
第8話
妻は私に友人を作れと言う。無理難題だ。
[ 更新 ] 2025.02.06
主婦どうしであれば、すぐに「ママ友」ができるそうだが、主夫は孤立しがちである。主婦の輪やシッターの輪には入れないし、かと言って、主夫の輪など見たことがない。それ以前に、知らない男どうしが公園で出会って挨拶をし、そこから互いに連絡を取り合うような友人へと発展することなど、現実に起こりうるのであろうか。公園で出会った見知らぬ男と親しくなれば、怪しげな商売や犯罪組織に勧誘されるのでは、と身構えるのは私だけではないはずだ。たとえそうでなくとも、多くの場合、子連れの男は、その日たまたま仕事が休みで子どもと遊んでいるのであって、再び会う見込みはほとんどないということを考慮に入れるならば、重い腰を上げてまで話しかける価値があるのかと尻込みするのも当然である。
そもそも私は、自ら進んで私生活及び仕事の両面における名誉ある孤立を選んだのだ。皆に名前を忘れられ、「久保田さん」と呼び間違えられる憂き目に幾度となく耐え、ようやく摑み取ったのが「いてもいなくても同じ人」という評価であり、そのおかげで誰にも気兼ねなく約3年間の育児休業を取得できたのではあるまいか。今では人間関係の稀薄さが唯一の自慢であるが故に自慢する相手さえいないという逆説的状況を誇りにしている私が、今さら異国の地でせっせと友達作りに励んでたまるものか。と言い訳を並べ立てている間に1年が経ち、新たな友人ができる気配さえないまま、2022年の春を迎えた。
だが、心配はいらない。私には無二の親友がいる。1歳の我が子である。
子どもがようやく歩き始めたのは1歳の誕生日を少し過ぎた頃であった。それから僅か数か月のうちに、公園での短い散歩を楽しめるまでに成長し、今や、子どもと公園へ行くことが私の日課である(この後、約2年間に亘って毎日ほとんど休むことなく子どもを公園へと連れていくことになる)。
都心の比較的大きな公園は、子どもより大人が楽しめるように設計されていることが多く、公園内にカフェやバーがあることも珍しくない。そのため、子どもよりも大人の人数の方が圧倒的に多いのが普通である。そうした大人向けの公園であっても、一部の区画は子どもの遊び場として整備されており、「プレイグラウンド」と呼ばれている。
プレイグラウンドは、滑り台やブランコ、雲梯などのお馴染みの遊具周辺を大きな柵で囲んだものと思えばよい。入口の柵は誰でも自由に開閉できるものの、「子どもを連れていない大人は入れません」という警告文により、不審者を威嚇している。さらに、柵の中では、親やシッターが常に目を光らせ、不審者の侵入に備えている。見つけ次第、威嚇するためだ。不審者が多いニューヨークにあっては、こうした環境は実にありがたい(私にまで矛先を向けるのをやめてくれれば、なおありがたい)。
残念ながら、自宅から最も近いプレイグラウンドは、柵が開放されたままになっており、何をしているのか分からない怪しげな男たちの溜まり場になっている。子どもを遊ばせるには不安な環境である。しかし、自宅から近くて便利であるから、安全に使えるか否かの確認のため、試しに行ってみたことがある。しかし、これは失敗であった。私と子どもが遊び始めて僅か数分後には、中年の男が笑顔で近づいてきて「金をくれないか」と言ってきたのだ。街中ならば驚かないが、プレイグラウンド内で言われたのは後にも先にもこの一度限りである。男は、「あそこにいる友人と昼飯を食べに行くから、金がいるんだ」と言った。男が指差す方向に目を向けると、男の友人は某有名オンラインフード注文・配達業者の配達員ではないか! なにゆえ私が払わねばならないのか。こういうときは、友人が払うのが筋であると滔々と説いた上で(自分のことは棚に上げて)労働倫理について長々と説教を垂れてやれば、男もきっと辟易として、「もう沢山だ!」と言いながら足早に公園を立ち去るだろう。しかし、そんなことが実際にできるわけもなく、結局、私は昼飯代をたんまりと渡し、「これで足りるか?」と言ったのであった。男は、「あぁ沢山だ!」と言うと足早に公園を立ち去った。
ニューヨークでは、頻繁に、知らない男や女から「金をくれ」と言われる。しかし、公平のため言及しておくが、実は取られるばかりではなく、「くれる者」もいる。例えば、私が子どもを連れてドーナツ屋に入ったときの話だ。一番安いドーナツを1個だけ注文したところ、店員の女性はどこか寂しげな表情を見せた後、無料でドーナツを4個もくれたのだ。お金がなくて1個しか買えない可哀想な子連れの男とでも思ったのだろう。困っている人を見れば施しをするのが当然というこの街の文化は(これほど酷い格差社会では焼け石に水であるものの)、間違いなく評価されるべき点である。誰もがこのように行動するようになれば、世界は大きく変わるだろう。少なくとも、ドーナツを2個以上注文する者はいなくなるはずだ。
