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第7回

私は相撲を見ないことにした(前篇)

[ 更新 ] 2024.04.10
絶望感しかなかった新年の幕開け

 2024年がこんな年になるなんて……。いや、ちがうな。「2024年は2023年よりひどい年になるだろう」とは予想していたんだ。

 だって2022年2月24日から始まった、ウクライナへのロシアからの侵攻は2024年が明けても止まず、ウクライナの兵士だけで3万1千人がすで亡くなって、住人の死者数はいまだ判明していないという。
 また2023年10月7日から始まったイスラエル軍とイスラム組織ハマスの衝突という名目のイスラエル軍による虐殺は終わることなく、2024年2月時点で3万人を超えるガザ地区の住人が亡くなっている。
 日々、人が人を、国家の平和という大義のもとに殺している。いや、好きで殺すのではないだろう。為政者によって「殺せ」と命じられ、殺している(次第に何の作用か、人がいとも簡単に虐殺者に変わっていく様を今はSNSで見せつけられてもいるが)。どうして国家の平和を守ることが、そこに生活する人たちの平和を守ることにならないんだろう。殺される人には子どもも老人も病人もいる。殺そうとして乗り込んで、逆に殺される若者も大勢いる。もちろん飼われている動物も、そこに育っていた植物も、みんな殺される。殺し、殺され、殺そうとして殺され、殺したくないのに、殺す。なんてことだろう。

大相撲が「災い」になってしまった

 日本では年明けすぐ元日に大きな地震が起きて、2日には羽田空港で旅客機と自衛隊機が衝突する事故が起こった。1月3日が来るのが怖かったのは、私だけではないだろう。その後は被災地に行った政治家やジャーナリストが批判にさらされ、自民党による裏金問題は一向に真実が明らかにされず、毎日腹が立つニュースばかり伝えられる。最初の3カ月で1年分の災いが襲ってきているかのようだ。

 そして私には、また別の厄災がやってきた。2024年3月10日から始まった「大相撲三月場所」を私はある一番を除いて、まったく見ることができなかったのだ。
 
 なんて突然に書くと、「和田さん、あなた何を言ってるんですか? 意味がわかりませんよ。戦争や大震災と並べてくだらないことを言わないでくださいよ」と、間違いなく怒られますね、ごめんなさい。でも、私にとってこれは大きなことなんです。
 私が大相撲を見るようになったのは2004年頃。かれこれ20年になる。この間、病を得たり、母親が病気で入院したり、バイトを掛け持ちして大忙しだったり、本業が忙しかったり、いろいろなことがあったけど、どんなときも毎日とはいかずとも1年6場所15日間にわたっての大相撲を観て来た。東京での場所ならたいてい1度は足を運び、ナマでの観戦もして楽しんできた。
 2003年からの20年間を思い返せば、書く仕事がなかなかうまくいかなくて、バイトを始めたり、鬱がひどくなったり、多くは四苦八苦していた時期に重なる。そのときの私を支えてくれたのが、大相撲だった。あー、私には相撲というお楽しみがあって、よかったなあ~とつぶやくような、そんな感じ。

宮城野部屋の閉鎖

 それでもやっぱり、「和田さんのご苦労はわかりますが、そうは言っても、やっぱり戦争や震災と同じ目線で語る意味がわかりません」と怒られること必至だろう。必至だけど、まだ書き続けます。本当にごめんなさい。
 大相撲三月場所を私が見ることができなくなったのは、宮城野部屋で起こった力士による暴力事件に端を発す、宮城野部屋閉鎖問題にある。そのあまりの不条理さに、私はもう平常心で相撲など楽しんで観ることなど、できなくなってしまったのだ。

