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第2回

横綱白鵬の断髪式で国歌斉唱に泣いた(前篇)

[ 更新 ] 2023.07.31
モンゴル国歌を聴いて感極まる

 力士が髷(まげ)を切るとは、ある意味ひとつの命が終わるに等しい——この感慨は相撲ファンの多くが共有するものではないだろうか。たとえ私のように左寄りな相撲ファンでも、どなたか知らぬが右寄りな相撲ファンでも、この件においては合致すると考える。
 そんなわけで2023年1月28日を、「ぜったい、泣いちゃうよねー」「泣いちゃうに決まってるよー」という会話をしつこいほど繰り返して迎えた。我が推し、横綱白鵬の「断髪式」である。正式には「白鵬引退 宮城野襲名 披露大相撲」という。白鵬が髷を落として宮城野親方を正式に襲名することを、東京・両国の国技館で披露する大相撲だ。
 当日は快晴。国技館には開場の午前10時を前に既に大勢の人が集まり、会場をグルリと取り囲むように並び(←ふつうはない)、警備の人たちが「一般の入場はこちらからになります~」と大声を張り上げる(←ふつうはない)。やっと中に入れば、当日限りのオリジナル・グッズ売り場(←最近はあたりまえ)には廊下から階段を上って2階まで伸びるほど長蛇の列で(←ふつうはない)、早々にあきらめた。とにかく日ごろの断髪式では見たことのないような人、人、人。熱気、熱気、熱気。モンゴルからも大勢が来日したのだろう、みなさん美しい民族衣装に身を包み(←サイコーに素敵)、意気揚々といらっしゃる。さすが白鵬である。大相撲優勝回数は最多の45回(おめでとー!)、横綱在位は最長の84場所(ありがとうっ!)、幕内通算勝利回数は最多の1093回(興奮っ!)、幕内全勝優勝回数も最多の16回(すごすぎるっ!)、とてつもない我が推しなのだ。こんな推し、二度と現われないから。二度と現われないから。大事なことなので2度言いました。二度と現われないから。3度目です。

 こういう引退襲名の披露大相撲という正式名称を持つ、いわゆる「断髪式」では髷を切るだけではなく「最後の取組」なる、たいていは力士自身のちびっこな息子と相撲を取ったり、相撲甚句(じんく)が朗々と歌われたり、髪結いやら初っ切りやらの大相撲の興行的な見世物が取り行われたりする。髷を切るのも親方がいきなり鋏(はさみ)を入れるのではなく、大勢の人が少しずつ鋏を入れる。
 ちなみに私、ハサミを入れたことがある。10年ぐらい前、練馬区にあった峰崎部屋で代々ノ花(よよのはな)さんという三段目の力士が引退することになり、部屋で行われた断髪式でハサミを入れさせてもらったのだ。相撲について書き始めたばかりだった当時、峰崎部屋の親方やおかみさんにとても親切にしてもらっていて、「和田さんもいらしてください」と声を掛けてもらい、鋏を入れるという貴重な体験をさせてもらった。そのときに髷を切るとは……と、冒頭に書いたことを痛切に感じたのだ。

 さて、白鵬の断髪式である。大声をあげて号泣っ!するはずであった。何百人もの後援者や有名人らがチョコチョコと鋏を入れた後、最後に「止め鋏」としてジャキジャキジャキと重々しく、タメにタメて白鵬の親方(前の宮城野親方)が髷を切り落とすはずだった。ところが親方ったら、スタスタと白鵬のうしろに立ったとたんにザクザクザクッと手早く大胆に最後の鋏を入れちゃって、「切ったどーっ!」みたいに髷をかかげ、えっ?えっ?えっ?みたいにあっさり終わった。「あっさりしてるねー」「(前の)宮城野親方らしいねー」「そだねー」と会話して、我らの断髪式は笑顔で終わった。アハハッ。人生って、そんなもの。が、そのもっと前の場面で、感涙、滂沱(ぼうだ)の涙を流す時があったのだ、実は。泣いて泣いて、土俵が見えなくなるほどであった。

