第4回
『エースをねらえ!』~お蝶夫人とひろみの愛
[ 更新 ] 2023.12.25
『エースをねらえ!』には、のちに登場する海外のライバルたちをのぞいても、お蝶夫人、緑川蘭子、宝力冴子……と、たくさんのライバルたちが登場する。なかでもお蝶夫人は有名で、作品を読んだことがない人でも、一度くらいは名前を耳にしたことがあるだろう。
◆美人でお金持ちのライバル:お蝶夫人
美人で財閥令嬢で、日本庭球協会理事の娘で、ゴージャスな縦ロールの髪に圧倒的なテニスの実力。そのプレイスタイルは、まさに蝶のように優雅で華やかで、他の追随を許さない。まさに「完璧」を絵に描いたような「お蝶夫人」。主人公の岡ひろみも、お蝶夫人に憧れてテニス部に入部する。
だが読み返してみると、物語序盤のお蝶夫人は、60年代のバレエマンガで描かれたような、いつも取り巻きを引き連れた美人でお金持ちのライバル、というイメージを踏襲していることがわかる。「テニス王国」と呼ばれる西高テニス部で常にレギュラーとして試合に出場するのは、お蝶夫人と、キャプテンと、お蝶夫人の取り巻き3人。なのに新任の宗方コーチが、まだ1年生で実力も足りない主人公・岡ひろみを、公式戦の出場メンバーに抜擢するところから物語は始まる。
もちろん一人だけメンバーから外された取り巻き・音羽の怒りはすさまじく、お蝶夫人もひろみに向かって、「コーチにおことわりしてらっしゃい。そのほうがあなたのおためよ」。
自分がなぜ抜擢されたのかわからないひろみはコーチに断りに行くが、一蹴されてしまう。それをお蝶夫人に伝えると、「そう! あたくしのいうことはきけないのね? ひろみ、あたくしはすなおな子が好きなのよ。いうことをきかないような子はかまってあげられなくてよ。それでいいならかってになさい」【図1】
【図1】山本鈴美香『エースをねらえ!』1巻(集英社)26頁
おお! 絵に描いたようなお嬢様ライバルのセリフ。このように当初のお蝶夫人は、かなり以前のバレエマンガのライバルのイメージに近い。実際、ひろみは、靴の中に画鋲(!)を入れられたりもするのである。
メンバーを外された先輩・音羽に、いじめのようなしごきを受け、取り巻きたちが、どうせあの子は第1試合で大敗するからそれまで待てばいい、と言い合っているのを聞いたひろみは、泣きながらお蝶夫人の胸に飛び込む。お蝶夫人の態度が変わり始めるのはここからである。「そうよ。ひろみ、やってみなさい」と、彼女は自分が使っていたラケットをひろみに渡す。
公式戦の第1試合、実力の違いから一方的な試合となり、ひろみはゲームを落とし続けるが、一念発起したひろみが打った一球が、相手に息をのませる。判定はアウト。周りの観客は、「こうゲームが一方的じゃ」としらけるが、ひろみのこの一球に驚愕した3人がいた。お蝶夫人、そして男子トップの藤堂と尾崎。「見抜く」ライバルたちである。【図2】
【図2】山本鈴美香『エースをねらえ!』1巻(集英社)56頁
一方的な負け試合でも、選手交代はしない、という宗方コーチに対し、メンバーを外された取り巻きの音羽は、納得がいかないと、ひろみに試合を申し込む。実力は音羽の方が上のはずなのに、焦ってミスが目立ち、ひろみに敗退する音羽。宗方コーチの特訓によって、ひろみはいつの間にか実力をつけていたのだ。このあたりの描き方も『アラベスク』に通じると言える。