ついでに、妻がドーナツ屋に行った際の話もしておこう。妻がベビーカーと重い荷物のせいで入口のドアを開けることに四苦八苦していると、その様子を見かねた通りすがりの若い男女が、妻のためにドーナツを1ダース買ってくれたそうだ。妻がお金を払おうとすると「いらないよ。今度、他の誰かを助けてやってくれ」とだけ言い残し、颯爽と去っていったというのだ。これができる人間が日本にどれだけいるだろうか。残念ながら、あまり多くはいないだろう。日本でもこういう人間が増えることを願うと同時に、私自身の過去の行いを反省した。そして、それ以来、私は自らの振る舞いを改めた。もし、ベビーカーと重い荷物を持ってドーナツ屋の入口でまごついている人を見かけたら、私である。
こういうことがあって、私は最寄のプレイグラウンドには足を運ばなくなった。代わりに、徒歩30分圏内、または電車で数駅の距離にある、治安がよさそうな公園(とドーナツ屋)に行くようになった。しかし、それさえも一筋縄ではいかないのが、この街だ。
澄んだ青空が一面に広がる爽やかな朝であった。胸元から顔を出し景色を眺める我が子に向かい、「いい天気だねぇ」などと話しかけながら、公園へと向かって歩いていると、突如、バァーン!という大きな衝撃音とともに食料品店の扉が激しく開き、男が飛び出してきた。あろうことか、この男、パンツを膝まで下ろしているではないか! その直後、再びバン!と扉を開ける音がしたと思うと、今度は店長と思しき髭面の太った男が現れ、血管が切れそうな激烈な剣幕で、「ファッキュゥゥゥー!!!」と叫んだ。激昂して中指を突き立てる店長と啞然として立ち尽くす私を尻目に、男は下半身丸出しで逃走していった。
別の日には、こういうこともあった。子どもを抱いてアパートを出た直後、「こいつ狂ってるわ! ジャンキーよ!」という女の叫び声が聞こえた。声の方向に目をやると、僅か数メートル前方で、目つきも顔色も悪い若い男女が取っ組み合いの喧嘩をしている。男は「お前がジャンキーだ!」と言い返している。足元には注射器が転がっており、誰が見ても2人とも薬物中毒だ。私は、胸元の子どもを守るように体を縮めると、気付かれないよう祈りつつ足早に通り過ぎることにした。次の瞬間、女が何かを叫びながら男を突き飛ばした。男はふらふらとよろめき、そろりそろりと歩く私にぶつかった。勘弁してくれ! と心の中で叫び、私は咄嗟に逃げ去ろうとしたが、今度は別の誰かに行く手を阻まれた。顔を上げると、ドウェイン・ジョンソンのような屈強な男が私を見下ろしている。今や、子どもを抱いた貧相な男は、凶暴化した薬物中毒の男女と強面の大男に前後から至近距離で挟まれている。絶体絶命かと思われたそのとき、大男は、「行け」と私に合図をした。この大男、実はすぐ横のホテルのドアマンであった。騒ぎに気付き、この男女を力ずくで排除しに来たのだ。私は大男の陰に隠れ、無事にその場を離れることができた。後になって気が付いたのだが、この付近にはボランティア団体によって設置されたと思われる注射針専用の回収箱があった。道端で注射器を使用する者が後を絶たないようだ。
このように、私の日常は危険との遭遇の連続であり、移動中は常に全方位を警戒しなければならなかった。さらには、パンデミックで始まったアジア人差別に基づく事件が(ここには書くことさえ憚られる凄惨な事件も)未だ多く発生しており、日本人が巻き込まれた事件の情報も断続的に流れてきていた。大人だけで歩くならばまだしも、子どもを連れている以上は薄氷を踏むような慎重さが要求されるのだ。こうして、移動だけで神経を擦り減らす毎日を過ごすなか、友人を作る気などさらさら起こらず、相変わらず胸元にいる1歳の子どもだけが私の話し相手であった。
しかし妻は違った。例えば、ある週末の昼下がり、アパート内の共有スペースで7〜8人の日本人主婦たちがパーティをしているのを見かけた妻は、この見ず知らずの主婦たちに交じって談笑し、連絡先を交換し、一緒に集合写真まで撮って帰ってきたのだ。このような調子で、妻はいつの間にか複数のママ友を作っていたのだ。
あるとき、妻のママ友の一人で同じアパートの住民であるAさん一家と、近所のペルー料理屋で昼食を食べることになった。Aさん一家は、Aさん、Aさんの夫、生まれたばかりの0歳の子どもの3人家族である。夫妻はパンデミック前からニューヨークに住んでおり、子どもが生まれる前は街のあらゆるレストランを巡ったそうだ。そのため、美味しい店を多数知っており、この店も夫妻のお勧めの店の一つだそうだ。夫婦円満の秘訣は、月に数回はレストランに行くことだと聞いたことがあるが、A夫妻は、それをごく自然に実践しているのである。まさに理想的な夫婦である。