 国技館の土俵で、初めてモンゴル国歌が歌われたのだ。
 日ごろ、大相撲では千秋楽に幕内優勝力士の授賞式で「君が代」斉唱がある。場内では「ご起立ください」と観客も立ち上がることが求められ、「君が代」をみんなで歌う。しかし、考えたら、かつて一度たりともモンゴル国歌が国技館で流れたことはない。この日、この時が初めてであった。
 こんなことを書くと、右寄りな方々がカッカしてスマホやパソコンに当たり散らすといけないので一応言っておくが、モンゴル国歌の前にタレントのGACKTさんが「国歌独唱」として土俵に上がって、「君が代」を歌った。伴奏はなく、ちょっとアレンジが独特で、GACKTさんらしい「君が代」であった。続いて、「モンゴル国歌斉唱」としてアリウンバータル・ガンバータルさんが土俵の上で、直立不動の白鵬と並んで朗々と歌い上げた。独唱と斉唱、なぜ? と思うが、たしかに斉唱としたモンゴル国歌の時は大勢のモンゴルの方々(お客さん)が立ち上がり、胸に手を当て、感極まった風にしていた。一緒に歌っていたかは定かではないが。
 ガンバータルさんはヨーロッパを中心にオペラ歌手として活動されている方らしく、それはそれは素晴らしい歌声。モンゴル国歌自体、考えたら初めて聞いたかもしれない。リアルで聞くのは、もちろん初めて。素晴らしかった。感動した。泣いた、泣いた、号泣した。しかし、それはガンバータルさんの歌声の素晴らしさと同時に、ああ、ここ(国技館)で白鵬はモンゴル国歌を聞きたかったんだなぁと思ったからだ。そんなこと、まったく気づいてなかったよ、私は、うかつにも、と思った。
 前述したように、白鵬は前人未到の優勝回数45回を誇る。幕内で、15日間を勝ち抜いて優勝するって、たいへんだろう。「スポーツで興行で神事」とか言われてる謎の大相撲というもの。それでも近年は、スポーツ性が際立って高くなっている。45回優勝は尋常じゃない。授賞式ではいつも大きなトロフィーだのマカロンの巨大なやつだの椎茸だの牛肉だのが授与されるが、そこで流れるのは必ず「君が代」だ。白鵬は親方になるために日本国籍を取得したが(えっと、この話はまた後日)、長年ずっとモンゴル国籍のままできた。もちろん、今もモンゴル人であることに変わりはない。私は国歌とかぜんぜ~ん興味とか関心がなかったのでアレだが、白鵬としてはどんな気持ちだったんだろう? 45回のうち一度ぐらいモンゴル国歌を、優勝を決めて聞きたかったんじゃないのか? モンゴルから来た人たちが胸に手を当てて感極まっていた、あんな風に。


初めて国歌を考えた

 そこから私は、初めて考えた。国歌って何だろう?って。
 実は日本という国では、明治初期まで私と同じように国歌って何ぞや?だったらしい。そもそも日本には、国歌という概念がなかったという。マジですか? マジです。『ふしぎな君が代』(辻田真佐憲著、幻冬舎新書)という本を読んだら、1869年(明治2年)に当時のイギリスの王子が軍艦に乗って日本に来て天皇に謁見することになった折、イギリス側から「英国国歌を演奏するから、日本の国歌も演奏したい」旨を伝えられ、「えっ、国歌って何? 必要なん?」と明治政府が大慌てしたんだという。←会話はもちろん、和田の超訳です。
 そこで江戸時代に将軍家の元旦の儀式で将軍を讃える歌として使われていた「君が代」の歌詞に、鹿児島で愛唱されていた琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」の一節をドッキングさせ、即席国歌が作られたんだという。マジか? マジらしいが、実は定かではないよう。なんじゃそりゃ? 著者の辻田さん自ら驚きながら書いているのだが、「当時いかに『国歌』が重視されていなかったか、ということだ。確実な記録がなく、関係者の記憶さえ曖昧で、国家全体として『国歌』に取り組んだ形跡がまったく見当たらない。これが『国歌』誕生の実態かと思うと驚きを禁じえない」んだそう。事実、1929年(昭和4年)に出版された本『國歌 君が代の由來』(東京日日新聞社編)では、登場人物らは同じでも違うストーリーが描かれていた。あたふたと突貫工事で作られ、記録さえ残さない……って、ああ、日本政府ってずっと同じなのですね、と涙目になる。それで巡り巡って、歌詞はそのままに、宮内庁の楽隊で笙(しょう)を吹いていた林廣守さんという人が作曲し、歌メロはドイツの海軍省のフランツ・エッケルトが完成形を作った“らしい”んだが。
 ちなみに「国歌」というものはイギリスで最初に生まれ、19世紀前半にヨーロッパで育って1世紀かけて日本など東アジアに広まる。私は古来あるものだと思い込んでいたが、実はそうそう古いものじゃないんだなと知った。