音羽に勝ったものの、逆にひろみに対する部員の反発は激しさを増す。『エースをねらえ!』の中では、実力をつけて勝ち上がれば、周りの皆が敵にまわる、ということが容赦なく描かれるのが特徴的だ。勝ち上がる者は、周りの嫉妬とも闘わなくてはならない。また、もともと藤堂との仲を噂されていたお蝶夫人が、藤堂とひろみが仲良く一緒に帰っていったと取り巻きからの電話で聞いて、嫉妬の炎を燃やす場面は、何年たっても忘れられないほど印象的である。【図3】
【図3】山本鈴美香『エースをねらえ!』1巻(集英社)102頁
第2試合。善戦するひろみの試合を見ながら、尾崎とお蝶夫人はこう言葉を交わす。「どこかにている、あなたのテニスに」「あたくしがおしえたんですもの。手とり足とり」「またずいぶん目をかけたものですね」「ええ…妹のようにかわいくて」〈でも、これからは……〉
実際、ここからお蝶夫人は、ひたむきに彼女を追いかけ、どんどん実力を増していくひろみに対し、愛憎相半ばする葛藤を抱えていくことになる。
◆追う者と、追われる者
ひろみの決勝戦の相手は、“加賀のお蘭”こと緑川蘭子。じつは宗方コーチの異母妹である。長身から繰り出されるサーブに、手も足も出ないひろみ。
素質が違う、というひろみに対し、宗方コーチは、練習量の差だ、あれはお蘭の努力の結晶だ、と言い切る。「じゃあ、わたしも努力さえすれば、お蝶夫人のみたいになれるんだろうか。練習しだいで、あんなすばらしいプレイができるようになるんだろうか。だとしたら、ああ、どんな特訓もいとわない!」。ひろみにとってはお蝶夫人こそが、目標であり、憧れなのだ。しかし一方でお蝶夫人の胸の内は、「はじめてあったときのままなら、かわいがっていられるのに。上達するのが早すぎる」。
県大会の個人戦では、そんなひろみとお蝶夫人が第2試合で当たることになる。圧倒的な実力差。にもかかわらず「試合はやってみなければわからない」という宗方コーチの言葉は、お蝶夫人のプライドを刺激する。
試合が始まり、「くるならきなさい、ひろみ! うけられるものなら、この球、うけてごらんなさい!!」
お蘭の時と同じく、手も足も出ずに6ゲーム連敗。このままお蝶夫人のストレート勝ちかと思われたが、お蝶夫人の決め球をひろみが返し、そこからすさまじいラリーが続く。周囲が「あんなお蝶夫人を見るの、はじめてだわ…」というような全力の激闘。加賀のお蘭が言う。「因縁を感じるわね、あのふたり」「宿命のライバルとでもいった感じがするわ」【図4】
【図4】山本鈴美香『エースをねらえ!』1巻(集英社)158頁
ひろみからエースをとられ、お蝶夫人はさらに燃え上がる。これ以上はポイントを許さない!――憧れのお姉さまではなく、宿命のライバル。しかも常に相手の先を行くことを自分に課す、宿命のライバル。
しかし、試合に負け、大泣きするひろみを見て、後味が悪いと感じたお蝶夫人は、数日後、ひろみに言う。「あたくしか、テニスか、どちらかひとつ選びなさい!」
すさまじいセリフである。父と宗方コーチが話しているのを聞いて、日本庭球協会が何を考えているのかを知り、妹のようにかわいいひろみをこれ以上傷つけたくない、と出てきた言葉。お蝶夫人からこう言われて、ひろみはテニスを辞める決意をするが、4日もたてばもう気もそぞろ。そんなひろみを見て、お蝶夫人は思う。〈傷つけまいとしてテニスをやめさせたのに、やめればやめたでこんなに悩んでる。あたくしはどのみち、この子を苦しめるしかないのだろうか⁉〉
その状態のひろみに、宗方コーチが言う。
「いいかげん…お蝶からはなれたらどうだ」。
