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第9回

志茂旧道と酒屋と銭湯

[ 更新 ] 2026.10.01



 地下鉄南北線に志し茂もという駅があるけれど、この町に志茂銀座という商店街がある。北区の王子や赤羽の先だから、銀座名義の商店街としてはおそらく東京23区内最北だろう(足立区の梅島に銀座会を名乗る商店街があるようだが、地図にモノサシをあてて確認すると、こちら志茂の方がちょっと北だ)。
 地下鉄の口を北本通りに出て、200メートルほど南下したところの二光商事という素朴な不動産屋の前から、北東方に入っていく旧道じみた通りを進むと、やがて街灯に「志茂銀座」の看板が現れる。現れ始めのところに、いい感じのタバコ屋がある。2階建て日本家屋の軒先にタバコの売場があって、すぐ前の路端に赤い郵便ポストが置かれている。軒の幌看板に屋号はない(消えてしまったのだろう)が、仄暗い店の奥に老女の姿が見えたので尋ねてみたら、大正の終わり頃に先代が始めた店らしい。壁に〈教科書取次供給所〉の札が貼られていたが、もとは小中学生の教科書や文具などを売る店だったようだ。
 「志茂銀座」とは付いているものの、もはや商店は少ない。僕は自著(『東京いい道、しぶい道』)の取材で10年ちょっと前にこの通りを初めてじっくり散策したのだが、あの頃よりかなり店の数は減ったようで寂しい。そのうち、西蓮寺という大きな寺の入り口に差しかかったが、明治・大正期の地図を眺めると、この西蓮寺の周辺に当初の町は広がっていたようだ。そして、左手の北本通り側へ行く道には「七なな溜ため商店会」の看板が出ているが、北本通りが開通した大正末から昭和戦前にかけて運行していた王子電車(戦後は都電となる)には七溜という電停もあった。以前、この辺の古い食堂のオヤジに伺った話では、荒川が氾濫するたびに七つ八つの溜め池ができるような低湿地だったらしい。
 そんな荒川(隅田川)の氾濫を防ぐべく、設備された岩淵水門が右手の路地を進んでいくと見えてくる。ゲート板の色が水色の通称青水門は1982年の竣工だが、その上流側の小島との間に架かる橋に設置された赤水門の方は荒川放水路完成時の1924年(大正13年)に誕生した(1960年に一部改築)もので、おそらく“七溜”の洪水害はこれによってかなり解消されたのだろう。
 島の一角に立つユニークなモニュメント、草刈りの碑(かつて農民たちによる草刈りの選手権が行われた)を眺めて、志茂銀座から続く道(グーグルマップなどには志茂旧道と表示されている)にもどってきた。
 白壁の木造洋館の佇まいが美しい黒田機器のオフィス棟(昭和10年代に麻布の屋敷邸宅を買い取った)を横目に西進していくと、道がやがてT字路に突きあたる。左方の北本通り側へ進んでいくと、今回のハイライトである銭湯「岩の湯」と隣接する酒屋のある辻にやってくる。
 この銭湯も宮造りの昔ながらの建物(創業は昭和戦前らしい)で趣きがあるけれど、僕がとくに気に入っているのは、道の角の「キリンビール 赤羽越後屋」のブリキ看板を掲げた酒屋の背後に銭湯の煙突が入りこんだショット。先の著書取材のときだったか、2016年1月に撮った写真が手元に保存されているが、この時点ですでに廃業したような状態で、もうもしや残っていないのではないかな……と危惧していたのだが、まだ建物は健在でホッとした。「キリンビール」の書体や赤ペンキの色合いもいいし、銭湯の行き帰りのオッサンたちがここに溜まって角打ちを楽しんでいるような様子が想像されてくる。
 この絵の側から見て左に行った2軒目あたりに見える入母屋の軒が、「岩の湯」の玄関口なのだが、その向こうにもH形のブリキの小煙突を3本も立てた鉄工所のようなのがあり、さらにその並びに渋いソバ屋が立っているけれど、惜しくも店は閉めてしまったようだ。
「やめちゃったよ」
 なんて感じで、あたりを歩きまわっているおばあちゃんが教えてくれた。鉄工所のような平屋の町工場についても、「何を作ってる工場?」と尋ねてみたが、「わっかんねーよ」と返答された。そして、彼女はその平屋工場の裏2階へ続くような、薄暗い階段を上っていった。
 再開発待ち、をしているようにも見える素晴らしき昭和路地の一画。もう、すぐ先は赤羽岩淵の駅だ。
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