念のため言っておくが、私たち夫婦も非常に仲が良い。実際、子どもが生まれる前は、高級イタリアンレストランからファストフード店まで行ったものだ。文字通り、妻を高級イタリアンレストランまで送り、私はファストフード店で時間を潰していたという意味だ。
ニューヨークに来てからは小さな子どもがいてなかなか外食に行けなくなったが、気晴らしのため、折を見て行くようにしている。私たち夫婦は揃ってコーヒー好きであるから、カフェに行くことが多い。午前に妻、午後に私が行く。
ペルー料理は日本人の口にあう味付けで、皆、料理に大満足であった。そのおかげか、会話は大いに弾んだ。パンデミックの初期の頃の狂気じみたニューヨークの街の様子に始まり、人間の本質をえぐるような鋭い洞察に満ちた、知的で刺激的な話を聞いたはずだが、記憶違いかもしれない。大盛りこってりラーメンの話しか思い出せない。
他にも、私の失言で夫婦喧嘩に発展した話や、旅先で妻がゴミと一緒に結婚指輪を捨ててしまった話など、過去の失敗談で盛り上がった。こうして、昼食会の時間はあっという間に過ぎさった。子どもたちの昼寝の時間ということもあって、早々に散会となったが、幸いなことに、A夫妻は私たちのことをたいそう気に入ってくれたようであった。
後日、A夫妻から連絡があった。昼食会のお誘いである。今度はセントラルパークに軽食を持ち寄って食べるらしい。
昼食会の日がやってきた。セントラルパークへと集まったのは、私たち家族、Aさん一家、そして、X夫妻である。X夫妻は韓国人とフランス人の夫婦で、2人は日本で出会ったという。今も日本に関心があるらしく、日本の週刊誌の記事にまで目を通しているというから驚きだ。近頃は、ニューヨークにお住まいであられる元皇族のやんごとなき御方の動向に関する記事をチェックしているらしく、私が知らない情報が口をついて出てくる。どこのフィッシュマーケットで魚を買っているかまで知っているのだ! こうして、話題は自然と元内親王の話になった。
まず驚くべきことは、元内親王が住んでいるのはマンハッタン、それもヘルズキッチン、すなわち、私たち家族やA夫妻が住んでいる地域と同じということだ。下半身丸出しの男が走り、薬物中毒の男女が取っ組み合いの喧嘩をする地域だ。道路の真ん中で信号待ちの車に小便をかける者や、地下鉄へと向かうエレベーター内で小便や大便をする者もいることは以前にも述べた通りである。
しかし、こんなことは序の口であった。突如、静観していたAさん(夫)が口を開き、驚愕の事実を告白したのだ。Aさん(夫)は、元内親王と学習院初等科時代の御学友であるという。しかも宮様と机を並べていたこともあるらしいのだ。薄々察してはいたが、私とは育ちが天と地ほども違うようだ。私のような庶民であれば、失礼のないよう常に気を張っていなければ大きな失敗をしそうなものであるが、恐らく、Aさん(夫)とその同級生たちは意識せずとも恥ずかしくない立ち居振る舞いができる者ばかりなのであろう。きっと、授業中に屁をこく者や、鼻くそをほじる者、指に付いた鼻くそを机の裏に付ける者などいないに違いない。
ちなみに、私の小学校では、同じクラスの中だけでも、鼻くそを食う男と消しゴムを食う男とトカゲの尻尾を食う男と道端に落ちた犬の毛を食う男がいた。実に野蛮である。ただし、犬の毛を食った男には情状酌量の余地がある。当時、子どもの間で、口に入れたときにパチパチと弾ける綿状の菓子が流行っていたのだが、道端に落ちていた犬の毛がその菓子にそっくりだったという。その男は、その後、今に至るまで犬の毛は一切食べていない。本人が言っているのだから間違いない。
こうした話題で盛り上がっているうちに、セントラルパークでの昼食会が終わった。A夫妻とは2度も昼食を共にしたわけであるが、プライベートで2度も会えば友人と言っても過言ではなかろう。
それからしばらくが経った。気温も上がり、初夏の日差しが眩しい。打ち水の如くまかれた小便、転がる大便、車道で放尿する男。街は相変わらず汚い。A夫妻とX夫妻の話を思い出し、胸元の子どもに「元内親王が、このヘルズキッチンに住んでるなんて本当かな」と話しかけた。それから、ふと顔をあげたそのとき、視界に入った見覚えのある人物に目を疑った。まさか、こんなところで、私のアパートの前で、と思ったが、見間違えではなさそうだ。下半身丸出しの男が寝ていた。会うのは2度目だ。