最終回
「おおきなかぶ」と「新時代の『日本的経営』」
[ 更新 ] 2023.10.20
教科書にはロシア民話をA・トルストイ(注1)が再話したと言われる「おおきなかぶ」が掲載されていた。それを先生が読んだか、みんながかわるがわる音読したかははっきり覚えてはいないのだが、とにかく授業の中で「おおきなかぶ」を順々に読み進めていった。
「おおきなかぶ」を知らない人に説明すると、あるおじいさんの家の庭にとってもおおきなかぶが生えたというのがストーリーの始まりである。そのかぶをおじいさんが引っ張っても抜けない。おばあさんが一緒に引っ張ってもかぶは抜けない。犬や猫などの引っ張る手伝いをどんどん増やしてかぶを抜こうとする。
「うんとこしょ どっこいしょ」
とみんなで掛け声を出しながらおおきなかぶを抜こうとするシーンが何度も出てくる。
そこまで読んで、先生は私たちにこう指示をした。
「今から、みなさんのノートに3回『うんとこしょ どっこいしょ』と書いてください。3回書けたら先生に持ってきてください」
みんなさっさとノートに「うんとこしょ どっこいしょ」と書いて先生のところに持っていく。私もすぐ書こう、と思ってノートに向かった瞬間、
「えっ? でもどうして『うんとこしょ どっこいしょ』って言葉を書かないといけないんだろう」
「ノートに3回書けっていうけど、なんで3回?」
「このお話の中で大事な部分って『うんとこしょ どっこいしょ』なのかな?」
「物語の最初から書いた方が勉強になるのでは?」
そんな疑問がどどどっと頭の中に渦巻いてしまった。ここで、
「せんせーい! どうして『どっこいしょ』って3回書かないといけないんですかー?」
とはっきり質問できていたら、私も日本の「長くつ下のピッピ」になれただろうが、そもそも「質問をする」という選択肢を当時は全く思いつかなかった。
周囲のクラスメートがどんどんノートに書いて先生に見せている。焦る中で、
「自分にとってはこの方が勉強になるはずだ」
と勝手に思い、物語の最初から書き教師に見せたところ、
「『うんとこしょ どっこいしょ』だけ3回書いてと言ったでしょう。もう一度書き直し」
と言われた。
どうして「『うんとこしょ どっこいしょ』を3回書くのか」を納得もできず質問もできない中で、授業が終わるギリギリの時間になってようやく「どっこいしょ」とノートに書いて、教師にマルをもらったのだった。
そして帰宅後めちゃくちゃ母親に怒られた。
「どうして『うんとこしょ どっこいしょ』を3回書くだけのことがわからないの⁉ 立ったり座ったりしてばっかりで、なんでそんなこともできないの?」
以前、母親から食べ方が汚いと叱られた時、「なんで行儀良く食べなきゃいけないの?」と口答えをしていた。だがここに「学校」という要素が絡むと、私の口は不思議なほどに回らず、母親に対してもその時は何も言えなかった。その頃からすでに学校というものに対して私は権威を感じていたのだと思う。従順じゃなければいけない、自分の意見を言ってはいけないと思いこんでしまっていたようだ。
小学校に上がってからは、体型が太っていることを教室でからかわれることがしょっちゅうあったので、先生のみならずクラスメートの子供たちに対しても思ったことを口にすることができなくなっていたのかもしれない。
しかし、こういう何気ない疑問を口にできるような環境や人間関係の方が、勉強だってもっとしやすかったと思う。事実、義務教育時代の私は決して成績が良かったとは言えないし……とここまで私の小学生の頃のことを延々と書いてしまったが、何が言いたいかといえば職場もきっと同じで、ハラスメントが横行したり、常に人間関係で緊張感を強いられている環境ではまず個人の「能力」さえどこまで発揮できるか怪しいということだ。常に萎縮しないとならない場所では、脳みそを含めた身体がどれだけ「能力」を発揮できるというのだろう。でも日本社会ではそういう緊張感ある環境でも脳や身体が動く人を今まで「有能」とみなしてきた。それは気の強い人とか、タフな人を選別するには長けたやり方ではある。優秀な「兵隊」を選別するにはとても適したやり方かもしれない。しかしその能力は本当に人として幸せに働く生活をもたらすものなのかという疑問がある。