 すでに事の経緯はご存じかもしれないが、宮城野部屋に所属する力士が、同じ部屋の力士に暴力をふるっていたことが今年の2月21日に明らかになった。
 一斉に出た記事によると、日本相撲協会のコンプライアンス委員会が開かれ、幕内力士の北青鵬が日常的に後輩力士を殴るなどの暴力行為をしていたことが判明。臨時理事会で北青鵬には引退勧告をし、宮城野親方(元・横綱白鵬)には2階級降格と減俸の処分とする案がまとめられた。降格は解雇、引退(退職)勧告に次いで3番目に重い処罰だという。これは先例に倣ったものということなので納得した。暴力はあってはいけない。被害を受けた力士の苦痛を思えば、北青鵬は心からの反省と謝罪を尽くしてほしい。もちろん部屋内の暴力を見過ごしていた宮城野親方が監督責任を問われるのも当然だ。若い子たちを指導することを、改めて考えるべきだとも思う。

 とはいえ、北青鵬をかばうわけではないが、若い力士をただ引退させただけで終わる問題なのか? と思う。そもそも、若い力士という、おそらくエネルギーがあふれかえっている若者たちを、関取(十両・幕内)に昇進するまで雑魚寝で大部屋に集めて生活させているとか、21世紀の今ありえない。同年代の男の子のことを想像してみてほしい。家族と暮らし、プライバシーが守られた空間で自由に暮らす子が多いだろう。なのに相撲部屋では、江戸時代から続く制度を「伝統」だとしてアップデートせず、若者たちに押し付けている。それって人権侵害でしょ? 

 問題はそれだけではない。さらなる不条理が襲ってきた。
 相撲協会のコンプライアンス委員会は宮城野親方に対し、「現役時代に素行を巡って3回処分を受けたことも踏まえ、『暴力根絶を誓った相撲協会の委員の職にとどまらせることは不適当』と断じた」(「朝日新聞デジタル」2月23日付)とある。そして「力士を指導する師匠としての素養や自覚が大きく欠如しているとし、来月の春場所は所属する伊勢ケ浜一門の中で任命された師匠代行が部屋を監督することも決まった。4月以降については今後検討する」とされた(同紙より)。

 ここで、ふと疑問に思った。3回も処分受けたっけ? 調べてみようとwikiと過去の新聞記事を照らしてみると、
●2018年1月4日、日馬富士の貴ノ岩への暴行を現場にいながら止められなかったとして、日本相撲協会によって1月の給与不支給と2月の給与の50%減額という処分を下された(なぜか同じく横綱の位にあって、そこに同席していた鶴竜は、1月のみの給与不支給)。
●2019年3月24日、春場所千秋楽の優勝インタビューの最後に観客とともに「三本締め」を行ったことで、日本相撲協会によってけん責処分を受けた。懲戒で最も軽い。コンプライアンス規定の違反行為にあたる「相撲道の伝統と秩序を損なう行為」と判断された。
●2020年11月23日、日本相撲協会の諮問機関、横綱審議委員会が、膝や腰のけがで3場所連続して休場している白鵬、鶴竜の両横綱に「注意」を決議。横審の内規では成績不振や休場の多い横綱に対して「激励」「注意」「引退勧告」ができ、注意は2番目に重い。
 とある。「3回の処分」のうち、暴力問題に関する処分は1回だけであり、もちろん本人は暴力をふるっていない。もし3回ともすべて当人が暴力をふるっていたり、その場にいたのに暴力を制止しなかったのなら関連はあるかもしれないが、そうではない。

あまりにも突然すぎる「閉鎖」

 事態は一気に宮城野部屋閉鎖へと流れていく。
「大相撲の元横綱白鵬の宮城野親方(38)が師匠を務める宮城野部屋が春場所後にも閉鎖することが濃厚となった」(「日刊スポーツ」3月8日付)

 なにごと?? 部屋の若い力士ひとりが暴力事件を起こしただけで、これまで同様の事件では当事者が引退、親方は減給・降格で終わるっているのに。宮城野親方もすでに減給・降格は決まっている。なのに、どうして、部屋を閉鎖? その理由として「師匠としての素養や自覚が大きく欠如している」というのは、どういう基準で誰が考えてのこと? 何をどう見てきて、そうなったの? どういう先例があっての判断なのか? 
 これは、あまりに恣意的で情緒的。こんな曖昧なことで「相撲部屋の閉鎖」という判断がなされていいの? 所属する力士からしたら「尊敬すべき社長のいる会社に就職してバリバリ働き始めたのに、親会社の突然の一方的な命令で別会社に行かされ、社長も交代。えっ? オレ、なんで、ここにいるの?」みたいな事態、ありえる?

