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第293回

発揮する。

[ 更新 ] 2025.09.10
七月某日 晴
 ジム仲間と、雑談。
 この夏の降雨の少なさと暑さから、庭木の話となる。
 ベランダの緑が、いくら水をやってもこの暑さで枯れてきてしまう。柿の木になっている小さな青い柿が、やはりこの暑さで、どんどん落ちてしまい、かわいそうだ。あまりに暑くて蚊も活動をやめているので、雑草をむしるにはいい機会なのだが、五分ほどむしるだけで身の危険を感じるので、なかなか草むしりもできない。
 などなどの、暑さと乾きに関する危機感をみんなで話していると、中の一人が、朝は日がのぼってすぐに、夕方は日が沈んでから、たっぷりの水を毎日庭にまき、それだけではなく道にも打ち水をし、雑草は毎日抜けばさほど時間はかからず……という、庭仕事偏差値が高すぎることを言うので、庭仕事を不得意とし、通りがかった見知らぬ人から「この荒れ果てた庭、好きなんですよー」「雑草って、ほんとうに、いろんな種類があるのだと、このおうちのおかげで知りました」だのと、マウンティングなのかふつうの褒め言葉なのかわからないことを言われつづけているわたしは、内心で「ちっ」と思っていたのだけれど、そのうちに、その人の話に大いに引きこまれてゆく。
 いわく、自分の家の庭仕事用の脚立の高さは一メートル半ほどである。その脚立にのぼり、枝の剪定をしばしばおこなうのだけれど、木の枝は縦横無尽に生え出るため、しばしばえびのように反ったり片足を大きくひろげて枝にかけたり、脚立の届かない高枝だと木に飛びうつって大きく足をひろげ剪定したりする。ジムで柔軟体操などしていることが、たいへんに役立つ。
 いわく、お隣の人は、ずっと自分のことを植木屋だと思っていた。お屋敷でもないのに、毎日植木屋が手入れをしているとは、なんと風雅な家だと勘違いされていたらしいが、ある日突然、庭木の手入れをしている自分の顔が、いつも挨拶をかわす隣の人間の顔だと認識したらしく(帽子をかぶって手入れをするうえに、高所にいつもいるので、顔が見えなかったもよう)、仰天された。
 いわく、植木ばさみを入れておけるベルトを持っており、大小の植木ばさみを拳銃のように腰に下げ、用途に応じて使いわけている。
 語ってくれたのは、七十代・女性。庭は純和風とのこと。一度も植木屋さんを頼まず、すべて自分で手入れをおこなってきたという彼女は、優しい声で、「でもねえ、さすがにだんだん年がいってきたから、一度くらい、植木屋さんを頼んでみようかと思っているのよねえ。どう思う?」
 と、みんなの顔を見まわすが、圧倒されきったみんなは、何も言えず、内心に、どおおおお……、と、風が吹き荒れるような意味不明な音を聞きながら、黙っているばかりなのだった。

七月某日 晴
 旅先で、仕事を一緒にした人たちと飲む。
 何がきっかけだったのか忘れたが、夫婦円満の秘訣についての話題となる。
「その話、この前も聞いた」と、決して言ってはならない。
 相手が自分のここが困る、いやだ、と抗議を始めたら、たとえそれが朝まで続いても、聞きつづける。
 という二点が大切だとの結論に。
「それは……」
 と、目を白黒させていると、
「大切なのは、愛ですよね」
 と、その二点をそれぞれに主張した二人が、嬉しそうに言いあい、それで飲み会はお開きに。
 ホテルの部屋に帰る前に、近所のコンビニでふらふらとストロングゼロのロング缶を購入し、部屋でぐっと飲んで、ようやく少し落ち着く。

七月某日 晴
 気温、三十八度に。
 食料品を買いに出るも、買ってエコバッグに入っている生ものが、この暑さで瞬時に腐敗してゆく恐怖におそわれ、小走りに帰る。
 帰宅した時には汗びっしょりで、それでも不安なあまり食料品を出して確かめると、どれもまだ、ひんやりと冷たい空気をまとっている。
 スーパーマーケットは店内を冷やしすぎで地球にやさしくない! と、いつも思っていたが、この日ばかりは、スーパーの冷え具合と食料品を置いてある冷蔵ケースの冷気の強さに感謝。
 結局は自分中心なんですよ、すまんね、と、未来の地球のひとびとに謝りつつ、開き直りつつ、食料品を冷蔵庫にしまう。

七月某日 晴
 今日も暑い。
 この七月の、「愛」についての奥深くも困難な話や、地球にやさしいのはうわべばかりの自分に対する自己嫌悪や、そのほかにもいくつかあったややこしいできごと(あまりにややこしいので、日記にも書けない)のために、最近の言葉でいうと、「闇落ち」しそうなこころもちに。
 仕事はやめて、ずっととっておいた大好きな小説家の新刊を読みはじめる。
 あまりにすばらしい小説で、少しだけ読んでやめにしようと思っていたのに、最後まで読みふけってしまう。憑物が落ちたように、白くてなだらかで涼しい場所にいるようなこころもちに。

七月某日 曇
 某仕事先で、先日読んだすばらしい小説を書いた小説家を、遠くから見かける。
 面識はあるが、おそれおおくて、遠くから眺めるだけにする。心の中で、「あの小説を書いてくださってありがとうごぜえますだ」と、白土三平の漫画の中のお百姓さんたちが何かに感謝する時の言葉づかいで、お礼を言う。
 帰り道、スコールのような雨に。濡れながら、もう一度、かの小説家にひそかに感謝しつつ、これで庭の水やりをあまりしていないのがノーカンになるしめしめ、と、いつもの小物ぶりを発揮。
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