第7回
清澄白河の洋風長屋
[ 更新 ] 2026.07.31

清澄白河という地下鉄駅が大江戸線で開業したのは2000年、クロスする半蔵門線の方の開業が2003年というから、その合体型の地名ができあがってほぼ四半世紀になるわけだ。もはや僕もあの辺をごく自然にキヨスミシラカワ、と呼んでいる。
名所的なポイントとしては、まず清澄庭園、深川江戸資料館、芭蕉関係のミュージアムや稲荷、いくつかの相撲部屋……なんていうところが思い浮かぶ。定番の清澄庭園のなかももう何度か散策しているが、近年それ以上に「これこそ貴重な東京遺産」と思うのは、庭園の木立ちを背景にして清澄通りぞいに建ち並ぶ2、3階建の洋風長屋筋だ。正確には「旧・東京市営店舗向住宅群」というらしい。関東大震災後の復興事業として、当時の東京市によって設備された商店用の住宅なのだ。
ざっと数えると小店が30軒余り、通りが少し曲折した先の仙台堀川手前の信号のあたりまで続いている。駅に近い深川資料館通りの口の方からのショットは、もう何度も写真に記録しているが、この数年、随分テナントが入れ替わった。かなり昔からなじみがあるのは「印章ゴム印」の看板を出したハンコ屋くらいではないだろうか。
取材当日、北端の一角はオープンしたてのカフェとブティックになっていたが、ここはひと頃までピアノ教室、さらにその前身は「中根歯科」という歯医者さんだった。僕は15年ほど前、江東区が発行する広報誌の取材で、なかを見せてもらいながら住人の中根富美代さんという女性にお話を伺ったことがある。
彼女の父親から御主人に引き継がれた歯科医院は廃業して、治療室だったところには富美代さんがレッスンで使う立派なピアノが置かれていたが、2階から簡素なハシゴ段を上っていく屋上の景色が印象に残っている。屋上は各家の間が低い柵で仕切られながらも通りぬけられるようになっていた。鉢植えなんかが置かれた、ちょっとした庭として使われていたが、なんといっても裏側に広がる清澄庭園の景色が壮観だった。
関東大震災の火災被害を念頭に鉄筋コンクリートで建築された長屋住宅、昭和20年3月の空襲で深川一帯が火災に見舞われたときもここは焼け残って、中根さんのお宅にも多いときで30人くらいの被災者が同居していた、と聞いた。
そんな歴史深い歯医者さんの跡のカフェでオチャしていこう。清澄白河は、アメリカ・オークランド発の「ブルーボトルコーヒー」の日本1号店が出店したのを契機に、下町のカフェ密集地帯となっていった地域だが、ここはオーストラリア発の「バイロンベイコーヒー」のカフェなのだ。僕はオーストラリア通ではないけれど、バイロンベイってのは東海岸のリゾート地・ゴールドコースト南方の港町。サーフィンの人気スポットらしく、僕らが座った2階のフロアーにはサーフボードが飾られ、壁に「ザ・ビッグウェンズデー」のポスターが貼られていた。
裏側に面した一角は窓を広く取ったラウンジ風ボックス席になっていて、まさに借景の極みという感じで清澄庭園の池畔景色が眺望できる。アイスのカフェラテを味わったが、濃い口のコーヒーもクリームもうまかった。
これを書くために、90年代くらいにこの辺を散策したときの文章を読み返していたら、清澄通りの向こう側に「消火器」というデカい赤文字看板を掲げた消火器専門店があったことを思い出した。この店はいつしかなくなってしまったけれど、常夜灯型の看板を道端に立てた深川資料館通りの入り口2軒目あたりの「高木小鳥店」はシャッターを下ろしているものの健在だ。
ここは小鳥を売る鳥獣商というよりも、洗顔用のウグイスのフンを売る店、として知られていた。口が達者なオヤジさんがいて、戦時中の満州の思い出話などを一方的に語りながら天然のウグイスのフンを勧めてくる。
「仙台の方からも買いにくんだよ、これ。自分とこで作ってる店なんて、滅多にないからね。一回洗うだけで、すぐに効く。スベスベしてくるよォ」
90年代のエッセー(『大東京バス案内』)に書きとめているけれど、実際頬がスベスベツルン、としたのを覚えている。
もう1つ、ここの店先には「江東区役所前」という、清澄通りを走っていた都電の電停看板が掲げられていた。検索して現われたAIの情報によれば、残念ながら閉業してしまったらしい。