お蝶夫人のプレイをまねるかぎり彼女以上のプレイはできない。
「おまえたちは性格も体格もちがう。おまえはおまえのテニスをするんだ。そのためにももう、お蝶からはなれろ!」
ひろみとお蝶夫人にとって、ここが一つの大きな転機となる。
そこからのひろみのプレイを見て、お蝶夫人は思う。「かくじつにあたくしからはなれだしている」「あなたがその道をえらぶなら、あたくしのとる道もひとつ」
県大会団体決勝戦で、からくも試合を制したひろみに対し、部内の反発はさらに強まる。ひろみが練習中に逸らしたボールを先輩が拾い、お蝶夫人のコートに入ったらどうするんだ、「たまに勝ったからって図にのるんじゃないわよ!」。それに対して「わたしは実力で勝ちました!」と言い切り、あろうことかお蝶夫人をにらみつけるひろみ。「ひろみ!! なんなの、その目は⁉」【図5】
【図5】山本鈴美香『エースをねらえ!』2巻(集英社)50頁
ひろみのお蝶夫人からの自立を象徴する出来事である。
お蝶夫人の焦りはふつふつと激しくなり、彼女らしからぬいらだちを周囲にぶつけたり、藤堂のみならずなぜ宗方コーチまでもが、自分ではなくひろみに目をかけるのか!と怒りの炎を燃やす。この上は、加賀のお蘭をストレートで下して自分の実力を見せつけなければ。「このあたくしを見くびるなんてゆるせない‼」
県大会女子シングルス個人戦決勝。お蝶夫人の「あの舞うように美しいポーズ、公式試合でくずして見せる」と宣言した緑川蘭子も負けてはいない。息をのむような激戦。しかし試合中にお蘭は手首を痛め、優勝はお蝶夫人へ。試合後、負けて宗方コーチの胸に「わたしが勝てたのに!!」と泣きながらすがるお蘭の姿は、さらにお蝶夫人の怒りをかきたてる(この時点で緑川蘭子が宗方コーチの異母兄妹であることは知られていない)。
その後、お蝶夫人は、加賀のお蘭が宗方コーチの異母妹であり、自分には歯がたたないと感じていた2人の間の強い絆は、じつは血の絆だったことを知る。「ひろみ…けっきょくここでもあいてはあなた……。あたくしは……いったいどこまですくわれないのだろう…」
◆「ダブルス」という二重の壁
昔は姉・妹と慕いあっていたものの、今は決裂状態といっていいお蝶夫人とひろみに対し、宗方コーチは、ダブルスのメンバーは「お蝶と岡!」と宣言する。「息のあわないペアでダブルスはできません!」と断るお蝶夫人。しかしコーチは、「お蝶になら、岡が理解できる。岡なら、お蝶にこたえられる」。名ゼリフである。
もちろん2人の息はあわず、ひろみはミスを繰り返す。ダブルスは弱い方の1人が徹底して責められる。私のせいで負けるかもしれない……。そう思うのはひろみばかりではない。「ダブルス、シングルスを問わず、いまだかつて負けたことのないお方が、あの子のせいで公式試合で負けるのよ!!」
そうなる前にひろみを潰そうとする先輩たちのしごきを受け、心折れそうになっているひろみの前に、加賀のお蘭が現れる。部員たちのあたりのきつさを彼女は見抜いている。「ぬく者とぬかれる者と、まさつがあるのはとうぜんよ」。でも、それは、テニスができるものの苦しみではないか、とお蘭に言われ、気を取り直すひろみ。
立ち直ったひろみの姿に驚き、なお続く周囲の喧騒をいさめるお蝶夫人。〈ダブルスを組んだ以上、パートナーはたいせつにしなければならない。それを計算してこんなペアを組ませるとは……コーチもなさることにソツがない〉。一方で、彼女は思う。「それがあなたのえらんだ道よ、ひろみ。テニスをつづけるかぎり、あたくしを追って追って、追いつけず追いつけず苦しむのよ。それが、あたくしよりもテニスをえらんだあなたの運命よ」
