
第18回
『ちはやふる』~継いでいくもの 下の句
[ 更新 ] 2025.03.17
◆孤高のクイーン:若宮詩暢
ちはやたちも高校3年。受験を控えてなお、3年目の挑戦。ここに至る過程では、クイーン位への挑戦権をかけて戦う相手として、子供を産んでしばらく休んでいたが、かつて4連覇の実績のある元クイーン猪熊遥6段(後述)など印象的な好敵手が描かれる。
しかし、そうした名だたるライバルの中でも別格なのが、現在、強さにおいて頭抜けている16歳の最年少クイーン・若宮詩暢だ。
彼女のかるたは、「真空を飛ぶ針のような、音のしないかるた」。複数の札をいっぺんに払うのではなく、狙いの札の一点を払う鋭さ。その圧倒的な強さは、最初に対戦したその時から、ちはやがいつの日か追いつき超えるべき具体的な目標になる。
京都が地元で、市議会議員の祖母を持つ詩暢は、京女特有のかなりの「いけず」である。たとえば、都大会常勝校なのに今年は瑞沢に負けた北央高校の須藤に向かって、「団体戦で出場逃したのに個人戦やなんて、よほどかるたがお好きなんやねぇ」。あるいは、祖父のことで悩んで一時期かるたから離れていた新に、「かるたをお休みしとったあんたにも、またコロッと負けるかもしれんけどなぁ」。(訳:かるたサボってたおまえなんかに二度と負けるかバ―――カ!!)
だが、かるた以外の若宮詩暢はかなりの「不思議ちゃん」だ。そもそも歴代のクイーンには不思議ちゃんが多いとされるが、詩暢はみかけからして変わっている【図1】。

【図1】末次由紀『ちはやふる』5巻(講談社)22頁
容姿はかわいいのに、いつもとんでもなくダサい服。関西限定キャラの「スノー丸」が大好きで、スノー丸の服やグッズでありさえすれば、全体のバランスなどどうでもいいのだ(スノー丸でない時の服もかなり奇妙奇天烈だが)。一方、ちはやの方も、服はいつもタレントをしている姉のおさがりで、Tシャツは「ダディベア」。
「スノー丸」と「ダディベア」。クイーンとちはやは、初対戦では圧倒的な強さの差があるが、好きなキャラクターをお互いに視認し認め合う(あ、あのキャラだ!とわかってもらえるのは、キャラクター好きには嬉しいものだ)。
さて、最初の対戦時、クイーンの強さに手も足も出ずに茫然とするちはやに、詩暢は思う。「ああ、またや。最初はみんな威勢ようぶつかってくる。でも、そのうち一人でかるたしてるみたいになる。まあ、べつにかまへん。早いとこ終わらせよ」
そんなクイーンの脳裏をよぎるのは、幼い頃言われた言葉、「あの子は一人になるほど強くなる子や」。
だが、千早は態勢を立て直す。<あれ。戻ってきた……? ふうん、いつまでもつんやろ>。復活した千早は、クイーンと<同時>の取りのあと、ついにクイーンの自陣、利き手側の一字決まりを抜く。最終的には圧倒的な大差で勝ちながらも、自陣を抜かれたのが口惜しくて、「ちはや、次は一枚も取らせない」と怒りを燃やすクイーンに、ちはやは、「あの…ス……スノー丸のTシャツ、かわいいですね」。
好きなキャラをほめられたのが嬉しくて顔を赤くするクイーン。この物語は、幼い頃かけられた呪いの言葉によって、荒涼とした頂上に「たった一人」で立っていた孤高のクイーン・若宮詩暢を、ちはやがその存在を追うことで、少しずつ「他者の存在」に気づかせていく物語でもある。
その時にもっとも雄弁なのは、対戦すること。相手と同じレベルで試合をすること。相手と同じ強さを持たなくては、相手を振り向かせることはできない。対戦以来毎日、詩暢の夢を見ながらちはやは思う。<夢に見る。あの速さ、あの鋭さに追いつきたい><離されるな。ついていけ。ライバルだ。ライバルなんだ>
