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第2回

猪苗代のおんばさま(1)

[ 更新 ] 2016.03.10
 郡山から迎えに来てくれていたシャトルバスで1時間、猪苗代湖畔のキャンプ場に着いた。小さなコテージが点在していて、その一つがその日の楽屋だった。出番は12時50分から。
 ステージは湖畔の目の前、真夏の照り返しで一瞬くらっとする。演奏時間は30分なので、1時半には動き出せるだろう。本番前、舞台裏のテントの中で「おんばさま」をサイトで紹介している猪苗代観光協会に電話を入れてみる。
「あの、関脇のおんばさまを見に行きたいんですが、行ったらすぐに見られるでしょうか?」
「はい、土日と毎月16日は入れますよ。」
「金曲(かなまがり)の方も見られますか?」
「あそこは、多分閉まってるんじゃないかな。管理されてる人がいるので、電話番号お伝えしますね。ちょっとお待ちください」
 いきなり個人の電話番号を教えてくれることに驚きつつ、ノートにメモを取る。早速管理の六角さんという方に電話してみると、女性が出て4時に現地に鍵を持ってきてくれることになった。これでとりあえず関脇と金曲2箇所はまわることができそうだ。ほっとした。
 猪苗代湖畔から会津にかけてはおよそ80ものおんばさまが点在する。おんばさまとは何だろうか。一言で言ってしまえば「お婆さんの像」「姥像」である。石仏について著書の多い田中英雄によれば、「山中にあり」「乳房を出す」「半足+加坐」の像ということになる(『東国里山の石神・石仏系譜』)。田中が三大姥神地帯としてあげているのが、「北関東と阿武隈」「山形村山地方」、そして猪苗代のある「福島会津地方」だ。なぜこの湖畔の周りにこれほど集中して姥像が残っているのだろうか。
 予想通り灼熱のステージ演奏を終え、今度呼ばれたら夕刻の出演にしてもらおうと思いながら、調べておいた地元のタクシー会社に電話した。

 まずは関脇のおんばさま「関脇優婆夷尊」に向かうつもりだった。観光協会のページには次のような説明がある。

 その昔、岩館山の城主関参河守が中年に至っても嗣子がないので鎮守麓山神社に祈願し懐胎しました。/しかしお産の際、陣痛七日七夜に及んでも生まれず祈願を込めていたところ、忽然と老婆が現れ呪文を称え腹を撫でさすられ、その功徳により無事男の子が生まれました。/早速お姿を描き、枕頭に祀り産後の安穏を祈ったとのことです。/いつかこのことが世上に広まり参詣する人が多くなりました。/現在地元では「おんばさま」といわれ、安産と産後の安穏を祈って参詣されています。/現在の建物は大正13年に建築されたものです。 

 関脇のおんばさまは、安産の神様のようだ。最初から像でなく、絵として描かれ信仰の対象になっていたらしい。麓山神社は「はやま」神社と読む。「はやま」は葉山とも端山、羽山とも書くが、いずれもハヤマ信仰と言われ、信仰される山は標高が低く円錐形であることが多い。古くは死者の霊が死後のぼる山とされるが、吉野裕子は「日本の蛇信仰」の中で、このハヤマは「蛇山」であり、蛇がとぐろを巻く姿として認識されていたとしている。古代の日本人にとって蛇は重要な意味を持ったらしく、神社の注連縄(しめなわ)も蛇の交尾のイメージを再現しているとも言われる(町田宗鳳『山の霊力──日本人はそこに何を見たか』)。

「うちですか、私は行かなかったですが、家内がやっぱり行ってましたね。子どもが生まれたとき。お礼参りみたいなね」
 60歳くらいのタクシーの運転手さんの世代にも、おんばさま信仰は生きているようだ。姥神像の多くはいつ作られたか不明なものが多い。そしてそもそも何者なのかもはっきりとはわかっていない。一説には観世音菩薩の33化身の一つである如意輪観音とも、吾妻修験で信仰した姥神とも言われ、姥ヶ平に鎮座する月光神と信じている人もいるという。
 如意輪観音は近世には十九夜講(毎月19日に集まる子安講)という女性たちの信仰の中で生きてきた観音さまだ。六観音の一つでもあり、天界を守る観音さまで月の信仰とも結びついている。女性の信仰対象となったのもそのためだろう。
 卑弥呼のような女性司祭者、女性の天皇が存在した時代を経て、この国では、9世紀ごろから穢(けが)れの問題が意識化され始める。村落社会では14世紀ごろから社会的な場からの女性排除が始まった。女性の穢れとはそのまま血の穢れだ。近世には、女性はその穢れゆえ、血の池地獄に落ちて救われないとされ、変成男子(へんじょうなんし)といって男に変わらない限り成仏できないという論理さえ生まれた。現代の女性からするとなんとも腹立たしい話だが、こういう地獄絵図の物語、そして穢れた女性が助かるための方法を熊野や立山の比丘尼(びくに)たちが絵解きをしながら全国を回ってひろめていった歴史がある。如意輪観音はこの血の池地獄から女性を救ってくれる観音さまとして、広く女性たちの支持を得てきた。
 一方で、おんばさまは猪苗代北方の吾妻山の修験道の信仰とも結び付けられている。修験道と姥神。そこにもどうやら繋がりがあるらしい。

