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第7話

パンデミック下の一時帰国(後編)

[ 更新 ] 2024.08.30
 廊下を行き来する医師や看護師の姿が見える。酷かった頭痛はすっかり消えたが、まだボーッとしていて頭が働かない。腹部にも違和感がある。
 読者諸賢は「一体全体、何が起こったのか」と思っていることだろう。私も、意識を失い救急車で病院へと搬送されていく一部始終を、ドラマチックに躍動感あふれる文章で表現したいところだが、残念ながら、それは難しい。私にはそれだけの感性も表現力もないし、それ以前に肝心の救急車内の記憶がない。見舞いに来ただけだからだ。
 入院しているのは妻である。妻は中学・高校のバスケットボール部時代に右膝前十字靱帯を損傷して手術を受けており、また何かの拍子に膝を痛めてしまうのでは、と常々心配していたのだが、不運にも、その懸念は現実のものとなってしまった。約2週間前、関西国際空港到着時、0歳の子どもを抱いて飛行機から降り立った瞬間に膝をねじってしまったのだ。それから今に至るまで、膝の違和感に苦しめられているという。しかし、私たちは、入国後、新型コロナウイルス感染症に関する水際対策によってホテル及び親族宅での隔離を余儀なくされ、長らく膝の異変を放置せざるを得なかった。そして数日前、ようやく隔離期間が終わり、妻が高校時代に膝の手術を受けたという香川県高松市にある某病院を訪れた。診断の結果、損傷はそれほど深刻ではないが、なるべく早く入院して手術を受ける必要があることが分かった。こうして妻は、急遽入院することとなったのだ。


12月21日

 妻を病院まで送ったあと、私は子どもと2人で病院から徒歩10分のホテルにチェックインした。毎日、2人で妻の見舞いに行くためだ。ホテルは高松市の中心部にあり、コンビニ、定食屋、ドラッグストアも徒歩圏内だ。小児科だって歩いて行ける。ここであれば何の不安もなく子どもの世話が可能だ。
 私は、子どもを抱いて街をぶらぶらすることにした。と言っても、すぐに腹が減ったので、まずは定食屋に入ることにした。魚を食べるためだ。香川は魚が美味い。
 小さな定食屋に入ると、間もなく店の女性がさっと現れ、店の入口から一番近い座敷席へと案内してくれた。そして、子どもを抱いて座敷に上がる私を見ると、「慣れない子守り大変でしょう?」と言った。私にも365日24時間我が子に寄り添ってきたプライドがある。私が、「育児休業を取得していて子守りは毎日のことだから、もう慣れたものですよ」と言うと、彼女は一瞬、困惑したような表情を見せた後、「普通は女性が休業するものですけどね」と言って私に軽蔑の眼差しを向けた。奥さんを働かせて自分だけ育児休業をとってゴロゴロしている見下げ果てた卑劣な男、とでも思っているに違いない! どうやって見抜いたのか教えてもらいたいものだ。
 ちなみに、誤解や偏見により苦い思いをすることは、日本に限らず、ニューヨークでもたびたびある。
 ある日、私が子どもと2人で朝食を食べようとダイナーに入ったときの話である。入店するなり店の女性が子ども用の椅子を持ってきてくれたが、その後、待てども待てども水もメニューも出てこない。しばらくして、「メニューもらえますか?」と言ったところ、彼女は「お母さんも来ると思っていたわ。あなたたち2人?」と言うのだ。つまり彼女は、子どもには母親が付いているものだから妻もすぐ後に必ず来る、と想定し、メニューを出すタイミングを見計らっていたのだ。
 他にもある。ハドソン川に近い某ショッピングモールでの話だ。私が抱っこ紐の首の後ろの留め具を固定しようとしていると、近くにいた男性が、「手伝ってやろうか? そういうの、男は滅多にやらないから上手くできないよね」と笑顔で話しかけてきたことがある。親切はありがたいが、それは違う。私は抱っこ紐の留め具の固定など、1日に10回以上、365日繰り返している百戦錬磨の猛者である。それでもできないだけだ。
 定食屋で美味しい刺身定食をいただいた後は、ドラッグストアに立ち寄った。離乳食やミルクを買い足すためだ。日本では、すき焼きや煮物などの和食風の離乳食、リゾットやトマト煮のような洋食風の離乳食など、様々な離乳食が容易に手に入る。アメリカでは、これほど手の込んだ離乳食は売っていない。日本の食のレベルの高さについては今さら言うまでもないが、離乳食もまた高い水準にあることは、あまり認識されていないと思われる。「これにしよう」、「これ良いな」、「これ買ってあげる」などと、子どもに話しかけながら買い物カゴをいっぱいにしていると、いつの間にか抱っこ紐の中が静かになった。お昼寝の時間だ。
 ホテルに帰ると、妻から電話があった。明日の手術に備え、病室でのんびりしているらしい。私たちのことを心配してくれているようであったが、こちらはいつも通り2人でぶらぶらしているだけだ。全く問題ない。むしろ妻の方が心配である。きっと心細い思いをしているはずだ。私は、一人病室で過ごす妻を不憫に思い、「年の瀬のこんな時期に……」と言いかけたが、途端にソワソワし始め、言葉を呑んだ。そして、ただ、ゆっくり休むように言って電話を切った。命にかかわる話ではないが、それにしても大変なことになった! 妻へのクリスマスプレゼントを買っていないことに気が付いたのだ。年の瀬のこんな時期に。


