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第295回

掃除vs.帯状疱疹。

[ 更新 ] 2025.11.10
九月某日 晴
 換気扇を掃除する。
 ずいぶんと、久しぶりである。どのくらい久しぶりかは、秘密。
 たくさんの、茶色いモロモロしたものや、黒いネジネジしたものや、黄色いペトペトした付着物を取りおえ、疲労困憊。
 なぜ人は掃除という行為をおこなわなければならないのか、よくわからなくなり、朦朧とする心地。汚部屋、という言葉が、たいへんに魅力的な響きをもって、心の中にこだまする。

九月某日 晴
 数日間、掃除について考察。
 掃除そのものが嫌いなのか?
 掃除という概念にどうにもなじめないのか?
 清潔ということについては、どう感じているのか?
 などなどを、繰り返し考えるも、たいした答えは出ず、ただ「掃除、めんどくさい」という大きな声が心の中に何回もこだまするばかりである。
 最終的に、自分は四十五分以上継続的に掃除をすると、その日はほぼ使いものにならなくなる。ということが確認され、それではどうしたらいいのか、たとえば、一日に十分限定で掃除をすればいいのかもしれないという結論に。
 家の中を十四の部分に分解し、同居人と二人でその部分を毎日十分ずつ掃除する、という計画をたて、その作業だけでむろん今日は使いものにならなくなったのだけれど、計画だけはたったので、満足。

九月某日 曇
 計画にそって、掃除をはじめる。
 十分の予定だったのだけれど、短い時間に、ごく限定的な場所だけを掃除するということとなると、その限定的な場所の汚れが、以前よりもはっきりとわかってしまう。あそこに固着した濃密な埃。ここに黒い何か。そちらにさらなる黒ずみ。
 それらをいちいち拭きとったり叩いたりこすったりしているうちに、結局、二十分が経過。
 家の中のその部分だけが、明るい感じになったのは嬉しいのだけれど、ほかの部分から浮きたってしまっている。

九月某日 雨
 そのようにして、十日間、約十分ずつの掃除をおこない、家の中が、かなり明るくなる。
 これを一生続ければきっといつまでもきれいな家に住めるのだと思うが、思うそばから、たった十分でも「掃除、めんどくさい」という声がその思いに覆いかぶさって邪魔をしようとする。
 掃除では疲れなくなったのだけれど、心の中のせめぎあいで、疲労困憊。

九月某日 曇
 帯状疱疹を発症する。
 この一カ月の、掃除にかんする葛藤のストレスが原因であることに、まちがいはない。
 帯状疱疹になったので、すべての掃除計画を放棄。
 帯状疱疹自体はかなり痛いのだけれど、掃除にかんする心理的葛藤よりも、その物理的な痛みはずっと楽で、まるで天国にいるよう。
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