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第4回

広済寺の鬼来迎(1)

[ 更新 ] 2016.05.17
 2015年8月15日に仙台でのツアー公演を終えて翌日、千葉の横芝にある広済寺に向かった。駅前でタクシーを拾って10分ほどだろうか。寺の周りは穂の垂れはじめた一面の田んぼだったが、そのあぜ道にすでにたくさんの車がとめられていた。
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毎年8月16日にこの寺では、「鬼来迎(きらいごう)」という地獄芝居、仏教劇が演じられる。昭和51(1976)年に重要無形民俗文化財に指定され、近年はドキュメンタリー映画も作られた。
 地元の人が演じるということもあって、寺の敷地はすでに小さな子からお年寄りまでたくさんの人でごったがえしていた。寺の山門をくぐって右手、本堂の手前に設置された舞台は、背面が竹林やクスノキの茂る山裾になっており、緑が目に鮮やかだ。
「鬼怖いよ」
 抱っこされた4歳くらいの男の子がお母さんに言うと、男の子なのに何言ってるの、とたしなめられている。怖がる自分自身に言い聞かせるかのように、ふいにその子が言った。
「でも、いい鬼かもよ」

 夏の午後は蒸し暑かったがカンカン照りを免れて、雲の多いくもりがちの青空だったため、屋外での観覧にはちょうどよかった。緑に囲まれた敷地内にはクロアゲハやルリタテハが飛び、空を見上げるとシラサギが形よく飛んでいく。門前には焼きそばやジェラートなどの出店が並び、そのそばにちょっとした遊具もあって、ブランコをこぐ音が聞こえている。県外から駆け付けた人たちだろうか、カメラやビデオをいい場所に設置してスタンバイしているおじさんも多い。
 15時半を回ったころ、舞台に鬼婆が現れた。「奪衣(だつえ)ばばあ」として紹介されている。額には一本角、下から突き出した二本の牙、黄土色の乱れた長い髪、青地に細かい模様の着物を着て杖をついている。鬼婆が椅子に座ると、次々とこの1年に生まれた赤ちゃんたちが一人ずつ抱いて連れてこられる。鬼婆に抱いてもらえると、虫封じになったり、丈夫な子に育つという信仰があるのだ。鬼婆に抱かれても、ポワンとしている子もいて、「ウォー」と鬼婆が凄んでようやく泣き出す子もいる。泣かない子もいる。新生児には凄まない優しい鬼婆だった。二十数人の赤ちゃんたちが全員抱いてもらい、15分もたったころには、涼しい風が吹いてきた。
 鬼婆に抱かれることによって子供の健やかな成長が期待されるとは不思議なことだが、姥神やおんばさま信仰のご利益の一つに、虫封じが入っているところは確かにある。池谷浩一は、「鬼来迎の鬼婆は、祝福を授ける存在であり、秋田のナマハゲや奥三河の花祭りの鬼と通じる」(池谷浩一「広済寺の鬼来迎」『神道及び神道史』49号)としているが、虫封じに関しては魔を魔で払うという考え方も入っていそうだ。
 しかし、面白いのはこの鬼婆が「奪衣ばばあ(奪衣婆)」とされているところだ。奪衣婆とは読んで字のごとく、三途の川のほとりで、死者の衣を剥いで、その重さによっては地獄に送るという無慈悲な役割を与えられているのだ。実際、この鬼婆の赤ちゃん抱きの後に始まった地獄芝居本編では、奪衣婆は、鬼たちと同種の役割を務め、罪人をいたぶる恐ろしい存在として演じられていた。つまり、この赤ちゃん抱きの儀式における鬼婆と、地獄芝居本編の奪衣婆とはその役割を分けてとらえる必要があり、呼び名についても、赤ちゃん抱きの儀式における鬼婆を奪衣婆と呼ぶのも本来的にはそぐわない。ただし、そうした厳密さは庶民信仰を考える上ではあまり意味がないかもしれない。全国各地の奪衣婆もまたさまざまな「ご利益」を人々から与えられ、女性たちの信仰を集めてきた歴史があり、多様性があるからだ。
 ここで頭に入れておくべきは、おそらく地獄芝居とは別の文脈で鬼婆や姥神への信仰がこの土地にあったということで、それが地獄思想の広まりの中で芝居へと連なるパフォーマンスとして一体化し、いつの間にか「奪衣婆」に習合されていったのではないだろうか。どうも地獄の婆というだけで「奪衣婆」と呼ばれている節もあり、本来の「奪衣婆」の仕事である死者の衣服を奪うシーンすら出てこないことを考えると、「鬼婆」という呼称のほうがふさわしいのかもしれない。
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 鬼婆の赤ちゃん抱きが終わると、真っ赤な上衣に緑の袴の赤い顔の閻魔(えんま)が現れ、生前の善悪の業を映すとされる浄玻璃の鏡の横に座った。次に黄色い着物にやはり真っ赤な顔で天狗のような長い鼻を持つ俱生天(くしょうてん)が筆を持って現れ、閻魔の書記を務めることがわかる。ついで庖丁を持った奪衣婆が現れる。3人が椅子に座ると、下手から刀をさした黒鬼、その後長い棒を持った赤鬼が、それぞれ威嚇するような身振りと声で観衆の前に現れ、実際になかなかの迫力だ。地獄のメンバー紹介といった場面はここで幕が引かれて切り替わる。
 次の場面は賽の河原だ。子供たちが鬼にいじめられているところに地蔵がやってくる。子供たちは地蔵に守ってもらえるが、罪人は釜茹でにあう。ここには鬼婆、黒鬼、赤鬼が控え、釜の中でなお罪人はいたぶられる。この場面は観衆の怖いもの見たさが混じった場面になっているようで、罪人が責められるたびに笑いの混じったどよめきが起きる。
「極悪人ていうけど、そんなに悪そうにみえないよね。むしろ人のよさそうな......」
といたぶられる罪人への苦笑まじりの同情の声も聞こえてくる。その後、罪人は死出の山に登り苦しむが、やがて菩薩が現れめでたく成仏、鬼たちは悔しがるという結末になる。
 確かに鬼婆の体の奪衣婆も加わって鬼たちが目立つ話ではあるのだが、「鬼来迎」という名前が、ひっかかる。「来迎」というものは本来仏や阿弥陀などありがたい存在が、こちら側に来てくれるというニュアンスで使われるものだ。最後に菩薩が助けに来てくれるのなら、「菩薩来迎」でもよかった気がするのだが、わざわざ鬼を冠したこのネーミングの背景にはどんな考え方が隠されているのだろうか。




絵・文字 松井一平
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