12月22日

 今日は午後3時頃に見舞いに行く予定であるが、それまでは時間がたっぷりある。私は子どもを抱いて高松の街を散策し始めた。クリスマスプレゼントの良いアイデアが浮かぶのではないか、と思ったからである。しかし、頭痛が酷い上、ボーッとして頭がまともに働かない。デパート、家具屋、本屋などを周るも、良いアイデアは一向に浮かばない。私は胸元の子どもに、「ここで休憩しよう」と言うと、カフェに入った。子どもにミルクをあげながらコーヒーを飲んでいると、幸い、頭痛だけは治まった。私は毎朝コーヒーを飲む習慣があるため、たまに飲むのを忘れると酷い頭痛に襲われるのだ。これは「カフェイン離脱症状」として知られている。一方、ボーッとして頭が働かない症状に関しては、改善の兆しさえ見えない。カフェインをいくら摂取しようと「阿呆・間抜け」は治らないのである。
 何の進展もないまま昼になった。子どものご飯の時間だ。ホテルに戻らねばならない。
 ホテルに戻るや否や、私は便意を覚えた。この2週間、隔離生活による運動不足で便秘気味であったが、昨日、今日とたくさん歩いているためか、急に催したのである。しかし、ホテルの室内では、子どもは常にベッドの上にいるようにしていたため、トイレに行って目を離すと落下の危険がある。かと言って、カーペットへは降ろせない。誰がどんな靴で歩いたか分からないからだ。一つ前の宿泊客はうんこを踏んだ靴で歩き回っていたかもしれない。そんなところを、免疫の弱い乳幼児がハイハイするのは非常に危険である。ベッドにもカーペットにも置いていけないなら、トイレに連れていく他ない。しかし、カーペットと同様、トイレの床にも座らせられない。さあ、どうする。私は、背もたれと肘掛けで三方を囲まれた椅子をトイレ内の壁に向けて置くことで、四方が囲まれた安全な台とし、子どもにはその中で待機してもらうことにした。トイレは狭いので、万が一、落下の危機に瀕した際にも、手が届く距離であるから安心だ。こうして糞詰まりの男がどん詰まりの状況を打開しているうちに、早くも見舞いに行く時刻が訪れた。
 病院に行く途中、コンビニでおにぎりを購入したが、妻のことが心配で鮭おにぎりは喉を通らなかった。幸い、牛肉おにぎり3個は喉を通った。
 廊下を行き来する医師や看護師の姿が見える。酷かった頭痛はすっかり消えたが、まだボーっとしていて頭が働かない。腹部にも違和感がある。
 いつの間にか、一人の看護師が私のすぐ側に立っていた。4階の妻の病室まで案内してくれるという。
 日当たりの良い窓際のベッドに横たわる妻の姿が見えた。点滴を受けながら俯く姿は、どうも元気がなさそうである。しかし、こちらに気付いた途端、妻の表情はパッと明るくなった。子どもに会えたことがよほど嬉しかったのであろう。子どもの名前を何度も何度も呼び続ける妻の姿は、まるで他の言葉を全て忘れてしまったかのようであった。少なくとも私の名前は忘れたようだ。
 パンデミック下であったため、面会時間は限られていた。昨日どう過ごしたか、といった他愛もない話を交わしただけで時間がきた。皆で写真を撮ると、私と子どもは病室をあとにした。病院を出ると、私たちは前の道から4階の病室に向かって手を振った。窓の向こうに、手を振り返す妻の影が確認できる。私は胸元の子どもに「ほら、ママいるよ」と言って上方を指さしたが、全く理解していない様子であった。一般に、生まれたばかりの子どもの視力は0.01程度であり、そこから徐々に向上し、1歳で0.2程度になるというから、私の子どもの視力も、その程度であろう。分からないのも無理はない。私は、「さぁ、帰ろう」と子どもに言うと、早足で帰路についた。ホテルに着くころには、外は暮れ始めていた。

