第4回
へなちょこケーキとメリーゴーランド
[ 更新 ] 2024.01.25
正月に遊びに来ていた義娘が、にこにこしながら言った。
彼女の子、つまり私の孫がだれに似ているかという話になり、棚からアルバムを引っ張り出して、ふたりで眺めていたときのことだ。
「どれどれ、なんのこと?」
「このケーキ」
彼女が笑いながら指さしている母子3人の写真を見て、私も爆笑した。
息子が6歳、娘は2歳。ちゃぶ台の上にはカントリー調の黄色のチェックのクロス。和の大皿に、手作りのいびつなホールの苺ケーキがのっている。斜めに傾いたスポンジに、まだらな生クリーム。トッピングの苺のレイアウトが不規則にずれていて、見るからにへなちょこだ。
夫が写真を撮った、息子の誕生日を祝う夕食の光景である。
取り皿は、今も使っている益子の陶器市で買った楕円の焼き物。その横に、昭和の昔、どの家庭にもあったちょっとレトロな深いガラスボウル。缶詰の桃やみかんが浮いた自家製フルーツポンチに、ファンタグレープを注いだ模様。当時、ジュースをあまり買わないようにしていたが、誕生日だけはノールールにしていた。
料理は唐揚げ、フライドポテト、枝豆など、いつも誕生日の主役のリクエストに応えていた。たしか、別の年の娘の誕生日のリクエストは「オクラをお腹いっぱい食べたい」だった。ネットに入ったオクラ10本をいつも家族で分けていたので、ひとりで堪能したかったんだろう。とにかく子どもの誕生日は献立に脈絡がない。
テーブルセッティングも和の焼き物もあれば花柄のケーキ皿もありと和洋混在で、はちゃめちゃだった。この日が特別と思いたいが、よく考えるとふだんの食事も、見た目の美しさやバランス、器のスタイリングなどほとんど気にしていなかった。
おまけに、写真の私と子どもたちはパジャマを着ている。全員、妙に頬がてかてか紅潮しているので風呂上がりらしい。スッピンにぶ厚い眼鏡をかけた私が、ごちそうの前でポーズを取っている。
義娘が言う。
「ママも、こういうケーキを一生懸命作ってた時代があったんだね」
「やだ恥ずかしい。そうそう、スポンジなんて作れないからスーパーで買ってきて、クリームだけ泡立てて、とりあえず苺だけのっけた即席ケーキね」
不器用でセンスがないながらも、とにかく子どもの好きなものを並べようと、料理に慣れぬ自分の精一杯が、黄色いクロスのちゃぶ台にあふれている。
忘れていたけれど、けっこう頑張ってかあちゃんをやってたんだなあと、笑ったついでに、ちょっと泣きそうになった。
義娘が息子と結婚前、遊びに来るときには料理のテーマをなんとなく決めて、器やランチョンマットの色を組み合わせたり、部屋の花などしつらいを少々整えていた。自分が楽しいし、今やそんなことができる時間もたっぷりあるからだ。
義娘は、それを難なくやっているように見える私の、過去の不器用新米母時代を見て、自分と同じだと安堵したという。
家族も人生も巡る巡るメリーゴーランドのようだ。子どもだけでなく親も、できなかったことがいつしかできるようになり、多少食卓にも統一感や季節感、あるいは自分らしい個性を盛り込めるようになる。
あなただってきっとそうなるよ、だから焦ったり自分を責めたりしなくて大丈夫と、1歳児を抱える義娘に言ってあげたいが、えらそうすぎるのでやめておいた。
ようやく一人前に母親らしいことができるようになったなあという頃には、子どもはひとり欠け、ふたり欠け、夫婦だけになってしまうのだけれど、またしばらくすると、ひとり増え、ふたり増え、新しい風が吹くこともある。義娘や孫のように。
彼女にもいつか、「お義母さんも一生懸命だったんですねえ」と写真を指さして、誰かと笑い合う日がきたら、メリーゴーランドは2周目に入る。
……と、彼女がまた興味深い発見をした。
「写真をこうやってプリントアウトするの、いいですね。みんなで見られるから」
たしかに、スマホやデジタルの画面だとこうはいかない。
風呂上がりのへなちょこケーキはいろんなことを教えてくれる。