初戦のとき若宮詩暢の「真空を飛ぶ針のような、音のしないかるた」に戦慄したちはやは、挑戦者ユーミンとクイーン戦で対峙する詩暢を見て気づく。「そうじゃない。刃物じゃない。札の縁、全部の縁に指がいくように、糸を、つないでる―――」(傍点原文)
そう。若宮詩暢は、すべての札と自分との間に糸をつないでいる。それは、詩暢が子供の頃から孤独で、かるただけを友達にしてきたからだ。母は詩暢が5歳のとき離婚して実家の母(詩暢の祖母)のもとに身を寄せた。祖母は詩暢に何か習い事をさせようとし、どれもうまくいかなかった中で、「かわいい絵がたくさん!!」の百人一首は詩暢を惹きつけ、自分がかるたを好きなように「かるたが私を好きなんや」と感じる。かるた会に入ると、詩暢の才能は大人たちに注目され、友達とかるたを取るときには楽しく取ろうとして詩暢がわざと負けてしまうことに気づいた指導者は、「詩暢ちゃんに同年代の仲間はおらんほうがええ。手かげんを覚えてしまう。あの子は一人になるほど強くなる子や」。
そこから、かるたの札だけが詩暢の友達となった。詩暢はいう。「札はみんなこんくらいの、小さな神様みたいに見えてます」。お姫さまたち、坊さんたち、貴族のおじさんたち。「ああ、そこにおるんやね。迎えに行くわ」「頼むで、みんな。うちのところに来て」。だから試合が終わると、詩暢は札の一枚一枚に挨拶するのだ。【図2・図3】

【図2】末次由紀『ちはやふる』31巻(講談社)76-77頁

【図3】末次由紀『ちはやふる』31巻(講談社)同80-81頁
大好きなスノー丸グッズでさえ月に2個までと制限されて詩暢は思う。「ほんま、クイーン戦に負けたら、なんも残らん……」。
他に何もできない不思議ちゃんで、かるたの才能だけがある。詩暢は『ガラスの仮面』でいったらマヤの立ち位置だ。『ガラスの仮面』はもともと、女・坂田三吉(「銀が泣いている」という言葉で有名な、特異な“将棋バカ”として知られる将棋棋士)を描こうとしたというが、「うちにはかるたしかないんやけどな」と泣く詩暢こそ、坂田三吉のイメージと重なる。
一方、ちはやは「黙っていれば」美人。ものおじしない社交性もあり、あとからきて追いかける側ではあるが、イメージとしては亜弓さんの方に近い。
とはいえ、ちはやにしても、試合が終わるとその場でグーッと寝てしまう、とか、その容姿に似合わぬ振る舞いで「無駄美人」の称号があるほどだ。得意なのは体育だけで、学校の成績は下から数えて1桁。それでいえばちはやも十分にマヤちゃんの資格があるといえるだろう。
だがマヤちゃんと違うのは、詩暢にせよ、ちはやにせよ、“才能”はあるが、決して「天才」ではないことだ。常勝校である富士崎高校かるた部顧問・桜沢先生のこんな言葉がある。「部活でかるたを選ぶような子たちは、たいてい自分を天才とは思っていない。自分には足りないところがあると、本能的に感じてる」
たしかに、和服と和の文化が突出して好きなかなちゃんも、そのために他の女子から浮いていた。机くんも、自分には机しか居場所がないと思っていた。たぶん肉まんくんも、自分が人より優れているのは、子供の頃からやってきたかるたくらいだ、と思っているだろう。
周防名人と新との名人戦にかぶさる言葉も、「ほかのことがろくにできない僕たちの命綱なんだ。競技かるたは」。
ただ一人、太一だけが、イケメンで成績はトップ。父親は医者で、運動神経もよく、何でもできる。しかしその何でもできる太一が唯一コンプレックスを持ったのが、新のかるただった。だからこそ太一は子供の頃、試合前に新の眼鏡を隠すという卑怯なことをし、その後悔とちはやへの思いが、太一をかるたへと向かわせる。なんでもできる太一にはおそらく、新やちはやほどにはかるたの才能はない。だからこそ太一はいう。「青春ぜんぶ懸けても、新より強くはなれない」。それに対して原田先生は、「懸けてから言いなさい」。