そして私が質問もできずモゴモゴとしている状態は、おそらくはたから見れば「勉強していない」「人の言うことを聞いていない」「要領が悪い」以外の何ものでもないわけだが、恐れや緊張故に何も自分の意見を表に出せない人というのが相当数この社会に存在していると思えてならない。そしてそれが長じて仕事の現場に着くようになったら「仕事をしていない」「上司の指示を聞いていない」「なんだかいつも要領が悪い」ということになり、そういう人が今の時代では場合によっては障害とかなんらかの病名がつき、仕事の場から弾かれてしまう。あるいはそういう環境の中で子ども時代を過ごしていれば、大人になったとしても、いや大人になったからこそその恐れや緊張感はもうその人の内側にしっかりと染みついてしまうことも考えられるだろう。そして威圧的な上司や同僚の前ではもっとその人の要領は悪くなるだろうし、指示もうまく聞けなくなるだろう。実際に仕事場の相手がそれほど恐ろしい人や緊張感を与えているつもりがなかったとしても、子どもの頃から心身に溜め込まれた恐れや緊張感が何かのきっかけで噴き出し、「働けない」という状況になる場合もある。そうやって「働けない」さらに「働かない」人も多く存在しているのではないかと、「引きこもり」の状況にある立場を想像したりする。私が不登校になった経験から引きこもりに移行しなかったのは、それこそさまざまな出会いが救ってくれただけで、自分の努力とはあまり関係ないことを知っている。
また私自身、ある種の緊張感や恐れから完全に脱却できたわけではないので、相手に攻撃する意図はなかったとしても、小さい頃に私が感じた恐れを触発させる相手(最近はあまり遭遇しないけれど、妙にイキっているようなタイプや、特定の女の子ばかり可愛がるようなタイプとか)に対しては非常にギクシャクしてしまい、仕事もなかなか覚えられず実につらいことになった記憶がある。
さらに気になることがある。もう少し成長すると「疑問を持ってよい層」と「疑問を持ってはいけない層」とに分けるような教育を受けていたのではないかという点だ。他の自治体ではわからないし、今どうなっているかも定かではないが、1980~90年代の神奈川県の県立高校は、いわゆる成績の良い進学校であるほど服装などの校則などが自由で、生徒たちによる自治的な活動も認められているという環境だった。しかし進学校ではないとかなり校則なども厳しく自治など程遠い状況だった。拙著『呻きから始まる』(新教出版社)でも書いたが、私が最初に入った高校では、入学式当日に教師が「上履きから体育館履きに履き替えろ!」と怒鳴るところから始まり、のっけから脱力した記憶がある(そしてのちに中退するわけだが)。
そんな教育を受けてきた世代の私たちが、その後思い切り影響を受けた企業及び政治の方針は、当時の日経連(現在の経団連)が1995年に打ち出した「新時代の『日本的経営』――挑戦すべき方向とその具体策」というものだ。
それまでの終身雇用型の形態に終止符を打ち、労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」、「高度専門能力活用型グループ」、そして「雇用柔軟型グループ」の3つに分け、「高度専門能力活用型グループ」と「雇用柔軟型グループ」は有期雇用とし、雇用の流動性を高め人件費を節約させようという戦略だ。日経連の想定以上に、この戦略は日本社会に普及することになる(注2)。団塊ジュニア世代、のちに氷河期世代と呼ばれる大卒男性たちが正社員ではなく時給で働く「フリーター」として注目されるようになった2000年代に、低賃金・不安定な雇用で働く非正規労働者が大量に増加した要因としてこの「新時代の『日本的経営』」が再び注目され批判もなされたが、それから20年。不安定かつ低賃金の非正規労働者(結局は主に女性たちが担うことになっていった)の問題は解決することなく、むしろ恒常化しているが、昨今はさらに違う問題も派生している気がする。
非正規労働者はこの方針でいう「雇用柔軟型グループ」に区分された煽りを受けたわけだが、残りの「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」のカテゴリーも、かなりいびつな事態になっていると思えてならない。
