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第2回

『プライド』~「金持ちvs.貧乏」の構図の逆転(上)

[ 更新 ] 2023.10.25
 先回、1950年代から少なくとも70年代の初めまでの少女マンガは、貧乏な家の子が主人公のことが多く、ライバルはたいていお金持ちのお嬢さまに設定されていたという話をした。そこに変化をもたらした山岸凉子『アラベスク』では、家こそ貧乏ではないものの、主人公が強い劣等感を抱えており、ここから少女マンガの主人公の属性は、経済的貧乏から精神的貧乏へとシフトした、とも指摘した。
 この傾向は、少なくとも90年代くらいまでは多かれ少なかれ続いており、「少女マンガの主人公は、なんであれ多少のコンプレックスを抱えていることが重要で、読者はそこに共感する」という鉄則が共有されていたように思う。少なくとも「美人で才能があってお金持ち」という女性は、少女マンガでは、脇役としてライバルにしかなれず、最後に勝利するのは、コンプレックスを抱えていて不完全な主人公の方、というのが定番だった。
 21世紀になって、この大原則を勢いよく蹴り飛ばしてみせたのが、一条ゆかり『プライド』(2002~10)である。

 ◆「漫画に出てくる美人でお金持ちのお嬢様」

 『プライド』の主人公は、オペラの世界的プリマドンナ木原さわこを母にもち、母は彼女が2歳の時に事故で亡くなったものの、オペラを愛し美食を愛する輸入商の父に、蝶よ花よと可愛がられて育った、たぐいまれな美貌をもつ麻見史緒。彼女自身も一流の音大に通い、母と同じオペラ歌手を目指している。
 家は一等地の豪邸。お手伝いさんが常駐し、月に一度は特別な掃除のサービスが入る。そのお掃除にやってきたバイトの女の子が思うのが――「漫画に出てくる美人でお金持ちのお嬢様ってあんなカンジよね」。
 この、豪邸のお掃除のバイトにやってきた女の子こそが、『プライド』全編を通じて主人公・史緒のライバルとなる緑川萌。
 お察しの通り貧乏で、困った母親を抱える母子家庭の出身で、史緒の通う音大よりもはっきりと格の低い音大の声楽科に通っている。お掃除のバイトは自分で学費を払うためである。
 部屋にグランドピアノがある史緒の生活は萌にとっては別世界。部屋に憧れのオペラ『ラ・トラビアータ(椿姫)』のチケットがあるのを見て、萌は思わず声を上げる。「うわあ、いいなあ。行くんですね! これ5万もするからとても手が出なくって」。
 そこに史緒の父から電話がかかる。どうも、娘と約束していたオペラに行けなくなったらしい。史緒は萌に、行かないかと声をかける。「えー!! 5万のチケット代なんてとても。今月ピンチなんです」と萌。それに対する史緒の答は、「いやだ、お金取ろうなんて思ってないわ」。それでも、「そんな高いもの」と固辞する萌に史緒は、「高くても安くてもこのチケットはもういらないのよ。あなたが行きたそうだったから言っただけで、ゴミ箱に捨てるのもあげるのも同じなの」。
 物語を読んでいけば、史緒がこれまでずっとその恵まれた環境と才能と美貌を人から羨ましがられ、ズルいと言われ、嫉妬と妬みの対象とされてきたゆえのこのセリフだとわかるが、それにしても「もっと言い方があるだろう」と思えるセリフである。
 ここまで読んだだけでも、『プライド』が、それまでの少女マンガの主人公とそのライバル像を完全に逆転させた作品であることが分かる。どう考えても、これまでの少女マンガなら、読者が共感するのは萌の方だ。
 さて結局、萌は史緒と一緒にオペラに行くことになる。そこで史緒を迎えるのは、一流のオペラ歌手、クイーンレコードの副社長、銀座の音楽付き高級クラブ「プリマドンナ」を経営するママ……といった豪華絢爛たる人々。自分とのあまりの差に萌は、これまで史緒がさんざん聞いてきたのと同じセリフを口にする。
 「いいよね、麻見さんは……。お金持ちで部屋にグランドピアノがあって、授業料の高い三田音大に行けて……。木原さわこの娘だなんて…。美人でコネまであるなんてズルイよ!」【図1】