 私は鼻息が日頃の500倍ぐらいになって「ありえないっありえないっありえないっ」と激怒した。そして、ファンもみんな怒った、ものすごく怒った。めちゃくちゃ怒った。怒ったのは私だけではなく、みんながめちゃくちゃ怒って、X(旧ツイッター)には怒りのポストが並んだ。

 多くの相撲ファンは「意味がわからない」「不公平じゃない?」「他の部屋の暴力事件と対応に差がありすぎる」とXに書き込んだ。その“多くの相撲ファン”は、これまでずっと白鵬を「翔くん」(白鵬翔が四股名)と呼んだりして、楽しくキラキラ応援してきた人たちばかりだ。白鵬は現役時代にも不当に差別的な扱いを受け続けることも多かったが、その中でもひるまず、めげず、ひたすら応援し、キャアキャア盛り上がった同志たちだ。

手も足も出ない。ただ見つめるだけ

 私は2018年と2019年に2回、両国で“相撲ファンが描く相撲絵”を集めた展覧会を主催したことがある。ギャラリーを借りて、告知して作品を集め、友達に手伝ってもらって絵を飾り、いざ始まると連日、あふれんばかりの人が詰めかけてくれた。誰も彼もキャアキャア声をあげ、喜んで見てくれた。1度限りの予定が2回開いたのは「またやってください」の声があまりに多かったからだ。
 この展覧会を開いたのは、その前の年の2017年末、白鵬も処分を受けた日馬富士による殴打事件と呼ばれるものが起こり、相撲界全体が徹底的にバッシングを浴びたことからだ。あのときもなぜか白鵬へもバッシングが飛び火した。自分の好きなものがこんなにも叩かれるなんて……茫然自失となりながらも、それなら私たちはこんなに相撲を愛して、こんなに楽しんだよと見せてやろう! おまえら、そこで、そうやって、暗い部屋でひとりツイートして、罵ってろ! 私たちは楽しいんだから! そう言ってやりたくて、展覧会を開いた。世の中のどんな悪意も及ばない、私たちの相撲ワールドを作って、ワイワイ楽しく見せつけてやろう。それはどんなものにも負けない力だ、って。
 
 だけど、今回はそうはいかない。相撲協会のド真ん中から白鵬が、その職を追われようとしているのだから。ガツンとストレートに厳しい言葉で言えば、「排除」の考えさえ見え隠れする。不条理すぎて、あまりに不公平。ああ、そうなんだよ、そうなんだ。
 今、日本は、世界は、どこもかしこもあまりに不条理で、不公平なことにあふれすぎている。為政者たちが好き勝手し、私たち庶民は苦しい生活にあえぎ、格差社会に生きづらさがいっぱいで、政治になんて期待もないし、関心も抱けず、選挙にも多くの人は行かなくなっている。力のある者たちだけが好き勝手し、力なき私たちはうろたえ、這いつくばってなんとか生きている。
 たとえば日本で以前なら、「特定秘密保護法」とか、「集団的自衛権の行使」とか、ひどい、ひどい、ひどすぎる法律が決まるときでも、いちおう国会での審議があり、議決があり、それに備えて私たちは国会前に集ったりしてきた。
 でも今の自民党政権はなんでもかんでも「閣議決定」の独裁政治で、私たちはデモで声をあげる間もなく、呆然としながらただ見つめるしかない。
 手も足も出ないで、絶望させられるばかりだ。

 今回も同じだ。どうにもできない。だって、相撲協会がやってんだよ? このまま、私は相撲ファンを辞めた方がいいんじゃないか? もう、無理だ、悲しい、もう、もう、私の生きがいであり、唯一の趣味である相撲さえも奪われていくの?って。

