第282回
回避呪文。
[ 更新 ] 2024.10.10
先月、我が家のエアコンが壊れたことに引き続き、通っているジムのエアコンが壊れたとのお知らせがくる。
激しく踊る種類のダンスのレッスンなどは中止になるが、わたしの行っているスタジオレッスンは、静かに動くタイプの踊りなので、部屋にいくつもの扇風機を置いて、試しにおこなってみる、という通知が、続けてきて、びっくりする。
いくら静かに動くタイプの踊りだとしても、37℃やら38℃やらの続く毎日の昼ひなかに、三十人弱の人間たちがごく近しく踊るのは、やはり無理なのでは……と思いつつ、エアコンがなくて扇風機だけというスタジオがいったいどのような状態になるのか知りたいという好奇心には勝てず、ついレッスンに出席してしまう。
同じような好奇心につき動かされたのか、いつもとほぼ同じメンバーが顔をそろえていて、またびっくりする。
ジムのお兄さんが教室のうしろにひかえ、少しでも体調の悪い者があらわれたら即レッスン中止、という出だしから、二時間のレッスンの最後まで、結局誰も調子悪くならず、つつがなくすべてが終了。
というか、実はいつものレッスンよりも涼しかった……。
夏はエアコンで体が冷えてかえって怪我をしやすいので、設定温度は高めにしておきます、と、先生は常に言っていて、だから夏のレッスンはいつも汗だくだったことを思いだし、何かの養成ギプスをふだんからつけていたのかも……と、何やら自慢な気持ちに。
八月某日 晴のち雨と雷のち曇
夕方、雷が近所に落ちたらしく、停電になる。
十分ほどで回復。
その後雨はあがったが、ちっとも涼しくならない。
八月某日 曇
昨夜の雷のせいで、すべての家庭電化製品が初期化されている。
時刻あわせやらなにやらをしてまわり、午前中がつぶれる。
作業にはさして時間はかからないのだが、取扱説明書をさがすのと、さがしだした取扱説明書を老眼で読むのに、やたらに時間がかかったのである。
八月某日 雨
雨が降っているのに、ものすごく暑い。
そのうえ、年に数回くる、やっかいでとてもいやな出来事がおそってくる。
やっかいな出来事は、どんなに用心しても必ず定期的におそってくることは、六十六年間生きてきて、じゅうぶんに承知しているのだけれど、やはり慣れることはできない。
なので、やっかいごと回避呪文である、「つらいことは、みな取材」を、十回唱える。
つらいことが小説の役に立つことはほとんどないのだけれど、「取材」という言葉によって、何かを薄めたり知らないふりをしたり偽の達成感を得たりして、やり過ごすのみである。
夜中に悪夢で少しうなされるが、「自分のうなされかたを観察するのも、取材、取材」と、夢の中で唱え、レム睡眠が去るのをじっと待つ。
八月某日 晴
やっかいごとは去らないが、呪文のおかげで、ずいぶん適当に受け流す気持ちになっている。
何も解決していないが、それで、いいのである。