試合を前に、ひろみをリードし、ペアをくずさないように、と宗方コーチに指導されたお蝶夫人は、「…できるとお思いですか?」。「もちろんだ」と宗方コーチ。
「では、やりましょう」。これが、お蝶夫人。
実際に試合が始まると、徹底的に狙い撃ちされたひろみは、ガタガタに調子を崩し、周囲からこんな声が飛んでくる。
「敵よりもたよりない味方のほうがおそろしいっていうけど、ほんとね!」
これに対し、お蝶夫人は一閃、鋭い言葉を返す。
「だれです! あたくしのパートナーを動揺させるようなことをいうのは!!」【図6】
【図6】山本鈴美香『エースをねらえ!』2巻(集英社)170頁
ひろみに向きなおり、「負けることをこわがるのはおよしなさい! たとえ負けても、あたくしはあなたに責任をおしつけたりはしない。それより力をだしきらないプレイをすることこそをおそれなさい!!」「コートにいるのはあなたひとりではないのよ。あたくしが、味方がもうひとりいるのよ!」
お蝶夫人の面目躍如である。ひろみに対してどのような焦りや口惜しさを感じていようと、彼女はプライドにかけても筋を通す。
「けっきょく冷たくはしきれない。やっぱりこんなにあなたがかわいい。こんなにもあなたの苦しむ顔を見るのがつらい。そのあたくしをふりきって、この気持ちをよくもふみにじって――と、にくもうとしたけれどけっきょくは…そのすなおさ、そのひたむきさ、やはりひかれる」
このお蝶夫人のひろみへの愛――。それに続くのが、忘れ難いセリフである。
「おってきなさい、ひろみ。あたくしは永遠にあなたのまえをはしる。おってきなさい。力つきてたおれるまで。あたくしは、あなたよりさきにたおれたりはしない。どんなに苦しくとも!」「けれど、あたくしこそは…あたくしこそは…孤独だわ!!」【図7】
【図7】山本鈴美香『エースをねらえ!』2巻(集英社)174頁
こんなにも深い、女どうしの愛と葛藤が描かれたことがあっただろうか、と思う。少年マンガに描かれる「男どうしの強い愛と絆」が注目されることは多いが、初期の少女マンガの中にも、それに匹敵する「女どうしの深い結びつき」が描かれていたのだ。
何も意識せず、ただひたすら前に進み続けるひろみと、すべてを見通し、嫉妬や口惜しさと葛藤しながら、そこを超えて、さらに諦念を超えて、先を行く者としてひろみを導き、ひろみに寄り添い続けるお蝶夫人。
お蝶夫人はいつか自分がひろみに抜かれる日が来ることを自覚している。それでいながら最後まで、ひろみの前を走り続けるという覚悟。かつて、ひろみの明るさがお蝶夫人をなごませてくれた。練習中にケガをしたお蝶夫人の家に「早く良くなってください」と書いたカードを添えて花を届けたひろみの行動に思わず、「なんてかわいいことを!」と口にしたお蝶夫人。「おなじ頂点をめざすライバルとしてでなく、愛らしい妹としてずっとそばにいてほしかった」。しかし、それがかなわなくなった今、お蝶夫人は、西高生としてのひろみとの最後の試合で、自分の技術のすべてをひろみに見せることを決意する。自分を糧にし、自分を超えていってほしい、という思い。
その試合の前日、彼女は庭球協会理事である父親と言葉を交わす。父は言う「勝ち方が問題だね」。お蝶夫人は答える。「あたくしもそう思います」