というのも私が大学時代を過ごした1990年代に「大学院重点化計画」というものが進められた。これはざっくり言えば、大学院の学生を倍増させるというもので、当時からすでに「学生を増やしても受け入れ先がなければ意味がない」という批判があった中で、さらに「新時代の『日本的経営』」でいうところの「高度専門能力活用型グループ」に括られることは、まさに大学院を出ても職がない、あるいは専門度が高い仕事が非常勤でしか見つからないという現状の苛烈さを生んだ要因としか思えない(注3)。私が大学生の頃、大学の先生たちは今の同世代の研究者たちの生活に比べると科研費獲得や業績作成に苦労しているようにも見えず、断然「暇」そうに見えた。今よりも学生たちと教授との交流も盛んだったと思う。まあ、そのような状況はハラスメントの温床にもなりやすいため、決して全てを肯定はできないが、それでもある種の「暇」を追い出し、ペーパーワークに強くないと生きていけない研究空間から生み出されるものが何なのかを注視していきたい。それこそ私が小さい頃、「おおきなかぶ」を読んだときに感じたような素朴な疑問を研究の場でも事務的な仕事に追われて発揮できないような事態になってはいまいかと懸念してしまう。
さらに「長期蓄積能力活用型グループ」とは唯一期間の定めのない雇用契約であり、管理職、総合職、技能部門の基幹職などを担うグループなのだが、このグループが一番空虚というか、具体性がないし、具現化されてもいない。この方針を考えた日経連の人たちがこの「長期蓄積能力活用型グループ」をどう育てようかという話はまったく聞いたことがない。もっと現状に即して言えば、セクシュアルハラスメントやパワーハラスメント、あるいはいじめなどが起こらず、従業員がストレスなく働ける場をつくる能力なんてぜっっっったいイメージされていない(注4)。「人間尊重の経営」「長期的視野に立った経営」が重要と方針には書いてあるものの、そもそも雇用が細分化されたおかげでまとまるものもまとまらず、雇い止めという形で職場からどんどん人が追い出され、経験が蓄積されない職場、経験ある人が定着せず、常に職場がピリピリしている状況をどう改善していくか、なんて話はこの「新時代の『日本的経営』」の文章の中には一つも見出せない。組織をどう作り維持していくかといったオーガナイザーの発想はどこにも見えない。とにかく私の世代は、プレッシャーをはねのけて能力を発揮できる人間が良しとされ、もっと言えば、周囲と協力して成果を出すよりも、個人の能力を上げていくことに集中するよう教育された気がする。「いじめられたくなきゃいじめる側に回れ」という教室の雰囲気をつねに感じながら育っていく中では、「人間尊重の経営」「長期的視野に立った経営」なんて絵に描いた餅だと思う。そして「人間尊重の経営」と書かれている「人間」は「シスヘテロ男性/健常者/在日日本(ヤマト)人/会社勤め/既婚者/子持ち」でしかなく、明文化されていなくとも最初からタフなマジョリティが想定されていたとしか思えない。そもそもジェンダーが男性でない人、病や障害を持っている人、プレッシャーに弱い人なんて想定されていないのだ。「新時代の『日本的経営』」は、立法的なプロセスを経て生まれた指針ではない。にもかかわらず、一般社団法人にすぎない組織の発信が、こうも私たちの世代を振り回してしまったのはなぜなのか。それは、私たちが受けた教育と見事に共振しあい、影響力を強めてしまったからなのかもしれないとも思う。「うんとこしょ どっこいしょ」と言いながらみんなで協力し合うことの意味を考えるより、ノートに「うんとこしょ どっこいしょ」と3回書くことを良しとする教育や、その延長で生み出された会社では、疑問を持つ人は面倒くさい人とされるし、萎縮して不器用な人は「仕事ができない奴」とみなされるだろう。病を持った人や障害のある人は居づらくさせられ、それをもうまく凌いだ上で発揮できる能力を持った人だけが「社会人」とみなされる。