『ちはやふる』はそれぞれに欠けたところを持っている人々が、励ましあい、競い合い、昨日の自分を超えて明日へと繋いでいこうとする物語なのだ。
◆ライバルがいてこそ強くなれる
孤高のクイーン・若宮詩暢。小さい頃から「かるたが友達」(「ボールはともだち」の『キャプテン翼』のようだ)で、母親との距離を感じ、「かるたの札のほうが家族みたいや」と感じている彼女だが、じつは詩暢は、自分で思っているほどには孤独ではない。
詩暢自身が感じているように、彼女がかるたに夢中になるにつれ、祖母の本棚には詩暢でも読めるやさしいかるたの本が増えていく。
詩暢と距離があるように見える母親も、言葉にするのが下手なだけで、じつは詩暢を見守っている。そのことは、詩暢が禁止されている畳敷きの応接間でかるたの練習をしていた時、母親はそれを知りつつ何も言わずに襖のところに立ち、祖母がやってくるとあわてて、「あかん言うたのにまた応接間でかるたして。自分の部屋でやんなさい」と詩暢に声をかけることからもわかる。一方、母親が気を遣っている祖母自身も、詩暢が札までの最短距離を身体に叩き込む練習をしていると知ると、「こうか?」と、畳にマジックで大胆に線を引く。「ええんよ。もう畳も張り替えどきですから」
そして、その記念ともいえる畳は、母親の指示でこっそり詩暢の部屋の畳と取り換えられているのだ。
詩暢は母親の思いにはまだ気づいていないが、祖母が自分を応援していることは感じ取っている。実際、クイーン戦のたびに祖母は詩暢に、豪華な着物を誂えてくれる。それは大振袖など動きにくい着物であったりするけれど、詩暢はそれを応援だと受け取っていた。
しかしあるとき母親が言う。着物の誂え先である「日高屋さんが会長してはる京都反物協会は、お母さんの大事な票田やしな」。「あの人は政治家で、あんたはきれいな看板や」
さすがに動揺する詩暢。クイーン戦での大振袖のたもとは、とりわけ重く邪魔で、いらいらする。今まで負け知らずだったのに、このとき猪熊遥6段とのクイーン戦2戦目で、初黒星をつけてしまった詩暢。そんな詩暢にちはやは、手作りの襷を差し出す。かなちゃんに聞いたら「大振り袖でも着け方同じだって」。「着けていい?」
1勝1敗で決戦となる3戦目。調子を取り戻す詩暢・現クイーン。試合終了後、ちはやが着けてくれた不格好な襷を広げると、それは友人たちがちはやに贈ってくれた「ダディベア」のレアアイテムの布を5つに切ってつなぎあわせたものだった。おもわず笑みを浮かべる詩暢。
このできごとは詩暢を変える。おばあちゃんが誂えてくれた「日高屋さんの着物」ではなく、自分のお金で買ったスノー丸柄の着物を着てクイーン戦に出たいと考え始めるのだ。バイトをしようと試みるが、ほんとうにかるた以外はうまくできない詩暢にその道は遠い。
そうしたとき、他ならぬ祖母がこう言う。「世界で一人目のかるたのプロになりなさい」。「若く、美しく、世界一強いあんたがプロになれなんだら、だれもなれん。覚悟しなさい、詩暢」【図4】

【図4】末次由紀『ちはやふる』29巻(講談社)175-176頁
詩暢はここから、競技かるたの魅力を発信するYouTubeを始める。最初はぎこちなく、だが途中から、同じかるた会の男女ふたりが手伝ってくれるようになる。
「あの子は一人になるほど強くなる子や」と言われた詩暢は、かるた会には行かなくなっていたのだが、ちはやの存在がきっかけになって再びかるた会に通い始めたのだ。「変わっていかな。下から来るかるたバカが怖いですから」
