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第3話

狂気の街へとやってきた

[ 更新 ] 2024.01.10
 うんこを踏んだ。しかし、私は顔色ひとつ変えなかった。汚物が道に転がっていることなどニューヨークでは日常茶飯事だからだ。それに、踏んだのは私ではなく妻だったからだ。
 ニューヨークが糞尿とゴミが溢れる異臭漂う街であることは、アメリカでは周知の事実である。例えば、ある有名コメディアンは、「現存する最も古いトイレを知ってるかい? ニューヨークの地下鉄だよ!」と言っている。もちろん、この発言は大袈裟である。さすがのニューヨーカーたちも、地下鉄のホームや車内をトイレ代わりには使わない。数は少ないが、個室トイレが整備されているからだ。この個室トイレは、エレベーターと呼ばれている。
 無論、全ての人がエレベーターで用を足すわけではない。多くの人は飲食店のトイレや公衆トイレを利用する。公衆トイレについて言えば、日本とは少し状況が異なる。ビル内部に関係者用のトイレがあるのは日本と同じであるが、多くのビルの外側には部外者用の公衆トイレが設置されているのだ。このトイレは、歩道と呼ばれている。
 街の至るところにトイレがあり、否、街の至るところがトイレであり、開放的なトイレの数を競うならば先進国の主要都市の中でも随一であろう。ただし、日本人が通常「公衆トイレ」と呼んでいる類の公衆トイレは少ない。旅行者は注意を要する。
 聡明な読者諸賢は、「歩道がトイレなら、車道はどうなのか」といった素朴な疑問を抱いたに違いない。もちろん、車道はトイレではない。危険だからだ。しかし、驚くべきことに、車道までもトイレとして利用してしまう者が少なからずいるのだ。先日も、タイムズスクエア付近で1人の男が車道の中央に仁王立ちになり、車の通行を妨げた上で、ボンネット目掛けて放尿しているのを目撃した(男はその後、車を思い切り蹴飛ばし、その反動によって自分の尿の上で転んでしまった)。しかし、この手の事件はニューヨークでは珍しくなく、皆、表情一つ変えずに通り過ぎていく。自分の身に火の粉が、否、「しずく」が降りかからない限り。
 時折、「日本に帰りたい」と思う。もちろん、そんなに頻繁ではない。年に1200回程度だ。それも、ある決まった曜日に限られる。土曜と日曜、それに木曜、金曜、月曜、あとは火曜や水曜だけだ。


 この狂気の街へとやってきたのは、2021年春、子どもが生後4ヶ月の頃であった。意外に思うだろうが、ニューヨーク生活の始まりは喧騒とは程遠い、静かで薄暗いものであった。一番の理由は、パンデミックである。
 当時は、世界が新型コロナのパンデミックの時代へと突入して約1年が経った頃だ。日本では、春に高齢者のワクチン接種が始まったばかりであり、私も妻も子もワクチン未接種の無防備な状態での渡米であった。子どもが感染しても重症化することは稀であると聞いていたが、自分の子どもがその稀な事例に当てはまる可能性はゼロではない。それに、たとえ子どもが無症状であっても、私と妻が感染して倒れたならば、子どもの世話は誰がするのか。助けてくれる人など誰もいないのである。さらに追討ちをかけるように、当時はアジア人というだけで感染者であるかのような扱いを受けたり暴行を受ける、といった、露骨なアジア人差別が横行していた頃だ。どこで凶暴な差別主義者に遭遇するか分からない。外は姿の見えない敵(新型コロナウイルスと差別主義者)で溢れていた。
 唯一の救いは、ニューヨークではすでに、子どもを除く誰もが簡単にワクチンを接種できる環境が整っていたことだ。市内各所に大型の接種会場が設置されていた上に、ニューヨークのコンビニ的な存在とも言える某ドラッグストアでも接種が可能であった。オンライン予約システムを使って多数ある会場のいずれかを予約し、会場に足を運ぶだけだ。
 渡米から間もない週末の朝、私たち夫婦は子どもを抱き、小雨が降りしきるタイムズスクエアへと向かった。1回目のワクチン接種のためだ。今では考えられないが、タイムズスクエア周辺は閑散としており、遠方に少数の人影が確認できる程度であった。巨大なディスプレイ群が、ほとんど無人の街を煌々こうこうと照らしている様子は、まるで人類の終末を描いたSF映画の一コマのようであった。
 その日の夕方だ。テレビが発砲事件の映像を繰り返し流している。その現場は私たちが訪れたワクチン接種会場の前の路上であった。喧嘩がエスカレートした末に男が銃を撃ち、その流れ弾が4歳の女の子の脚を撃ち抜いたという。当時は、暴行事件や刺殺事件、強盗、それからアジア人に対するヘイト犯罪が連日のように報道されており、このタイムズスクエアにおける発砲事件も数多あまたの凶悪犯罪のうちの1つに過ぎなかった。「これから先、こんな街で子育てをするのか」と考えると、私は暗澹あんたんたる気持ちになった。
 子どもに外の景色を見せてあげたいという思いもあったが、この状況では外出を躊躇せざるを得なかった。しかし、幸い、生後4ヶ月の乳児の生活を考えれば、外に連れ出さねばならない強い理由もなかった。私たち夫婦が書き留めた記録によると、当時の1日のスケジュールは次の通りである。

