ウェブ平凡 web heibon




第21回

なんだ、こんなことだったのか

[ 更新 ] 2024.10.10
 もったいないことをした。
 これまでインゲンは、マヨネーズ・味噌・砂糖のドレッシングであえたもの以外、苦手だった。夫と長男は、それさえも食べない。娘はこのドレッシングならなんとか。なぜだか昔からインゲンは、我が家でみそっかすだった。料理に加えてもらえず、渋々マヨドレであえて単独の一品になるだけ。夫は「青臭い」、息子は幼い頃「ザラッとした舌触りがいや」とのことだった。
 けれども、20年来隔週で取り寄せている有機農家の野菜には、けっこうな確率でこれが入っている。私は何も考えず、半ば自動的に茹でてマヨドレであえる。味噌少々を加えるのは実家の母のレシピだ。

 先日、ふと思いたち、茹でたインゲンをそのままひと口かじってみた。あれ、甘い。パクリ。みずみずしくて青臭さがないぞ。今度は塩を振って、一本、また一本。なんだ、おいしいじゃないか!
 インゲンの旬は夏。いつもマヨネーズ味でごまかしてきたので気づかなかったが、旬のインゲンはこんなに甘くてやわらかかったのか。
 それからさっと茹でて塩を振るだけ、おかか醤油をかけるだけというシンプルな料理を楽しむようになった。

 なぜ、“ふと思いたって”、そのまま食べようと思ったのかにはわけがある。
 最近、苦手と決め込んでいたものを食べてみたら違った、思い込みだったという経験が増えたからである。
 焼き芋もそうだ。農家からさつまいもが送られてくるが、料理法があまり思いつかず──向田邦子さんのエッセイに書かれている「さつまいものレモン煮」をよく作るも、子どもたちからはあまり人気がない──、不甲斐ないことにじつはだめにすることも多かった。焼き芋はしばらくブームが続いているが、幼い頃食べたカスカス食感の記憶がいまだに強く、まず買わない。

 しかしあるとき、よく洗って皮ごとゴロンとコンベクションオーブンに放り込み、40分のタイマーをかけた。取り出し、タオルで挟んで手で割り、ふわあっと上がる湯気のなか、あつあつをほおばると、なんと蜜をかけたかのように甘く、ねっとりなめらかなことか。
 有機肥料や減農薬、低農薬で丹精込めて作られたさつまいもは、形こそいびつなれど、味は天下一品。ただ加熱するだけでこんなにおいしくなるのかと、うっとりした。

 みょうが、春菊、モロヘイヤは、じつはここ数年で苦手が一変、大好きになった野菜である。どれも料理の工程を引けば引くほど、おいしさがダイレクトに伝わってくる。
 最近つくづく思うが、料理をおいしくするのは、腕やコツやレシピではない。いやそれもあるけれど、いちばんは食材と調味料である。このふたつの質さえよければ、あとは雑でも、少々火加減を間違えてもきっとおいしく仕上がる。
 食材と調味料の質の見極めは、どちらも丁寧に作られたものであること。それにつきる。

 いい調味料を使うべしという情報は巷にあふれている。おいしい上に体にも安心という理屈もよく知られている。子どもが幼い頃は、はりきって質のよい調味料を揃えることができた。しかし、息子と娘が中高生になり、作っても作ってもすぐに胃袋に消え、米を毎日一升炊く時分になると、こだわりのそれらを探し求める時間も、経済力も目減りした。
 夫婦ふたり+ときどき娘、という現在のリズムになって、あらためて調味料の味の違いにうなり、おいしさに感激することの連続なのである。
 筆頭は酢だ。
 村山醸酢の千鳥酢、飯尾醸造の富士酢は、まろやかな酸味で、ツンとしたカドがない。どちらも歴史の古い醸造元で、自然な対流に任せた発酵を大事にしている。そのため2、3カ月という長い発酵期間を経て仕上がる。機械で撹拌する速醸法は、1日で酢ができるので大量生産が可能。その分安い。わかりやすい酸味、というのが私の印象だ。

 寿司酢や三杯酢、ドレッシング、酢味噌あえなど直接味わう料理にはまろやかな旨味のある千鳥酢か富士酢を。酢豚や、手羽先煮込みなど加熱するもの、梅ジュースや食材の色止めには、たっぷり使える安い酢を愛用している。

 ああ、今日は冷蔵庫にきゅうりしかないというときは、乾燥わかめを水で戻して、三杯酢の酢の物に。ごまをふりかければ、つまみの完成だ。これぞ日本版ファストフードである。千鳥酢(か富士酢)がわかめの生臭さを消しつつ、おだやかなまろみで味をまとめてくれる。

 有機野菜も丁寧に作られた調味料も、ちょっと高い。でもほんのちょっとだ。たしかに米一升時代は私も無理だったけれど、暮らしにそれらのものを探すゆとりができたら、ぜひ試してほしい。
 ちょっと高いだけなのに、ものすごくおいしいから。嫌いだと思っていた食材の本当の実力に感動でき、おいしい家庭料理に特別なテクニックはそんなにいらないぞと気づけるはず。
SHARE