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第253回

がーん。

[ 更新 ] 2022.05.10
三月某日 晴
 今年はじめての草むしり。突然暖かくなり、見る間に薄緑のハコベや小さなタンポポの葉が生えでている。
 三十分ほどむしる。むしっている間に、いつの間にか猫がうんちをしている。冬の間はしないのに、毎年春になると、決まった場所にうんちをし始めるのだ。緑色に光る小さな蝿が、羽音をたててやってくる。いったいどこに隠れていたのだろう、ものすごい勢いで、猫のうんちをめざして何匹も飛んでくる。
 これから秋が終わるまで、猫はずっとうちの庭の決まった場所にうんちをしつづけ、蝿はうんちをめざし、人間はそのうんちを粛々とシャベルで取って袋に入れ、片付けつづけるのである。
「本格的に春が来たよ!」
 と、家人に報告する。

三月某日 晴
 ようやく母の骨折後のリハビリも終わり、ふたたび実家で父母二人の生活に戻れるめぼしがついたので、父がうちに泊まるのも、今日が最後である。
 荷物をまとめ、いつもは買わない鯛をふんぱつして夕飯にソテーし、れいによって五勺の晩酌をする父と、別れを惜しむ。
 うちにあった『日本の歴史』全二十六巻を、父は毎日少しずつ読んでいたのだが、滞在中に読み終えた八巻以降を、荷物に入れてあげる。九巻めは源頼朝の巻で、ちょうど今やっている大河ドラマと同じ時代を扱っているので、録画しておいた「鎌倉殿の13人」を、晩酌しながら一緒に観る。
「北条っていうのは、いい苗字だな」
 とつぶやきながら、父、テレビに見入る。

三月某日 曇
 久しぶりの外出。
 京浜急行線沿いにある小さな美術館へ。
「コロナだから、予約が必要じゃないの?」
 と、家人に聞くと、
「パンフレットには予約が必要とはまったく書いていないので大丈夫」
 と、請けあう。
 二時間ほどかけて電車を乗り継ぎ、駅から歩いて美術館に着くと、
「予約のない方は入場できません」
 という張り紙が。
久しぶりに「がーん」という声がでる。
「がーん」とは、まったくもって「がーん」の気分をあらわすオノマトペであるよな。と、心の中で感心する。
 しかたがないので、どこか違うところに行ってみるか、ということになり、すぐそばにあるお寺を訪ねる。するとなんとそこは、北条氏の墓のあるお寺だったのである。寺からさらに丘の上にのぼった小高い場所に、墓が何基かある。
「父の導きか」
 と、ていねいに拝み、山をめぐる道を、ゆっくり時間をかけて下る。

三月某日 晴
 家人からラインがくる。
「生まれてはじめて、電車で席をゆずられた。がーん」
 とのこと。
「がーん」。もやもや発散の言葉として、かなり有効であるもよう……。
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