7時:オムツ交換と授乳。
8時-9時:哺乳瓶の洗浄・殺菌。子どもを寝転ばせて遊ばせる。
9時-10時:子どもを寝かせる(1)。
10時:子どもを寝転ばせて遊ばせる。
10時半:オムツ交換と授乳。
11時半:自分たちの昼食。哺乳瓶の洗浄・殺菌。
12時-14時:子どもを寝かせる(2)。
14時半:オムツ交換と授乳。
15時半-17時:哺乳瓶の洗浄・殺菌。子どもを寝転ばせて遊ばせる。
17時:風呂掃除。子どもを風呂に入れる。
18時半:オムツ交換と授乳。哺乳瓶の洗浄・殺菌。
19時半:子どもを寝かせる(3)。自分たちの夕食。
22時半:薄明りの中でオムツ交換と授乳。
23時-翌朝:子どもを寝かせる(4)。哺乳瓶の洗浄・殺菌。

 歩くことはおろか、ハイハイさえ出来ないため、遊びと言えば、子どもを寝転ばせたまま玩具に触れさせたり、絵本を読み聞かせることくらいである。外出は、時折、買い物に連れていく程度である。
 このスケジュールを見ても分かりにくいかもしれないが、実は、前回話した、生後1ヶ月未満の子の1日と比較すれば、ずいぶんと楽になっている。最も大きな要因は、深夜に起きる必要がなくなったことであろう。夜、寝る前に授乳しておけば朝までぐっすり眠ってくれるため、親は規則正しい生活を送れるのだ。また、栄養源は未だミルクのみであり、食事を作る必要さえない。その上、昼寝は依然として長い。私にとって、生後3ヶ月頃から離乳食を開始する生後6ヶ月頃までの期間は、子どもの世話が最も楽な期間であった。