愛する推しを救いたい

 ところが、おとりつぶし報道があった翌日の3月9日に、ファンがオンライン署名サイトChange Orgで「宮城野部屋閉鎖という日本相撲協会の処遇について反対します。」という署名を立ち上げた。LINEで友達が教えてくれて、見つけて、すぐに署名をした。
 そして、私は一気にnoteにブログを書いた。一気という割には4時間もかかったけど、いかにこれまで白鵬がひどい目に遭ってきたか、ここにつながる1976年からの相撲協会による外国人差別の歴史が見えると書いた。力士には外国人にも門戸を開くが、親方になるには「日本国籍を有する者に限る」という条件を定め、それが外国人による大相撲の「乗っ取られ防止策」と堂々と言ってから約50年。その規定は変えられることがない。初の外国人関取・高見山は「申し分のないガイジン」(『ガイジン力士物語』ちくま文庫)として愛された。適度に強くて、適度に弱く、脇役に徹して愛嬌がある。日本の相撲に求められる外国人力士像はそのときから変わらないままで、「優勝45回を誇る白鵬は差別されている」と2013年から私は言い続けてきた。そのたびに無視され、バッシングされ、笑いものにされながらも、新聞に「差別だ」と認めてもらうまでの私の困難も含めて書いた。私の思いのたけが詰まっている。

 そして署名運動は著名な人たちにも広がり、ゴッチさんや、政治学者の中島岳志さんらが署名をし、呼び掛けたことで、ネットのニュースにもなった。中島さんが「和田さんのnoteを読みました」とXでメンションをくれて、めちゃ感激してしまった。だって私は政治が何かまったく分からないまま政治の本を作っているとき、中島さんの本を読んで、「政治ってこういうことなのか」と学んだのだから。動くと、人と人はつながる。

 それから私は毎日、署名筆数をスクショして、広める活動を始めた。相撲中継は見ないで、その時間を拡散作業にあてた。そうだ、まだまだあきらめちゃダメじゃん。私にもやれることはある。毎日毎日しつこく、宮城野部屋を潰す理由はない、差別だ、そして、外国人排斥だと書いた。「そういうの(差別とか)面倒くさいよね?」とウザがられたりもしたけど、ここであきらめたら何になる? と声を大にして書いたのだ。私はこれを相撲界だけの出来事ではなく、社会的な事件だとしてとらえて考えて、自分事にして署名し、広めてもらいたかった。日ごろは差別や、戦中の植民地政策から連綿と続く差別を生む日本の問題を考えたりしない相撲ファンの方がいたら、その人にも考えてもらいたかった。エラそーだけどさ。だって、個人的なことは政治的なこと。愛する推しを救いたいって個人的なことでもあるけれども、十分に政治的なことだ。うん。

微力だけど無力ではない

 そして私にとって災いとなってしまった三月場所は終わり、その翌日に署名はついに1万筆を超えた。やった~っ! 他の人が始めた署名運動だけど、目標を勝手に1万筆に頭の中で設定していた。国技館のキャパは11098人。それぐらいは欲しい!と思い込んでいた。
 それで、私は署名1万筆超え画面をスクショして、相撲協会のXのアカウントに宛ててポストした。やれることは小さい。無駄かもしれないけど、今やれることをやる。

