第5回
広済寺の鬼来迎(2)
[ 更新 ] 2016.05.25
千葉の横芝に伝わる仏教地獄芝居「鬼来迎」。芝居の筋書きを見れば来迎するのは菩薩であって、鬼たちはただ地獄において罪人をいたぶる存在としてしか描かれていない。
ここで言う「来迎」とは、迎講、来迎会、練り供養などと言われる盆の儀式に由来する。いずれも阿弥陀や菩薩や仏が、極楽へと人々を導くべく迎えに来てくれる様を再現したもので、極楽へ導く様子は橋を渡るシチュエーションで演じられることが多い。「鬼来迎」の筋書きでも、終わり近くに菩薩が登場するが、古くは、二十五菩薩が罪人を助けに来るという台本構成で、舞台の地蔵堂から本堂へ仮橋をかけて演じていたという。
三隅治雄は、広済寺の「鬼来迎」は鬼たちに責められる地獄芝居と菩薩に導かれる迎講とが合わさったもので、次第に前半の地獄の描写が長く、菩薩来迎の場面が簡素化していったものと捉えている(三隅治雄「鬼来迎について」『重要無形民俗文化財 鬼来迎』所収)。
一方、鬼来迎について網羅的な研究を行ってきた生方徹夫は、迎講とは本来、山岳宗教から生まれ、現世から他界へ行き、また現世へ戻る擬死再生の儀式であったが、浄土教系の影響で現世から極楽へという来迎会や練り供養型のものが増えていったことをあげ、現在ではわずかに立山の「布橋大灌頂」や「白山行事」などに擬死再生型が残っているとしている。生方は「鬼来迎」について、来迎思想は底流には存在するだろうが、庶民の地獄信仰の要素が色濃いこと、また「鬼来迎」というネーミングには、鬼を敵視せず親しみを感じてきた人々による、山岳宗教や修験道的な発想が現れているとし、千葉や福島において熊野神社が多く、熊野三山信仰が盛んであったことを指摘している(『鬼来迎──日本唯一の地獄芝居』)。
そのことを踏まえるならば、本来は地獄の「鬼」責めを演じるということで「鬼」が冠されている広済寺の儀式だが、同時に鬼婆の赤ちゃん抱きが行われることによって、一年に一度赤子たちの成長を約束する神的な「鬼」が来訪する場にもなっており、ここには古来、山岳信仰の中で人々が抱いてきた「鬼」観が反映されているようで興味深い。そして恐ろしい鬼と、ありがたい鬼、その異なる性格の二人の「鬼」を一人で演じるのが「奪衣ばばあ」と紹介された鬼婆なのだ。
「鬼来迎」で使われる仮面は現在が三代目のもので、初代の三面は鎌倉時代の作と伝わる。三面とは赤鬼、黒鬼、奪衣婆であり、これら古い仮面はつけたら離れなくなる「肉付けの仮面」という恐ろしい伝説も持っているという。しかし、この三面の中の姥の仮面を奪衣婆と呼ぶのはやはり違う気がする。そもそも初代の三面には地獄に欠かせない閻魔の仮面が含まれていない訳である。途中で紛失した可能性がないとも言えないが、鬼の二面とともに残された姥の仮面はやはり鬼の仮面と言った方が適切で、地獄信仰が入り込む前に作られたものだった可能性が十分にあるだろう。だいたい奪衣婆やおんばさまなど各地の姥像を見ても、角や牙の生えたものなどほとんどない。「奪衣ばばあ」と紹介されつつも、下あごから上向きの牙が生えた「鬼来迎」の奪衣婆は限りなく鬼に近い、古い存在と言えると思う。
現在、仮面を使った地獄芝居は、「鬼来迎」を除いてほかに見ることはできない。しかし、かつては複数の寺でこのような芝居が行われており、往時の仮面を保管している寺は、千葉県に点在する。冬父(とぶ)の迎接寺(こうしょうじ)や小堀の浄福寺、鏑木(かぶらき)の光明寺などである。また栃木の益子にも圓通寺という寺があるが、この寺の仮面は一度質に出されたという経緯がある。それは、巡回公演に出かけた演者の村人たちが長雨で思うように芝居ができず宿代が払えなくなったことによるのだという。つまり、広済寺のように寺で年に一度村人が演じるという形態以外に、近郊へ巡業を行い、稼ぎにしていた村もあったということだ。この地獄芝居の流行について、加藤雀庵が『さへづり草』の中で「上下の毛の国に発起し、上下の総の国に至りていよいよ流行、田老村婆はこれが為に米銭を空しくちらし、野夫山妻は農事におこたり」と人々が地獄芝居に熱を上げている様子を書き残している。ついには禁止され、それでも上演する者たちが捕まったという文書なども残っており、このあたりを生方徹夫は詳細にとりあげている。
かつては千葉、栃木、群馬などで流行した地獄芝居を、今なお「鬼来迎」として一年に一度見ることのできる貴重さは言うまでもないが、奪衣婆と呼ばれながらも、十分に古風な鬼の姿と、神としての来訪のありかたを見せてくれる鬼婆の存在がそれに重ねて重要なように思えた。
まるまる一時間に及ぶ芝居が終わり、サンダル姿の子供たち、タオルを首にかけた大人たちががやがやと朱塗りの山門をくぐって帰っていく。
私はまだ、「奪衣ばばあ」の姿を思い返していた。
長らく山岳宗教の文化は仏教、神道いずれかの説明をつけられて無理な解釈をされてきたとも言われる。この仏教地獄芝居の、鬼のようにしか見えない「奪衣婆」の姿を脳裏に描きながら、始まる前にふと聞いた「でも、いい鬼かもよ」という男の子のつぶやきを思い出していた。
絵・文字 松井一平