「1球1球、すべてのショットがあの子へのおきみやげです。どの球をどうさばき、どんなペースでどう走り、どんな種類のショットがあるか、力のかぎり見せるつもりです」
お蝶夫人は思う。〈ひろみ……あなたはいつか気づくことがあるかしら。その手でどれほどのものをあたくしからとりあげてしまったか。あの人―すずしい目をしてさわやかにわらうあの人も、火のようにはげしく力強いあの人も。そして心からかわいがったあなた自身も。けれど、もういい。いま、わかれをひかえてうかぶのは、たのしかった日々だけだから――〉
西高最後の試合。お蝶夫人はひろみに言う。「きなさい。死にものぐるいで。さいごよ。どれほど力がついたか、あたくしにはっきり見せなさい」
〈お蝶夫人――あなたをたおそうとたたかうことは、あなたにそむくことではないのですね〉。
ひろみははっきりと、試合を通じて、お蝶夫人の意思を受け取る。「ただ勝つためのプレイに、あんな技が必要だろうか。ロブも、ボレーも、スマッシュも、あんなみごとな、あんな多彩な……」「わたしのために! …わたしに見せるために、教えるために」
お蝶夫人もまた、ひろみが確実に自分の思いを受け取ってくれたことを知る。
〈ふとであい、あい魅かれ、やがてわかれ、なお魅かれる、この運命〉【図8】
【図8】山本鈴美香『エースをねらえ!』5巻(集英社)124頁
しかし、お蝶夫人にとって最大の試練は、ひろみが自分を下す瞬間ではなく、別のかたちでやってくる。やがてひろみが確実に力をつけていったとき、世界ランキングに入るようなプロテニスプレイヤーであるジャッキー・ビントが、ひろみを、世界相手に闘うダブルスのパートナーとして選んだのだ。
お蝶夫人の苦しみは、自分を差し置いてジャッキーがひろみを選んだことではない。お蝶夫人こそが、彼女こそが、ひろみを将来のダブルスのパートナーとして、生涯、自分と共に闘っていくパートナーとして渇望していたのだ。ひろみがすでに、自分を倒そうと追ってくるライバルとなったいま、お蝶夫人がひろみと再びパートナーシップを結び直すためには、あるいはお蝶夫人がひろみと共に世界を相手に闘うようになるためには、その道しかなかったというのに。
彼女は父の背中にすがって叫ぶ。「ああ、おとうさま、あたくしはテニスを愛しています! けれど、それとこれとは…‼」
このことは、学生チャンピオンであるお蝶夫人こと竜崎麗華が、日本庭球協会に対し、世界戦に挑戦するメンバーの資格と特典を返上する、と言い出すまでに彼女を追い詰める。それに対し庭球協会理事である彼女の父は言う。「あの岡という選手をうんだのはいったいだれだね? 宗方くんが彼女の育ての親なら、産みの親は、麗華、おまえだよ」
ここからお蝶夫人は、「ひろみの母」に立ち位置を変える。加賀のお蘭とともに、高校最後の試合の時と同じく、自分の技のすべてを見せて、世界に向かうひろみの練習相手を務める。自分もまたひろみとダブルスを組みたかったことをおくびにも出さず、ジャッキー・ビントとひろみの間をとりもち、このペアにとって最善の環境をお膳立てしていく。「あたくしにとって、これがあなたとのダブルスよ、ひろみ!」 【図9】
【図9】山本鈴美香『エースをねらえ!』8巻(集英社)283頁
これほどに深いお蝶夫人のひろみへの愛。この愛は、ひろみにも確実に伝わっている。
そして、お蝶夫人とひろみのライバル関係こそは、『エースをねらえ!』最大のテーマである「世代の継承と超克」とまっすぐにつながっているのだ。
◆「世代」こそがライバル!――旧世代を超えてゆけ!