「①日本相撲協会公式さん @sumokyokai こんにちは。
宮城野部屋への処遇をめぐるファンによる署名が1万筆を超えました。これだけ多くの相撲ファンが声をあげたことをスルーするのは公益財団法人としての福祉公益性を考えたとき、その精神に反するのではないでしょうか?
②また宮城野親方へは、すでに過去の暴力問題の先例と同じく減給・降格という処分が下されています。
それにプラスしての、今回言われている「閉鎖」「他の部屋預かり」の根拠となる基準が一度も示されておりません。そもそも、この件に関して相撲協会より正式な記者会見も一度も開かれておりません。
③公益性を何度も言いますが、「ビジネスと人権」の観点からも、これは非常に問題があることに見受けられます。
部屋の閉鎖や移籍は、元々「宮城野部屋」という日本相撲協会のブランチ(と仮にします)への就職(と仮にします)を希望した力士(若者たち)にとって、あまりに急なことです。
④部屋の所属力士、床山、呼び出し、行司への告知聴聞は十分になされているのでしょうか?
付け足せば、力士や宮城野親方へ「不服申立てなど手続き」の説明はされていますか?
そうした手続きを経てないのなら、公益財団法人である日本相撲協会として、今回のことは無効ではないでしょうか?
⑤適正手続きをきちんとせずに進めることは、文部科学省が求めているスポーツ・インテグリティの確保に反することになると思います。
スポーツ団体のガバナンス強化・コンプライアンスの徹底に関する取組は、今、非常に重要な課題です。
繰り返しになりますが、宮城野部屋で相撲を取りたいと、
⑥親元を離れ、10代の若いうちから宮城野部屋へ入門した若者たちの人生を預かっている責任ある立場として、このような処分を、その根拠も明確ではないままに下すことを各人が、今一度考え直すことが求められるのではないでしょうか?
そして日本相撲協会は興行団体でもあります。1万筆を超す署名を
⑦書いたファンには私を含め、コロナ禍の大変なときでもマスクをし、無言で、ひたすら相撲を応援したいと国技館に足を運んだ人も多いはずです。
そうした苦しいときを支えたファンの声を無視し、その先に何があるのでしょうか?
さらに今回の件には「差別」「外国人排斥」の声が多く上がっています
⑧特に海外に於いてはこうした人権問題に非常に敏感です。日本相撲協会が、国籍を理由にして差別をする、そして外国人を排除しようとする団体だということが口コミ(SNS)で広まれば、たいへんに残念な結果になります。
署名は1万筆を超えました。取りやめるなら今です。良識ある対応を求めます」

 番号を振り、8回に分けてポストした。相撲協会のSNS担当者がチラ見して、ブロック! で一発終了かもしれない。それでも、他の人たちに見てほしくて書いた。ヨシッと拳を握ってうなずいた。途中、何度か出てくる専門用語は、実は弁護士の方に教わった。ひとりではできないことは、誰かの助けを借りる―――市民運動をするときに私が学んだことだ。

「100回のうち1回でも勝てればいい」

 でも、「何かをやった」のは私だけじゃない。白鵬ファンのみんなも(多くは女性だ)が、協会に嘆願書を書いたと言っていたり、もちろん署名を募ったり、LINEチェットを立ち上げて意見交換をしたり、ふだんあんまりXにポストをしない人も「これはおかしい」と毎日のように、何回も何回も、決してあきらめずに声をあげていた。みんな激しく怒って、同時に泣いていた。泣きながら、でも、「仕方ない」とあきらめず、抵抗し、書きこみをしていた。

 ああ、そうだ、そうだよね。自分が大切に思うものは、自分が愛するものは、自分の手で守っていくんだ! 「翔くんをお守りします!」とかって、LINEのスタンプみたいなのをバーンと貼り付ける気分。私たちは、やるんだよね、やるんだ。そう、やれるんだよ。私たちのチカラは微力かもしれないけど、無力ではない。たとえそれを相撲協会が無視したとしても、私たちのチカラを世の中に可視化することはできた。私たちは宮城野部屋を閉鎖することなんて、ぜったいに許さない!と言い続けた。

 そうなんだよ、悔しいけどさ、たとえばリベラルは負け続ける。「100回のうち、1回勝てばいいほう」って津田大介さんが言っていた。それでもやり続ける。私たちは不公平なこと、不条理に対して立ち上がり、声をあげる。あきらめない。本当にそうだ。誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分でやるんだよ!

 2024年三月場所はある一番を除いては、一切見なかった。代わりに、私は抗った。それはまだ続いている。厄災は降ってきたが、あきらめてはいない。
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