第22回
そこに塩もみがあるだけで
[ 更新 ] 2024.10.24
「朝、きゅうりの塩もみをして冷蔵庫に入れとく。それだけでその一日、ちょっと幸せですよね」
ああ、わかるわかると膝を打った。同時に、料理のプロも生活の場面では皆同じなのだなあと親近感が湧いた。
私はその朝、キャベツの塩もみをして家を出ていた。キャベツの千切りがスルスルできる「キャベピィ」というピーラーで、半玉をボウルに削る。塩をパパッと振ってもみこみ、その間に出かける支度をする。出掛けに千切りキャベツを軽く絞り、ガラスの保存容器に入れて冷蔵庫へ。
帰ったらとりあえずあれがあるもんなと、ちょっぴりほくほく。そんな冷蔵庫の光景を思い出しながら、料理家のひと言にうなずいた。
キャベツの塩もみにじゃことすし酢を加えれば1分で酢の物ができる。ツナ缶・マヨネーズ・カンタン酢(ミツカン)でコールスローにしてもおいしい。翌日もまだ残っており、夫が帰りがけに中華料理店で鶏の竜田揚げと黒酢酢豚をテイクアウトしてきたので、これ幸いと料理もせず、どちらにもキャベツの塩もみを添えて、二品にしてしまった。
冷蔵庫に塩もみがあるというだけで、万能な助っ人を得たように心強くなれる。
料理家の彼女が言うように、きゅうりのそれも頼りがいがある。塩昆布とごま油で中華和え、鶏ガラの顆粒・醤油・キャベツの細切りをレンジで加熱したものと混ぜ合わせて無限きゅうり、とレシピも無限だ。
人参も便利で、きゅうり、キャベツと共に、私にとって便利な塩もみ万能トリオである。
粗い細切りにできる人参や大根専用の「しりしり器」という沖縄ではポピュラーなスライサーで、とりあえず朝、何も考えず人参を1本ないし2本分スライスし、塩を振っておく。食べるときにオリーブオイル・塩コショウ・マスタード・あればレーズンやくるみを加えてラペにする。皮を剥くところから始める野菜炒めの人参は火が通りにくいが、塩もみは細切りでしんなりしているので、火の通りも早い。彩りになり、塩分の味付けも控えめにできる。
料理ってちょっとしたことだよな、と思う。でもその“ちょっと”は、実際生活しないと体得できず、小さな失敗や試行錯誤の末に、体で覚えて身につけるもののような気がする。
不思議なもので、私の場合、どんな簡単な料理でも、ネットを見ておいしく作れていたものを、次に何も見ず作ることができない。また同じサイトで確認してしまうのだ。そしてその次も。自分の記憶力の悪さに辟易する。
朝、便利な調理道具の実力にすがってスルスル削ったり、千切りにしたり。あとは塩をパッパ。メインディッシュにはならないけれど、クタクタに疲れて帰った夜にネットのレシピに頼らず多様にアレンジできる塩もみはとりわけ、ありがたさが身にしみる名脇役だ。
人を招いたら柔らかなローストビーフをさっと出せたり、カタカナの長い名前のシャレた料理を素敵な器でもてなせる料理上手になりたいものだと願っていた若い頃、まさかきゅうりやキャベツの塩もみにこんなにも多幸感をもらえるとは想像もしていなかった。
台所には、小さな幸せがけっこうたくさん潜んでいる。住まいのなかで唯一、日常的にものを創り出し、自己肯定感が高まる作業場でもある。
そこに立つことがちょっと楽しみになるようにと願ったエッセイ、思い出の味、憧れの大人の食卓を描いてきた「自分の味の見つけかた」は今回でひとまず終わる。
さらに最強の味を盛り込んだ書籍を、来春発売の予定です。ご期待ください。