『エースをねらえ!』を貫く最大のテーマは、「世代の継承と超克」である。
それは物語が、かつては世界的なレベルにあった日本のテニスが現在(70年代)ではまったく世界で闘えるレベルにない。その現状からいかにして「世界で闘える選手」を日本の中で育てられるか、という一方向に向けて進んでいくことからもわかる。
そのために選ばれたのが主人公・岡ひろみであり、いかに優れて見えようと、先行する世代は、彼女によって凌駕され、彼女の糧となり、礎石となる運命にある。
その象徴であり、この意志を体現するのが、彼自身がこれ以上ないほどの才能をもったテニスプレイヤーでありながら、試合中の事故で引退を余儀なくされ、それからの全生涯を自身に代わるプレイヤーを育てること1点に集中したコーチ、宗方仁である。
彼にとってはひろみこそが、自らの全エネルギーを注ぎ込んで育てる器である。彼は、お蝶夫人でも、異母妹である加賀のお蘭でもなく、彼のすべてを継承させる器としてひろみを選んだ。しかも自らが去った後は、かつての最高のライバルでもあり、親友でもあった桂に、すべてを継承するよう懇請してあった。つまり『エースをねらえ!』は、最初から、継承と凌駕――旧世代の遺産を新世代が受け継ぎ、旧世代が果たせなかった夢を新世代が果たす――の物語であり、このテーマは物語の最初から最後まで、さまざまな形で鳴り響いている。
庭球協会理事である、お蝶夫人の父親は娘に言う。「先駆者はつねにすて石だよ」
世界との実力差について男子トップの藤堂は思う。「その差はかならずうめてみせる。ひとりでうまるものならば、おれがやる。ふたり必要ならおれたちが。百人千人必要ならば、その中の無名のひとりとなって、歴史の流れにうもれよう。うもれたおれの背をふんで、後輩たちが世界へかけのぼればそれでいい」
男子2トップの藤堂と尾崎は、後進を育てることを優先してこう言う。「夢をすてるんじゃない。おれたちの夢を、おれたちの手だけでかなえようというこだわりをすてるんだ」【図10】
【図10】山本鈴美香『エースをねらえ!』9巻(集英社)112頁
「1日はやくこの世界を知ったものは、あとからくるもののために、なにかをする義務がある」「広大なすそ野があって高い山はなりたつ。無数のジュニアたちをおしあげ、彼女につづかせる力がいま、ぜったいに必要だ。夢はかないさえすればいい。勝つのはおれたちでなくてもいい」
そして最後には2人とも、自分たちのプレイヤー人生よりも、更新を育てる「コーチ」という道を選ぶ。そのことを宗方コーチに報告した千葉(藤堂と尾崎の親友でジャーナリスト志望)は、宗方の深い笑みを目にして思う。「この人も人の下に身をしずめた人だった。藤堂も尾崎も、いく道をこの生き方からまなんだのか…」
お蝶夫人が卒業して西高を去ったあとのひろみもまた、瞳を輝かせて彼女をみつめる1年生、英を前に思う。「あの子は1年前のわたし」「あなたも1年たったら、わたしからはなれていくのかもしれないよ。わたしはお蝶夫人からはなれたむくいを1年後にあなたからうけるのかもしれないよ」
そんなひろみの耳にお蝶夫人の声が蘇る。「クラブのこと、おねがいするわ。……あたくしは、ここで得たすべてをあなたにつたえたわ。それをより高めて後輩につたえなさい」
つまり、ひろみは個別の主人公ではあるが、ただひたむきに努力して、前の世代の頂点を超えていく新世代の力の象徴であり、お蝶夫人は、やがて超えられていく、先行する世代の頂点の象徴なのだ。だからこそ、このライバル関係には特別な意味がある。
加賀のお蘭とお蝶夫人は、男女の枠を超えた藤堂との試合でのひろみのプレイを見て思う。「いままでの彼女ならねじふせられる」「きのうのひろみもねじふせられる」「けれど、きょうの彼女は……」 【図11】
【図11】山本鈴美香『エースをねらえ!』8巻(集英社)20頁
宗方コーチはひろみに言う。「意識していようといまいと、おまえはその手で無数の選手を打ちたおし、全員をふみ台にして、ここまでのぼってきた。その選手たちひとりひとりの、ふまれるいたみを思ったことがあるか。勝者はつねに敗者につぐなわねばならない。10人に勝ったら、じぶんとあわせて11人ぶん、努力するのが義務だ。100人に勝ったら101人ぶん。無数に勝ったら無数に――。それをおこたったとき、栄光の座からふりおとされる」【図12】