80年代には国鉄が民営化、労働組合のナショナルセンターであった総評(日本労働組合総評議会)が潰されたのと同時期に男女雇用機会均等法と派遣法が誕生した。90年代に「新時代の『日本的経営』」の方針が出る中で、「女性も仕事をして当たり前」という社会的認識は広まったが、90年代後半から女性の一般職から派遣社員への切り替えは進み、非正規労働者率が増加した。そして2000年代には大学新卒健常者日本人男性の非正規労働者率が高まり、この40年間、労働環境において収入と待遇の格差と分断が進んだと言える。またこの40年、「ハラスメント」という言葉が生まれる前はその行為が問題であることさえ認識されてこなかったが、「ハラスメント」という言葉が生まれてもなお、さまざまなハラスメント問題は起き続けている。そんな状況において「働けない」/「働かない」といういわば労働への消極的なアクションは、実際に「働けない」/「働かない」個々人の意図とは別に、日本の労働状況への問いとしても受け止める必要はある。
この連載で「働けない」ことをとことん考えてきたが、実は「働けない」/「働かない」ことの分析よりも、セクハラやパワハラを受けたり、あるいはセクハラやパワハラが当たり前とみなされる状況だったり、プレッシャーで萎縮して仕事をうまく進めることができなかったり、さらに疑問さえ封じられるような環境の中で働くとはどういうことなのか、そのありようをこそ問いたいと私は思いながらこの連載を進めていた。言ってしまえばそんな職場の環境に馴染むことのできないマイノリティより、そんな中で働くことができる、あるいはそれを我慢できてしまうマジョリティのありようをずっと問いたかった。
「マイノリティが生きていきやすい社会はマジョリティも生きていきやすい社会」とよく言われるが、それでもなおなくならない差別を思うと、ことはそれほど単純なことではないのだろう。
それこそ生活保護バッシングや専業主婦バッシングなどは、仕事がつらいのに待遇がよろしくないからこそ、あるいは「仕事をしなくていい立場」を羨ましいと感じるほど、仕事がつらいと感じる気持ちを封じようとするからこそ生じる憎悪の感情ではないかと思う。生活保護受給者や専業主婦の人にその憎悪を感じるのはお門違いもいいところだが、憎悪そのものを封じるより、なぜそんな憎悪が生まれてくるのかを問うことの方がとても重要なはずだ。しかしその憎悪を問うてしまうと、それまで「よし」としてきた価値観が揺らいでしまうことにもつながる。私たちはともすれば、自分が楽になることよりも、自分の今までの頑張りが急に無意味になってしまうことに耐えられない場合がある。先ほど私の受けた教育は優秀な「兵隊」を選別するにはいいやり方だと書いたが、それこそ「兵隊」のようにハラスメントやいじめに耐えた人間が、そんなことに耐えるのは無意味だとなったときに、解放されて「やった!」と思える人もいるだろうが、自分の頑張りが無に帰したことに耐えられない人間もいるだろう。
私の個人的な経験で言えば、スピードを要求される仕事にゆっくりした人が入ってしまうといじめの標的になるし、また狭い人間関係しか見えない環境もハラスメントが起きやすい。しかもそういうタイプの人がいかにも「可哀想」に見える同情心を掻き立てるタイプとは限らない。「不幸な人は同情されず、しばしば嘲笑される」と哲学者のシモーヌ・ヴェイユは語っていたが、職場の仕事ができない人ほどまさにこれに該当するのでは? と思う時がある(ヴェイユがこの言葉を発するようになったのは、不器用な彼女が苦心惨憺した工場労働の経験後である)。そして雇用形態の多様化といえば聞こえはいいが、それによって人間関係は確実に薄氷を踏むような事態になっている。公的機関から業務を委託された下請け会社が、さらにその業務を分担させるために依頼した派遣会社の社員に私はなったことがある(イメージとして私の立場は孫請けという感じだ)。そのとき、この「下請け」企業の人は実にピリピリとしていた。そもそも繁忙期である上に、指示を出すといっても完全に権限が自分たちにあるわけではなく、常に仕事を委託した側(公的機関)には気をつかわねばらないからだ。しかも指示する側の下請け企業の人がピリピリすればするほど、指示される側の派遣社員のミスも増え、まさに負のスパイラルであった。なんでこんなことになっているのか……?