 さて、ここで、私が置かれていた当時の状況を整理しておきたい。ニューヨークの街では、ワクチンの登場により早くもパンデミックの終わりが見えつつあったものの、凶悪犯罪やアジア人へのヘイト犯罪の増加という深刻な治安上の問題がなおも残されており、外出は控えざるを得ない状況であった。一方、生後4ヶ月の子どもの世話は生後1~2ヶ月の頃の育児を経験した私にとっては実に容易いものであった。一緒に遊び、ミルクを与え、昼寝をさせるだけであり、しかも、昼寝の時間が長い。私は精神的にも肉体的にも時間的にも余裕で溢れていた。この有り余る資源をいかに使うか、まさに私の器が問われていたのである。
 思うに、古往今来、人々は「怠惰の限りを尽くしたゴロゴロ生活」を夢見ながらも、その気持ちに蓋をした上で漬物石を載せて抑えてきた。この欲求は時折、蓋を押し退け、ひょっこり顔を出す。無理に抑えつけても大根臭を漂わせながら何度も顔を出す。下手をすれば腐って取り返しのつかないことになる。いっそのこと、蓋を開けてゴロゴロしたい気持ちを解き放つのも悪くない。しかし、「言うは易し、行うは難し」である。1日や2日ならいざ知らず、訳もなく何ヶ月もゴロゴロしようものなら社会生活や家庭生活に著しい不都合が生じ始める。学生ならば単位を落とし、大学院生ならば学位を逃し、自営業なら倒産し、会社員ならばクビになり、妻には愛想を尽かされるだろう。怠惰に過ごしたいという純粋無垢かつ人畜無害な望みに対し、かくも凄惨な仕打ちが待っているのだ。しかし、当時の私は例外であった。私を取り巻く環境の全てが、ゴロゴロすることを支持していたのである。「機会の窓」は前触れもなく突如として開け放たれたのだ。私でなければ、狼狽うろたえ、好機を逃し、勤勉で秩序ある生活を続けたであろう。しかし私は新たな地平を追い求め、勇敢にも、怠惰で無為なゴロゴロ生活へと跳び込んだ、否、転がり込んだのであった。私は常に困難な道を選ぶ人間である。
 怠惰な生活は、たとえ周囲の支持を得ていたとしても、その継続は簡単ではない。大きな要因として、罪悪感や焦燥感が挙げられる。子どもの頃から皆、「勤勉であるべし」と事あるごとに言われてきたからだ。実際、古今東西の偉人たちによって、怠惰であることを戒める多くの格言が残されている。「怠惰はすべてを困難にし、勤勉はすべてを容易にする」とは、ベンジャミン・フランクリンの言葉である。彼はほかにも、こんな言葉を残している。「今日できることを明日に延ばすな」である。私も異論はない。今日できることは明後日に延ばすべきだ。明々後日ならなお良い。
 かくいう私も、来る日も来る日も代わり映えのない怠惰な生活を送る中、多少の焦りや罪の意識に苦しめられた。ある日、私は、こうした状況下において自らが成すべきことについて、冷徹かつ緻密な分析を行った。長時間の居眠り、否、沈思黙考の末、「今は学識を深め、創造性を養うため、情報を吸収すべき時だ」という結論に達し、私はネットフリックスに加入した。
 この生活には、外からは見えづらい苛烈な面もある。例えば、子どもの昼寝中だ。子どもが寝ている間にしか出来ない仕事を終えるため、全神経を集中させる必要があり、疲労も相当なものであった。例えば、劇場版ガンダム全エピソードを見た後の疲労感と喪失感は千言万語を費やしても表現し得ないものであった。さらに、ゴロゴロしていても家事を忘れてはならない。例えば、掃除は大変である(掃除機が)。洗濯や乾燥も大変な作業である(洗濯機と乾燥機が)。そして何をおいても、食器洗いである。大量の食器を、しかも、入念に洗浄する必要があるのだから、並々ならぬ労力が必要である(食洗機が)。しかし、愛する家族のためなら、いかに大変であっても全く苦ではない(機械が働く限りは)。私自身が大変な思いをするのは、妻の帰宅後だ。機械に指示を出しているだけなのに忙しいふりをせねばならないのだ。
 ちなみにアメリカでは食洗器が大半の家庭に普及しており、私がかつて暮らしたことがある、巨大ゴキブリが跋扈ばっこする築90年のアパートでさえ、食洗器だけは備え付けられていた。洗濯機すらないにもかかわらずだ。幸い、今私たちが暮らしているアパートでは、洗濯機、乾燥機、食洗器が備え付けられており、これらが快適な主夫生活に貢献してくれていることは間違いない。これから主夫(主婦)になる人には、他の嗜好品を全て断ってでも、これらの家電を揃えることをお勧めする。部屋の整理整頓をして服を畳んでくれるロボットが普及すれば、もっと怠惰な生活が送れるだろう。


 さて、読者諸賢の中には育児休業の取得を検討している人もいるだろう。そして、その中には私のような怠惰な人間も含まれていることだろう。怠け者を自認する人間には、ここで挙手をお願いしたい。手を挙げた諸賢は、ここまで読んで次のように考えたに違いない。「生後3ヶ月頃から離乳食開始直前までの3ヶ月間を狙って育児休業を取れば楽が出来る」と。図星であろう。実に浅はかである。まるで自分を見ているようで非常に好感が持てる。しかし、この考えは間違っている。それは、私がまだ述べていない重要な事実、すなわち、「離乳食を開始した後の方が楽しい」という事実を考慮していないからだ。離乳食以降が育児休業という名の大人の夏休みの本番である。夏休みを途中で切り上げて働き始めるなど、怠け者の風上にも置けない。離乳食開始後の生活については、次回以降に詳しく話す予定であるから安心されよ。
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