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第5話

子どもは離乳食を食べ始め、妻は出勤するようになり、私は伸びきったラーメンになった

[ 更新 ] 2024.03.13
 「いぃ痛い!」私は呻き声をあげた。頭が割れるように痛いのだ。ただの風邪ではない。インフルエンザでもない。アイスクリームの食べ過ぎである。
 2021年の夏がやってきた。世界が新型コロナウイルスのパンデミックの時代へと突入してから2回目の夏である。地下鉄やスーパーマーケットなど、屋内では必ずマスクの着用が求められていたが、人々のウイルスへの恐怖心はワクチンの登場を機に日に日に薄れていったように思われる。皆、街へと繰り出すようになり、新型コロナの話題がニュースになることも少なくなった。7月4日の独立記念日、イーストリバー両岸は人の波で埋まり、空を色鮮やかに染め上げる花火と響き渡る轟音が、少し前まで街に広がっていた暗く鬱々とした空気を完全に吹き飛ばした。パンデミックの終わりの始まりであった。
 街が活気づくとともに妻の出勤回数が増加した。感染対策のため多くの職場で週5日のテレワーク体制が導入されていたが、この頃になると、週に1日や2日は出勤して顔を合わせてはどうか、という空気が世の中を覆いつつあった。
 こうして始まった「出勤再開」に対する主婦の認識について、どこかで聞いたか読んだ覚えがある。主婦にとって、「夫の出勤再開は、世話の焼ける中年の子どもが幼稚園に通い始めるようなもので、家事の負担が減るから大歓迎である」という趣旨であったと記憶している。一方で、私のように中年の子どもが主夫をやっている場合もあるが、「妻の出勤再開」に対する主夫の認識については、私は寡聞にして知らない。したがって、私の意見をここに書き留めておくことには一定の価値があるだろう(読む価値があるとは言っていない)。

 私にとって妻の出勤再開は、「頼りになる上司がテレワークを始めて現場に顔を出さなくなるようなもの」であった。上司が現場に来なければ、洗濯や皿洗いを催促されることはなくなり、料理の手際の悪さや味付けについて厳しい指導を受けることもなくなる。しかし、その一方で、家事や育児に関わる全ての責任が、現場のトップたる主夫に重くのしかかることは肝に銘じておかねばならない。私の妻はアパートの住民専用共有スペースで仕事をしていたため、以前から日中のほとんどの時間、自宅にはいなかったのだが、それでも、いざという時には頼ることができるという安心感があった。その安心感が、妻の出勤再開とともに失われてしまったのである。あの日、私は心を入れ替えて家事と育児に臨まねばならない、そう覚悟したのであった。それからの日々の緊張感は、はち切れそうな程にピンと張り詰めた一本の糸のようであった、と言えば大袈裟かもしれないが、伸びきったラーメンのようであった、と言っても言い過ぎではないだろう。
 だがしかし、私もいずれは仕事に復帰して育児と仕事を両立していかねばならない身である。自由な働き方がようやく可能になりつつあったのに、再びパンデミック前のような働き方に戻そうとする動きに不安を感じるところもあった。未就学児の世話や家族の介護をしながら働いている人であれば、テレワークを含む柔軟な働き方を求めているであろうし、また、私のような職業だと、家の方がはかどる仕事もある。例えば、勉強、研究、数値計算のためのコーディング、論文の執筆、居眠りだ。
 幸いなことに、多くの職場で今でも柔軟な働き方が可能なままであると聞く。ずいぶん子育てしやすい世の中に変わったものだ、と感慨深く思う一方で、こうした職業は一部に過ぎず、実際には出勤しないと何も進まないたぐいの仕事が無数に存在することもよく理解している。私の身近な人間が就いている仕事に限っても、出勤が必要な現場仕事ばかりだ。例えば、運転手、飲食業、パチプロだ。
 私の職場も同様だ。テレワークは可能であるが、同僚の多くは粒子加速器という巨大装置を研究、開発し、それらを用いて実験をしているため、出勤しなければ研究が進まない。基本的には、人間の器用な手先や豊富な経験を必要とする高度な技術職は全て現場仕事である。例えば、潜水艦やロケットの技術者、火星探査車のエンジニア、量子コンピュータ研究者、パチプロだ。
 全ての人が家庭と仕事を容易に両立できるよう、世の中の様々な仕組みが少しずつ変化していくことを願うばかりである。