 ところで、私が感激したモンゴル国歌については、毎年5月の連休に東京・練馬区の光が丘公園で行われているモンゴル祭り「ハワリンバヤル」で話を聞くことができた。駐日モンゴル大使館の参事官という方が講演会を開いていたので参加し、質問タイムに「ハイ!」と手を挙げて「モンゴル国歌は何を歌ってるんですか?」と質問した。すると「以前のモンゴル国歌は国を讃えるものでした。1992年に国家体制が変わったとき、国民を讃える歌詞に変わりました。とても綺麗な詩で私は大好きですよ」とニコニコと答えてくれる。モンゴルは1992年にモンゴル人民共和国からモンゴル国になり、民主化された。
 そうか、国家体制が変わるときには、国歌を変える。そうだよね、べつに、国歌って、変えていいんだよね!というのも発見。じゃ、なんで日本は戦争が終わって、それまでの大日本帝国から民主主義の国・日本になったときに国歌を変えなかったのかな? 不思議になる。「国歌にまで気が廻らなかったんですよ~っ、食うや食わずの頃でしたからねぇ~」ってわけでもあるまい。
 モンゴル祭りに話を戻すと、羊肉を使った食べ物を販売するテントがたくさん出ていて、羊肉の入ったうどんなどをハフハフ食べて楽しんだ。ぐるぐる見て回っていると、モンゴルの方々が描いた絵柄のトートバッグを売るテントがあった。そこにいた女性とあれこれ話しながらトートを1つ買って、「モンゴルの国歌って好き?」となんとなく聞いてみると、あったりまえじゃんという風に「うん、だって、かっこいいよね」と言う。わぁ、なんて新鮮な言葉だろうと思った。かっこいいなんて。
 これまで一度も私は「君が代」を聞いてかっこいいとか、音楽的にどうしたこうしたとか、思ったことがない。改めてよくよく聞くと、短くて、そのくせ単調で、明るくなくて、親しみやすさがないなぁという感じ。歌詞の意味もぜんぜん分からない。なにせ『古今和歌集』という、10世紀初頭に編まれた歌集が初出で、その後あちこちの小唄などにこの歌詞は登場し、けっこう気軽に歌われてもいたらしい。しかし、『古今和歌集』とか言われても、国語の授業で習ったのは紀貫之が編纂したとか、いくつかの和歌を暗唱させられたことぐらいで、ぜんぜ~ん思い入れとかないんだよね、ごめんね。

 ところが、その「君が代」は戦後に様々な騒動を巻き起こしてきた。歌わせたくてたまらんチームVS絶対に歌いたくないチームの論争だ。正直、歌えと言われれば歌うし、じゃ、好きか?と問われたら「わかんないっす」と答え、起立しろと言われたら「だるい……」と渋々立ち上がってきた私には、その両者の気持ちがずっとよくわかんなかった。他に考えなきゃいけないことがいっぱいあって(お金がないとか、お金がないとか、お金がないとか)、どうでもいい、って思ってきた。でも今回あれこれ調べていく中で、前述の本『ふしぎな君が代』に「保守派とリベラル派の言い争っている『面倒くさい歌』だと思って、打っ棄(うっちゃ)っているのではないだろうか」「現在『君が代』について日本人に義務があるとすれば、それは『文句をいわずに歌う義務』ではなく『オーナーとして適切に運用する義務』だろう」とあった。国歌とは国民のものであり、また1999年には「国旗国歌法」なるものが決まっていて、「国歌は、君が代とする」と書いてあるそうだ。そう言われたら、もうちょっと考えなきゃいけないよな、と思う。

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