最寄り駅の駅ビルの中を歩く。
正面から、見たことのあるひとが歩いてくるが、知り合いではない。
そのひとが遠くから近づいてくるにしたがって、うずらの味玉への執着の喪失のことも、トラブルのことも、すうっと薄れてゆき、何やら幸福な気分に。
この魔術的な治癒感を与えてくれたのはいったい誰だったのだろうと、しばらく考えていたのだが、駅ビルを出るころ、すれちがったひとが、永世竜王永世棋王の渡辺明九段であったことに、突然思いあたる。
家に帰ってから、『将棋の渡辺くん』を再読。幸福感、いや増す。
六月某日 曇
渡辺明九段とすれちがった場所のすぐ近くにあるスーパーマーケットの奥に、巨大な蟹畑があり、千匹以上の蟹が栽培されている、という夢をみる。