【図1】一条ゆかり『プライド』1巻(集英社)18頁


 これに対する史緒の返事は、「あなたにズルイと言われても困るの。私、あなたに何か卑怯なことしたかしら。余っていたチケットをあげただけだわ」
 「そうよね。ゴミ箱に捨てる予定のチケットを…」
 史緒はため息をつき、萌は言いがかりをつけているだけだと自分でも認める。
 「だって…あなたといると、なんだか自分がどんどんみじめに思えてきて…おんなじ人間なのに、なんでって」
 史緒は思う。「ああ、いやだ。これを聞くのは何回目かしら」。
 気分を害した史緒はオペラの途中で帰ることにし、残される萌に、クイーンレコード副社長の神野は言う。
 「成功の秘訣を教えてあげようか。どんなにみっともなくっても、与えられたチャンスに食いつく事。その道の一流の裏と表を知る事」
 一方、タクシーで帰る史緒の頭の中には、これまでの人生で幾度となく言われてきた、萌が言ったのと重なる言葉が渦巻く。
 「ズルイんだもん。史緒ちゃんだけどんどん上手になるんだもん」「なんか、あたし引き立て役みたいで傷つくのよね」……
 「人を見下してる。協調性がない。性格がきつい。金持ちだから。母親の血だから。神様にひいきされたから。正論を武器に相手を傷つける」
 「うんざり…」彼女の、きっぱりと人を遠ざけるような物言いは、これまで幾度となく繰り返されてきた、周囲のこうした攻撃から身を守るために身につけてきたものなのだ。大半の人は史緒を見れば、萌と同じようなことを言いたくなるだろうが、言われる方はたまったものではない。金持ちに生まれたのも、美人に生まれたのも、有名人の娘に生まれたのも、史緒のせいではないのに。
 羨ましがられる側の負担。『プライド』は初めてそれを正面から描いた作品なのだ。

 ◆「最後に残るのは実力だわ」
 さて、ここで史緒の身の上に大きな変化が起こる。父親が経営していた輸入代理店が倒産したのだ。父親はこれを機にニュージーランドで農業をやることになり、住んでいた家は人手に渡る。今までは当然視されていた史緒のイタリアへのオペラ留学も経済的に不可能となり、史緒は教授の勧めで、金賞を受賞すればイタリア留学ができるコンクール「パルコ・デ・オペラ」に応募することになる。そこで再び出会ったのが、緑川萌。
 予選の可憐な役柄とはうってかわって、決勝戦に緑川萌が選んだのはマクベス夫人。技術はまだまだだが演技力があり、声まで変わった迫力のあるマクベス夫人に、会場は息をのむ。つづくのは麻見史緒。ステージに出ようとする史緒に萌は声をかける。
 「ねえ、麻見さん。木原さわこが何の事故で死んだのか知ってるんですか?」
 「自分の娘をかばって車にひかれて死んだんです。知らなかったんですか? かわいそうな木原さわこ。あなたをかばって死んだのに」【図2】



【図2】一条ゆかり『プライド』1巻(集英社)55頁


 コンクールの決勝用に、ソプラノでも一番難しい曲を選んだ史緒は動揺し、ふだんでは考えられないガタガタの出来となる。もちろん優勝は緑川萌。
 「あんな事で歌えなくなるなんて、麻見さん案外、気が小さいんですね」
 思わず萌を平手打ちする史緒。
 「恥知らず!! そんな事までして優勝したかったの⁉」
 「痛いのなんか今だけだし。気が済みました?」「それとも土下座しましょうか?」
 「あなた、プライドは無いの?」
 「そんな役に立たないもの、捨てました」【図3】



【図3】一条ゆかり『プライド』1巻(集英社)62頁


 ゾクゾクする。ライバルものの面目躍如である。このやりとりが、タイトルと、そして一条ゆかりの代表作『デザイナー』でも描かれていたテーマ「プライド」を象徴する。
 しかしここでは、それを聞いていた有名オペラ歌手・松島春子は言う。「結果は変わらないわ。史緒ちゃんは負けたのよ。私ね、主人が危篤だって時に歌ってたわ。笑いながら。舞台に立つってそういうものなの」。
 クイーンレコードの副社長・神野も、「お嬢様の正義は通用しないな。策略も実力の内」。
 それに対し、史緒は、「それでも――最後に残るのは実力だわ」。【図4】