 出勤再開の流れと時を同じくして、もう一つ大きな変化があった。子どもの離乳食の開始である。専業主夫である以上、子どもの変化は自身の生活の変化に直結する。離乳食開始以前の子どもの食事の世話と言えば、ミルクを飲ませて哺乳瓶を洗浄・殺菌するだけの極めて簡単なものであったが、これからはミルクと離乳食の両方を用意せねばならない。
 離乳食と言っても、導入期の頃は少量を1日に1回や2回食べさせるだけであって、あくまで主な栄養源はミルクである。離乳食を作る量も回数も決して多くはない。しかし、最初は慣れないため、一品作るだけで大変な苦労である。例えば、おかゆだ。ただのお粥とあなどっていたが、作ってみると意外に面倒である。炊きたてご飯を少量とって鍋に移して煮るだけだが、これが20分や30分もかかるのだ。手抜きして短い時間で作ろうとすると、米の弾力が残ってしまい、離乳食としては失格である。離乳食の導入期は、生まれてこの方ミルクしか飲んだことがない人間がミルク以外のものを摂取するようになる最初のステップであるから、相当な流動性を追求する必要があるのだ。
 あらゆることが簡単にできてしまう現代において、お粥を作るのに半時間もかかるのは何かが間違っている。もっと簡単な方法があるに違いない。現代の技術を持ってすれば、お湯を加えるだけでお粥ができる「お粥の素」があっても良さそうである。そう思って調べてみると、実際に存在することが分かった。アメリカで乳幼児用の食品を売っている大手メーカーから販売されていたのだ。粉ミルクのような感覚で簡単にお粥が作れる。ほかにも、スーパーの乳幼児コーナーでは様々な離乳食が売られており、バナナ、りんご、アボカド、人参、ほうれん草などを液状にしたもの、さらにはチキン、ビーフ、バイソンのシチューのようなものまでパウチに入れて売られている。バイソンはいかにもアメリカらしい。離乳食の初期においては、ミルクの栄養を補助するような形で与えるだけであるから、消費量は少なく、当面はこれらを使って乗り切れることが分かった。
 離乳食を食べてみると、薄味ということもあるが、美味しいのか不味いのかよく分からない。さらに、見た目はどれもドロドロしていて、これから口に入れるものなのか、口から出てきたものなのかさえ分からない。唯一分かることは、尻から出てきたものではない、ということくらいだ。それでも、だいたいの離乳食は嫌な顔一つせず食べる。食べ過ぎと言ってもいいくらいだ。あるとき、妻と私の間で、こういう会話があった。
「離乳食、ちょっと食べ過ぎだと思うわ。ほら、こんなに丸々と太ってるじゃないの」
「大丈夫、子どもはたくさん食べて大きくならないと」
「目の前のおじさんに言ってるのよ」
 私は、毎食毎食、自分の食事に加えて子どもが残したものや落としたものを食べ続け、育児休業中に10kg太った(そして10kg痩せた)。
 生後7~8か月になると、離乳食の段階も進む。食材を完全に流動食にしてしまうのではなく、食材の形を残しつつ柔らかく調理することが求められるようになるのだ。単にミルクの栄養を補うのではなく、嚙む練習も兼ねるということであろう。これは、初期の流動食状の離乳食を作るよりも簡単である。様々な野菜をみじん切りにして電子レンジに放り込み温野菜にするだけである。多めに作って製氷皿に入れて冷凍保存しておくと、使うときに1ブロックや2ブロックといった単位で皿に取って解凍するだけでよいから便利である。また、パウチに入った流動食状の離乳食は、この段階になってもまだまだ便利である。上からかけて味付けや栄養を補うのに利用できるからだ。タンパク質を補うには、豆腐が便利であるが、ひき肉などを与えることも多いようだ。ただし、私の子どもは肉が嫌いなようで食べなかった。「べぇーっ」と吐き出してしまうのだ。
 子どもは、嫌だと思うとすぐ吐き出す。本能的に危険そうなもの(慣れない味、辛いもの、苦いものなど)を避けているのかも知れないが、詳しくは知らない。一方、大人になると苦いものや辛いものも食べるようになるのは不思議である。多くの経験を通して学習した結果、無害だと分かって食べているのだ、と考えるのは大間違いである。例えば、飲酒の習慣がある大人は多数いるが、アルコールは食道、大腸、乳房など、様々な部位の発がんリスクを高めることが明らかになっている。大人は有害だと知っていても、喉をアルコールで殺菌して感染症対策をしているのだ、などと屁理屈をこねて摂取するのである。なかでも「自分だけは例外で、健康に影響はない」と信じて疑わないのが軽蔑すべき阿呆な大人の特徴である。今ぎくりとした人は猛省せねばならない。私も以前は散々飲んだものだ。しかし、飲んだ酒はだいたい胃の内容物とともに吐いていたから、私は例外的に大丈夫である。
 生後8か月や9か月となると、つかまり立ちをするようになり、ますます活発に動くようになる。離乳食開始前の丸々と太った体型から様変わりし、身体が引き締まってくる。顔つきも、赤ちゃんの顔から幼児の顔へと変貌を始める。さらに乳幼児用のビスケットを食べ、ストローでミルクや水を飲むようになるなど、もう幼児顔負けである。親としても、1人の人間を相手にコミュニケーションをしているという実感が湧いてきて、最早、一方的に世話をする相手というより「小さな友達」である。子育てが楽しくなってくるのは、まさにこの時期、0歳の後半からだ。ここから先は、「小さな友達」と夏休みを思いっきり楽しむ時間である。
 ただし、この「遊び」は、親が意図しようとしまいと、「教育」という側面を持っている。子どもは遊びを通して何でも吸収してしまうからだ。
 自分で言うと恥ずかしいので、あまり人には言わないようにしているが、私には人並外れた音楽の才能がある。子どもの頃から音楽の成績は上位層であった。5段階評価で1と2の生徒の中では。
 この才能を持ってすれば、私が歌う童謡は全て音楽教育上有害な教材となる。子どもを私の歌から遠ざけるべきであろう。そうなると、子どもにどうやって歌を聞かせるか、それが問題となる。私が頼ったのは、村方むらかた乃々佳ののかさんのYouTube動画であった。乃々佳さんは僅か2歳5か月にして、第35回童謡こどもの歌コンクールこども部門で銀賞を受賞した新進気鋭の歌手である。2歳の乃々佳さんがテレビ画面いっぱいに映し出されると、ちょうど生後8か月や9か月の私の子どもと同じくらいの背丈になる。その上、当時は私の怠慢でテレビ台を購入できておらず、テレビは床に直に置かれていた。そのため、子どもにしてみれば、自分と同じくらいの背丈の女の子が眼前に現れて童謡を歌い始めるように見えるのだ。興味を示さないわけがない。未だパンデミックが完全には終わっていない上、異国での都会暮らしで近所付き合いも兄弟姉妹や親戚との交流もない状況では、0歳児が他の乳幼児と出会う機会はほとんどない。乃々佳さんが唯一人、「歳の近いおねえさん」だったのだ。子どもは、ほぼ等身大の乃々佳さんが「めだかの兄弟」、「大きな栗の木の下で」、「ど根性ガエル」を歌っているのをキャッキャッ言いながら興奮して見ていたものである。乃々佳さんには、子どもを音楽に触れさせる上で本当に助けられた。
 これを書きながら、乃々佳さんが歌う動画を久しぶりに見た。当時の懐かしい思い出の数々がありありと蘇り、目頭が熱くなった。私は昭和生まれの日本男児である。幼少の頃より、涙を流すことは恥ずべきことであると自らに繰り返し言い聞かせ、高倉健という名の遥かなる高みを目指して昭和、平成、令和という3つの時代を生き抜いてきた。今さら、感傷に浸って涙を流し、積年の努力が水泡に帰することなど、私自身が決して許さない。だが心配は無用である。私の鍛え上げた強靭な涙腺は簡単には根をあげない。過小評価しないでいただきたい。ただ涙腺から汗が流れただけである。