 
12月23日

 朝から子どもを抱いて見舞いに行った。ただし、今日は病院には入れないため、また前の道から4階の病室に向かって手を振っただけであった。妻は嬉しかったのだろう。病院の前に佇む私たちの姿を、ずいぶん長い時間にわたって撮影していた。警察に通報するためではないはずだ。
 午後は、雨が降ろうと槍が降ろうと、妻へのクリスマスプレゼントを見つけねばならない。しかし、一昨日の夜から良いアイデアが思いつく気配はまるでない。こんなことは珍しい。過去10年を振り返っても、10回しかない。
 妻の退院は24日の午後、すなわち、約24時間後だ。退院までに間に合わせるには店頭で購入するしかない。ホテルから徒歩圏内、しかも、子どもを抱いて行けるような近場でだ。私は運転をしないから、遠くへは行けないのである。
 私は、ふと、研究のためにヴァージニア州で暮らしていた頃のことを思い出した。2017年から2019年の話だ。運転の話になるといつも思い出す。私は、友人Y氏の同乗の下、Y氏の車で運転の練習をしていた。しかし、私の運転センスは酷いものであった。常に恐る恐る運転しているので、他の車がどんどん追い抜いていく。運転手たちは皆、追い抜きざまに、中指を立てながら怖い顔で口をパクパクさせている。強面の男が中指で鼻をほじりながらサンキューと言っていた可能性も否定できないが、十中八九、ファッキューと言っていたのであろう。運転技術の向上には、こうした理不尽に耐えて練習するほかない。1に忍耐、2に忍耐、3に忍耐である。私は残念ながら、そうした忍耐に恵まれなかった。Y氏が私の運転に耐えられなかったのだ。
 中指を立てて口をパクパクさせる男の無声映画の如き幻影に触発されたのか、私の脳裏にイヤフォンを買うという妙案が浮かんだ。そう言えば、妻は新しいイヤフォンが欲しいと言っていた気がする。
 私は、イヤフォンに的を絞って探索することにした。手始めにホテルから徒歩1分の店へと足を運んだところ、信じ難い幸運であるが、最初の店で早速良いものを見つけた。私は胸元にいる子どもに向かって、「これにしよう!」と興奮気味に話しかけると、ただちに会計を済ませた。懸案は、急転直下の展開で瞬く間に解決した。これは私の至高の着想と店頭での奇跡的な出会いが結びついた帰結であり、決して徒歩1分の店で適当に手を打ったわけではない。


12月24日

 朝から私は余裕に満ちていた。すでにプレゼントを購入していたからだ。妻は午後に退院の予定であるから、もう見舞いに行くほどでもないのだが、あふれる余裕に背中を押され、私は朝の散歩がてら病院へ向かった。いつもの通り、病院の前の道から4階の病室に向かって手を振ると、手を振り返す妻の影が見えた。
 午後3時頃、妻が退院した。少し早いが、3人で夕飯を食べに行くことにした。座敷席がある騒々しい居酒屋だ。座敷は乳幼児の世話がしやすく、落下の危険もない。また、皆が大声で談笑しているような賑やかな店は、子どもが多少泣いても叫んでも誰も気にしない。こういう店こそ、乳幼児連れが外食する際の最適の場所である。
 私は、握り寿司を頬張る妻にプレゼントを手渡した。妻は、退院の喜びや子どもに会えた喜びも相まってのことであろうが、服に醤油をこぼしながら喜んでいた。プレゼント購入へと至るまでの騒動を正直に話すと、妻は驚いていた。私が日々、家事や育児をこなす姿を間近で見ているためか、直前になってドタバタとプレゼント探しを開始したのは意外だったらしい。クリスマス以降にドタバタすると思っていたようだ。


 その後は、特筆すべきことは何もない平和で穏やかな日々であった。私の実家がある奈良での滞在や、私と妻がかつて住んでいた京都の散策などを経て、1月上旬、ニューヨークへの帰路についた。
 こうして、波乱に満ちたパンデミック下の一時帰国は幕を下ろした。妻の入院や、その間の私と子どものホテル滞在など、予定外の出費が嵩みに嵩み、旅費は予定を大幅に上回る膨大な額となった。ほとんどの支払いは、一家の大黒柱たる妻が済ませたが、少しでも妻の負担を軽減できるよう、私は進んで身銭を切ることを申し出た。妻はいらないと言ったが、私は思い切って貯金を切り崩し、30万程度を負担することにした。ただし、単位は円ではなく銭である。
 最近になり、妻が痛みに耐えるような表情で顔をしかめているところを見た。私は心配になり、「膝が痛むのか」と尋ねたところ、妻は首を横に振り、こう言った。「懐が痛い」と。
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