【図4】一条ゆかり『プライド』1巻(集英社)63頁


 この作品、最大の見せ場と言えるセリフである。はたして史緒は実力のみで勝ち上がることができるのか。
 帰り道、史緒の指導教官はこう言う。「私ね、昔は松島春子のライバルだったのよ」。
 イタリアに留学して3年目に大きなチャンスが巡ってきた。芸術監督の前で歌ってどちらかが選ばれる。顔が白くなるくらい緊張していたら、彼女がホットショコラをくれた。「その後…胸焼けがして気持ちが悪くて、彼女は主役に、私は日本に…」「あの時! ホットショコラを飲まなかったら! ライバルなんか敵だと思ってたら!!」
 教官は続ける。「正論が通用しないことなんか世の中いっぱいあるのよ。人はね、プライドだけでは生きていけないわ」
 実際にそうなのかどうかは知らないが、オペラの世界ではこのようなことが日常茶飯事であることが、この作品ではおりにふれてほのめかされている。
 私たちは思い出す。山岸凉子『アラベスク』で、ライバルの天才少女ラーラが、抜きんでた実力を持ちながら、自分の勝利をより確実なものとするために、ノンナをわざと動揺させるようなことを大切な舞台の直前に伝えたことを。並外れた実力があっても、そうすることが当然とされる世界。萌がしたことは、実力が劣っているぶん汚いやり方に見えるが、やっていることはラーラと同じだ。
 一方、一条ゆかりの70年代の代表作『デザイナー』では、主人公・亜美のところから、勝負を決めるファッション・ショーのデザインブックを独断で盗んできた部下に対し、じつは亜美の母親であり、今は若い亜美に追われる身のライバルである一流デザイナー鳳麗香は、逆上してこう言う。「私をばかにするのはよしてちょうだい!! 誇りを失ってまで続けるつもりはないわ。私にハイエナのまねをさせるつもりなの!!」
 彼女は亜美に、「うちの者が恥しらずなまねをしてもってきたものですわ」とデザインブックを返し、亜美はそれを受け取る。鳳麗香の罠ではないかと疑うスタッフに亜美は言う。「あの人は一流のデザイナーだわ」。
 一流は実力のみで勝負する。姑息な真似はしない、というプライド。
 「正論だけで生きている」ような、まさにプライドの塊のような麻見史緒は、その生き方を曲げずに成功を勝ち取ることができるのか? ほんとうに「それでも――最後に残るのは実力」なのか? そもそもまだ若い史緒に、そう言い切れるだけの実力があるのか? ここまでで、まだ1巻目の前半。物語はまだほんの序盤である。