 到着した関脇優婆夷尊のお堂の入り口に上がっていくと、初老の女性とその娘さんらしき人が座って、小さな男の子を抱いて管理人らしき男性と話をしている。大正時代に建てられたお堂は堂々とした作りで、向かって左側は、地元の人が詰める管理棟のようになっている。堂内を覗くと天井からものすごい数の人形がぶら下がっており、一瞬ぎょっとする。
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 どうやら話し込んでいる母娘は赤ん坊の夜泣きの相談に来ているようだったが、男性は「うちのおんばさまは安産とか子授けだからねえ」とほかにあたるよう伝えているところだった。おんばさまでも土地によって、夜泣きの虫封じや歯痛、咳、下半身の病など、その霊験の範囲は様々だ。この母娘は、別のおんばさまをたずねるのだろうか。母親同伴とはいえ、同世代の相談者に出会えると思っていなかっただけに、地元での信仰の根強さを垣間見た気がした。
 1987年ごろ国立歴史民俗博物館の展示準備のために山神の一形態として関脇のおんばさまの複製を展示させてもらえるよう奔走したという松崎憲三は「区長や重立ちら」からは複製展示の了承を得たものの、最終段階で、管理する老婆たちの、そんなことをして罰があたったら責任を取ってくれるのかという反対を受け、断念したという(松崎憲三『地蔵と閻魔・奪衣婆──現世・来世を見守る仏』)。このような信仰の根強さは、おんばさまが完全に秘仏にされていることからも伺える。東京から調べに来たのですが、と食い下がってみても、A42枚の説明書きを渡されて終わりであった。
 A42枚の説明書きには、麓山神社の写真や、おんばさまの絵が描かれたお札、合祀されている如意輪観音などの写真が載っているものの、秘仏であるおんばさまの写真はやはり掲載されていない。ただし、福島の郷土史家、石田明夫の会津地方のおんばさまを網羅的に調査した『おんば様──知られざる信仰 安産・極楽浄土・橋守』には、この秘仏の貴重な写真が掲載されている。白黒の写真を見る限りでは右ひざを立てた石像は、上半身をやや後ろにそらせ、往時の座産の様子をリアルに伝えているように見える。座った体位でのお産は、分娩台での出産が主流になるまでは、ごく一般的なお産のスタイルだった。どこかサルのようにも見えるユーモラスな雰囲気があり、表情は優しげだ。口は半月形で大きめに開いており、あばら骨は出ているものの貧相な感じはなく、どっしりした安定感のある大きめの像に見える。石田は、このおんばさまを祀った「岩館山の城主関参河守」が室町時代からの猪苗代氏の家臣であり、関脇のおんばさまが会津で最古のものだろうとしている。猪苗代から会津には80近くものおんばさまが点在するといわれ、その中には姉妹関係が伝えられるものもある。関脇では「こちらはすべからく妹ということにしている」らしいが、最古の可能性のあるおんばさまを「妹」とすることで無用の争いが避けられているのだろう。
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 堂内にぶら下げられた人形たちは、子どもができないと祈願に来て、人形を借りうけた参拝者がめでたく妊娠したあかつきに倍の数にして返してきたものだという。壁際には「安産御礼」「奉納 優婆夷尊 安産祈願」などと墨で書かれた、白いのぼりがいくつもかけられており、昭和から平成まで続く信仰の健在ぶりを伝えている。「優婆夷霊」と書かれた額の下には金の蓮が左右に飾られ、煌(きら)びやかな赤地に菊の錦が幕のようにしっかりとかけられておんばさまを隠しており、少しも覗くことはできない。ふと気づくと、立てかけられた額縁に「産婦安全誓願御詠歌」が記されている。

本尊 優婆夷尊
 子を安く生むを守れる優婆神を
 おろがみまつれよものたをやめ
如意輪観世音
 父母の恵も深し菱川の
 流れ絶えせぬ後の世までも
丹波穴太寺
 かかる世に生れ近江のあなうやど
 思わで頼めと声ひと声

 「おろがみ」は拝みの意だそうで、あらゆる女性たちに姥神を信仰するよう説いている。如意輪観音のご詠歌が併記されていることはともかく、丹波の寺の歌が入っている由来がよくわからないが、「あな憂や」と「穴太寺(あなうじ)」がかけられているのだろう、運命を呪っていないで神仏に頼りなさいというメッセージになっている。
 結局、関脇のおんばさまの姿は見ることはできなかったけれど、秘仏が今なおこの集落で大切に祀られていることは感じられた。お堂を出てくると待ってくれていた運転手さんと目があった。
「金曲4時でしょう。まだ時間ありますけどもう一箇所行きますかね」
 タクシー代を聞くと少しかかるけれど、そうそう来られるチャンスもないので、もう一箇所のおんばさまの座所「伯父ヶ倉」までお願いすることにした。


絵・文字 松井一平
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