【図12】山本鈴美香『エースをねらえ!』6巻(集英社)188頁
◆「女であること」を超える
お蝶夫人が象徴するものは、じつはもう一つある。
『エースをねらえ!』が主人公・岡ひろみを通して描こうとしているのは、「従来の女子テニスからの脱却」だ。「女であること」を超えることだ。
作中で指摘されるのは、70年代当時の女子テニス界の急激な変貌である。「かつてのビューティフル・テニス(美しいテニス)から、男性的なパワー・テニス(力強いテニス)へ!」コート夫人とキング夫人がその象徴だ。【図13】
【図13】山本鈴美香『エースをねらえ!』4巻(集英社)32頁
そして一方の、「ビューティフル・テニス」の象徴が、お蝶夫人の「舞うように美しいポーズ」、激しい試合の最中なのに「バレエのように美しいポーズ」なのである。ひろみは、まさにこれを超えなくてはならない。
そのために必要なのは、女子でありながら男子なみの体をつくること、その上で、男子なみの技を身につけること。そこに至るには、毎日吐くほどの厳しい特訓。しかし、世界で活躍するパワー・テニスのプロプレイヤーは、すべてそれをなしとげている。
後輩の男子キャプテン・香月との試合でひろみは思う。〈わかるものか、あなたに。わかるものか、男子に。生まれながらに女子より背も高く、腕も強く、足もはやく、そのハンディをおぎなうためにつんだ、あのトレーニングのつらさが、あなたたちにわかるものか!〉〈はいてはいて、まくらをくいちぎるほど苦しくて。わかるものか、わかるものか!!〉
これが、女子テニスのみならず、70年代の女性が置かれていた基本的な状況と重なることは、もはや言うまでもないだろう。ひろみは、「女性」であることを乗り越えて、なお先に進もうとするすべての女性の象徴である。しかし、彼女を支え、彼女の礎となったのもまた、「女性」であるお蝶夫人である。
そして宗方コーチと藤堂がいる。
宗方コーチはひろみに、「女であること」を超えさせようとする。その裏には、女であるがゆえに悲しみのうちに死んでいった母の姿(異母妹・お蘭が誕生したため、宗方コーチの母は、息子の仁とともに身を引いた)がある。
だからこそ宗方コーチはひろみに、「恋をしてもおぼれるな」と言い、藤堂との交際も時が来るまで控えるようにと申し渡す。
「だれも女は、女ゆえの悩み弱みをもって、女ゆえに苦しみ、そこで血を流しきる。だがおまえは、まだその先へすすまねばならないのだ。女ゆえの悩み弱みをこえなければならないのだ」
ここで出てくるのが、宗方が藤堂に言う有名なセリフ――「男なら、女の成長をさまたげるような愛し方はするな!」である。
実際、宗方コーチの親友と言っていい太田も述懐する。「恋にゆれ、愛にやぶれ……女であることをこえるまえに、女であることに負けて、つぎつぎに転落し……それをくいとめるのは不可能にちかい」【図14】
【図14】山本鈴美香『エースをねらえ!』4巻(集英社)34頁
事実、海外育ちではっきりとものをいい、ひろみに早々にライバル宣言をする宝力冴子は、恋愛を制御しきれず、惨敗する。このときに、藤堂の頭をよぎるのが、かつて聞いた宗方コーチの言葉だ――「女の成長をさまたげるような愛し方……」
男子チャンピオンの藤堂は、プレイヤーとしての道を断って後進の育成の道へと進むが、それがひろみの闘いを支えるためでもあることが、のちにお蝶夫人の口からあかされる。ひろみはこれから、世界を転戦することになるだろう。そのとき、自分もプレイヤーであれば、すれ違いが続く。そのための決断なのだと。
「選手としての喜びや手応えよりも、あなたによりそい、あなたを支えぬくことのほうを選ばれたのですよ、藤堂さんは。なんという勇気でしょう!」
この言葉はそのまま、お蝶夫人の選択にも重なる。
女子チャンピオンと男子チャンピオン、2人ともが、自分が勝つことではなく、ひろみを支えることを選んだ。
『エースをねらえ!』は、旧い価値観を含みながらも、それを乗り越えていく力を我々に与えてくれる。そして、お蝶夫人とひろみの愛こそは、少女マンガの「ライバルとシスターフッド」の輝ける原点なのである。
※本文中の台詞の引用は、読みやすさを考慮して句読点を適宜補っています。