 その後、妻の職場でも「出勤再開」が話題になったらしい。妻の同僚職員Aは「出勤は、同僚とのコミュニケーションのために必要だ。仕事が円滑に進むようになる」と賛成の様子だ。別の職員Bは「出勤すると、皆が道中にコーヒーを買い、昼には同僚とランチに出掛ける。出勤再開には雇用を増やす効果がある」という主張であった。一方、職員Cは2人とは異なり、「出勤するか否かは個人の判断に委ね、出勤者数を増やしたい場合はランチ無料などの動機付けを与える程度に留めるのがよい」との意見であった。私も職員Cに全面的に賛成である。子育てや介護をしている人ならば、出勤しなくても回る仕事ならば在宅でやらせてもらいたいものだ。それが今の時代に合っている。また、出勤人数を増やしたい場合、ランチ無料化は効果てきめんであろう。間違いない。きっと会社では次のような会話が繰り広げられるはずだ。
「やあ、元気かい? ランチ無料化で、みんな出勤するようになったね。普段は見かけない顔ばかりだね」
「ええ。僕も初めて会う人ばかりですよ。今日はたくさんの人と交流できたし、その上ランチは無料ですし、本当に来てよかったです」
「同意するよ。実際、私と君の会話も、これが初めてだね。君はどこの部署だい?」
「近所の専業主夫です」
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