働かない/働けない側がとかく悪目立ちすることが多い。だが、本当に注目すべきは特に誰も幸せそうに見えない労働状況のはずだ。仕事をしない立場が羨ましく見える状況に対して、マジョリティであっても思いっきり疑問の「?」、怒りの「!」を叩き付けてもいいのではないだろうか。
さて、一年にわたる連載で、マイノリティのみならず、マジョリティ、言い換えれば「働ける」、「シスヘテロ男性/健常者/在日日本(ヤマト)人/会社勤め/既婚者/子持ち」の人に対して、あなたたちの立ち位置が本当にまっとうなのか、疑問も怒りも感じなくていいのかと少しは刺さる話ができたならば、これほど嬉しいことはないが、いかがだっただろう?
*本連載に書き下ろしを加えた単行本を2024年春に刊行いたします。乞うご期待ください!
(注1)『おおきなかぶ』(A・トルストイ再話、内田莉莎子訳、佐藤忠良画、福音館書店、1966年)。この再話者であるA・トルストイ(アレクセイ・ニコラエヴィチ・トルストイ)はSFと歴史小説で知られる人物であり、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』の作者のL・トルストイ(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ)とは別人なので注意。
(注2)「非正規雇用の活用を30年前に提言したら…「今ほど増えるとは」 労組側「やっぱりこうなった」2023年2月27日 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/233389
「非正規労働者が増えるきっかけになったといわれる報告書を1995年にまとめた日経連(現経団連)元常務理事の成瀬健生さん(89)が、本紙のインタビューに対し、雇われて働く人の4割近くを非正規が占める現状に「今ほど増えるとは思わなかった」と証言した。約30年の時を経て日本の賃金停滞へとつながっており、非正規の急増に歯止めをかけなかった経営者に対し「人間を育てることを忘れてしまった」と警鐘を鳴らした。」
(注3)さらに私たちの世代では、男性よりも女性である場合は教授職などの大学内の高位のポジションにつくことが難しいことは、私も共著として関わっている『高学歴女子の貧困――女子は学歴で「幸せ」になれるか?』(大理奈穂子・栗田隆子・大野左紀子著、水月昭道監修、光文社新書、2014年)ですでに報告されている。男性の立場で大学院に進学しても研究職では食べていけないことは、芥川賞受賞作家の円城塔による「ポスドクからポストポスドクへ」(日本物理学会誌 63 (7), 564-566頁, 2008年)に詳しい。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri/63/7/63_KJ00004980445/_article/-char/ja/
(注4)「新時代の『日本的経営』」の原文を読むと「欧米先進諸国は、日本的経営について、いわゆる終身雇用慣行、年功賃金制度、企業別労働組合の三つを象徴的な特徴としてとらえているほか、経営行動としては企業間の系列関係、株式の持ち合いなどもわが国の特徴と指摘している」が日本的経営の特質は「人間中心(尊重)の経営」「長期的視野に立った経営」という理念であり、制度や仕組みは環境条件の変化に対応すべきと語っている。ちなみにこの「新時代の『日本的経営』」をまとめた中心人物の一人である経団連の永野健名誉会長はリーマンショックの起きた2008年9月の4ヶ月前、5月12日に85歳で亡くなっている。