 ◆お嬢さまの史緒 vs.苦労人の萌
 豪邸を人手に渡し、初めてアパートで一人暮らしを始めた史緒は、ひったくりにあい、これから一人でやっていく生活費として父から渡された全財産を引き出されてしまう。その場に居合わせたのが、史緒と同じ音大のピアノ科に通い、作曲もする、銀座の「プリマドンナ」のママの息子である蘭丸。
 あまりにも高いそのプライドゆえに不器用で危なっかしい史緒をほっておけないと思った彼は、史緒のこれからの生活費をつくるため、人に引き渡される寸前の史緒の家から、史緒の豪華絢爛たるウォークインクローゼット(めっちゃ羨ましい!)にあったブランド物の靴やバッグ、服などを救い出し、お金に換える手伝いをする。お嬢さん育ちの史緒には、これらのものをお金に換えるという発想そのものがなかったのだ。
 当面の生活費はなんとかなったものの、これからのあてのない史緒に蘭丸は、史緒に目をつけた母親の頼みもあって、「プリマドンナ」で働かないかと誘う。最初は「ホステスなんて!」と激怒し、蘭丸の母を侮辱して彼と決裂した史緒だったが、クイーンレコード副社長・神野に連れられて「プリマドンナ」を訪れ、母の店で女装してピアノを弾く蘭丸の伴奏で彼の曲を歌ったことから、史緒は「プリマドンナ」の歌手として歌っていくことになる。オペラではないものの、歌える場が与えられることがこんなに嬉しいのか! と喜ぶ史緒。
 一方、緑川萌の方は、あの『ラ・トラビアータ』の夜に出会った神野に惹かれ、「与えられたチャンスに食いつく」ために、バイトで磨いた掃除能力を生かして、押しかけハウスキーパーとして神野の家に通いはじめる。萌がイタリア留学を勝ち取ったコンクールのスポンサーはクイーンレコードなのだ。君なら『ラ・ボエーム』の端役なら出してやれる、という神野。それに加えて、萌にはとても手が届かなかった一流のオペラ歌手のレッスンも受けられることになるが、ハウスキーパーとしての家への出入りは早々に断られる。
 神野は緑川萌の表現力こそかっているが、プライベートでは萌など歯牙にもかけていない。彼が欲しいのは「本物のお嬢様」である麻見史緒。神野は、日本を代表するレコード会社の跡取りである。現社長である父は愛人を次々と持ち、彼の母は、家の体面や格式を重んじ、夫の浮気に対し頑なで、いつも渋面を崩そうとしない。要するに面倒な家なのである。神野にとっては、そうした「家」のしがらみを超然とあしらうことができ、クイーンレコードのオペラ部門の嚆矢となった世界的なプリマドンナを母に持つ美貌の史緒こそ、次期クイーンレコード社長夫人にふさわしい、ぜひとも手に入れたい存在である。合理的な野心家の彼は(神野がじつは柔らかい部分ももっていることはのちに明らかになるが)、史緒に「取引としての結婚」を申し出る。きちんと社長夫人としての体面を保って、対外的にやるべきことをやってくれれば、過度に干渉せず、オペラ留学なりなんなり、史緒が一流のオペラ歌手になるために望む経済的な援助は惜しまない。いわば「パトロン」としての結婚である。「返事は急がない」という彼。史緒は神野に恋愛感情は抱いていないが、価値観が真逆ではあっても、「この男が嫌いじゃない」と感じる。
 つまり、緑川萌にとって麻見史緒は、オペラ歌手として以上に、恋愛をめぐる「ライバル」である。それも「自分が欲しくて欲しくてたまらないが手に入らないものを、いつもやすやすと奪っていく」殺してやりたいほど憎いライバルである。テレビで、来日した世界的なオペラ歌手バロッティの歓迎記者会見で、神野の横にいる史緒を見て、萌の悔しさは燃え上がる。「どうしてそこにいるのは私じゃなくて麻見史緒なの!?」
 萌の史緒に対する嫉妬心はその後も何度も繰り返される。「いつもそうだ。あの女が私をみじめにさせる。私が欲しくてたまらないものを、あの女は易々と手に入れるのよ!!」【図5】



【図5】 一条ゆかり『プライド』2巻(集英社)34頁


 母子家庭である萌の母親は、飲んだくれでいつも男にすがっていて金遣いが荒く、娘がコンクールで優勝してイタリア留学を勝ち取ったと知ると、スポンサーのクイーンレコードにやってきて、その娘をここまで育てたのは私なんだから、その費用を現金で自分によこせ、と脅迫にやってくるような母親である。神野が多少はエサを与えて萌を自分の近くから追い払ったのは、こうしたことから自分を守るための自衛でもある。しかし、娘である萌は、自分の人生を邪魔するようにつきまとうこの母親から逃れられない。それが萌の悲劇の原因でもある。その環境に抗って、手段を選ばず勝ち抜こうとする萌。
 このままでは神野に会えないと、萌は、『ラ・トラビアータ』の夜に見かけたママが経営する銀座のクラブ「プリマドンナ」に、ホステスとして、なんだったら厨房ででも、お掃除係としてでも、働かせてくれとやってくる。ここで働けば神野に会えるだろう、という算段である。銀座でも一流の店のホステスにそう簡単に雇ってもらえるわけがないが、ちょうど出てきた大企業の会長の上客が、酔って気分を悪くしたところを、萌は手で、その吐しゃ物を受け止める。顔色もかえずに笑って「レモン水をお持ちしますね。お召し物が汚れなくって良かったです」と言う萌に、ママは「この子…使えるわ」。
 かくして、史緒に続き萌までも「プリマドンナ」で働くことになる。もちろんそれを聞いた蘭丸が心配するように、2人は「ケンカになるの目に見えてんじゃん」。
 ママは萌に、コンクールの時のあなたのやり方には賛成できない、もう一度あんなことがあったら、あなたに店をやめてもらう、と申し渡すが、客の前では出さないまでも、史緒と萌の間はもちろん険悪で、一触即発の雰囲気である。ああ、このはらはら感!(ここまでで1巻)。

 ※さて、導入の前半はここまでとします。次回の完結編は、ラストまでは明らかにしないつもりですが、ネタバレも含みますので、『プライド』を未読の方は、先にお読みになって続きを待っていてくださいね(全12巻)。
 では、みなさん、続きはまた来月!


 ※本文中の台詞の引用は、読みやすさを考慮して句読点を適宜補っています。
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