最初はかるた会の同輩たちとも距離があった詩暢だが、しだいに、彼らに弱音を吐く場面もあれば、彼らからプロになるためのYouTube配信の助けを得るようにもなる。「クイーン、うちとかるた取って。強い人と試合がしたい。どんだけ強いんか知りたい」と、まっすぐな目をしてかるたに向かってくる小学生の女の子・こころに向かってこうアドバイスもする。「その好きはあんたをもっと遠くに連れていく。あんたはそれでいい。そのまま好きでいていい」。かるたが強くなるほど孤独になった自分の二の舞はさせない。自分の勝負だけでなく、他者を視野に入れること。進む道を更新して次世代に受け継ぐこと。
「世界で一人目のかるたのプロになりなさい」という祖母の言葉は、あとにこう続くのだ。「二人目以降の人間のために、あんたがまずなりなさい」(傍点原文)
もう一つ、詩暢を変えたのが、一人で新幹線に乗って東日本のクイーン挑戦者決定戦(ちはやとユーミンとの勝負)を見に行こうとした時のことである。詩暢は一人で知らない土地に行ったことがなく、終始ガタガタと震えている。だがそんな詩暢に話しかけてくれた、しっかり者そうな二人のお姉さんが席に切符を忘れていったのを発見し連絡したことで、自分が彼女たちを助けることができたことが詩暢に自信を与える。「しっかり者の女の人でも、助けが必要なことがある」と分かり、「他人に頼る」ことができるようになるのだ。詩暢はいつも人の顔色をうかがっておどおどしているように見える母親への反動か、自立してしっかり者の女性(祖母もその一人)に憧れている。
「一人」より不安定かもしれないが、「誰かと共にある」強さというものがある。
ちはやは現クイーンである詩暢を目標とし、彼女を超えようと志し、スノー丸のどら焼きを持って訪ねていったりして、何度も詩暢に話しかける。ちはやは詩暢を一人にしておきたくないのだ。そして復帰したかるた会での人とのかかわりもあって、詩暢もようやく「他人」に目を向けられるようになっていく。
「プロ」になる、というのはそういうことでもある。競技かるたは優勝しても賞金が出るわけではない。だとすれば、かるたの「プロ」はどんなに強くても一人ではなれない。「プロ」になるとは、常にスポンサー(ここで想定されているのは、着物の日高屋さんと、スノー丸の版元)や、配信の視聴者、あるいは手伝ってくれるスタッフのことも意識しながら行動することなのだ。
詩暢と千早がいよいよクイーン戦で対決するという直前、かなちゃんが言う。百人一首には、紫式部も清少納言も入っている。「私よく思うんです。紫式部と清少納言はどう思ってるんだろう―――? って。活躍した時代が同じで、物語の天才と随筆の名手でよく並べられて、ライバルみたいに言われて―――」
いかに紫式部が清少納言を嫌っても、「あらゆる分野において」「強い敵は強い味方です」。この言葉が、詩暢とちはやのクイーン戦の場面に重なる。【図5】

【図5】末次由紀『ちはやふる』42巻(講談社)164-165頁
かなちゃんは続ける。「一人だけがどんなにがんばってても、強くても、場が盛り上がってなければそのジャンルは衰退します。必要なんです。ライバルが」(傍点原文)
◆頂の景色
クイーン戦が始まると、試合はやはり若宮詩暢の一人舞台となる。たとえ、裏で詩暢のかるた会の同朋がなんとかして試合の配信の視聴者数を伸ばそうと苦闘していても、いくら挑戦者の千早が、<私が詩暢ちゃんを一番理解する者になる>と、詩暢に見えている1枚1枚に小さな神様がいる札の世界を理解しようとしていたとしても。
しかし、詩暢の世界を理解して、それゆえに「札同士が嫌がる」と詩暢が感じる札の配置や送り札をしてくる千早の闘い方は、詩暢をいらだたせる。千早はクイーンにとって、「その世界を共有して取る初めての相手」なのだ。
札たちも詩暢に語りかける。「初めてやないの。ここに来てくれた人。」
それでも、クイーンは圧倒的で、ちはやには歯がたたない。
続けて2敗するちはや。それまでのクイーン戦なら、ここで敗退が決定である。しかしこの、若宮×綾瀬のクイーン戦から、クイーン戦も男性の名人戦と同じ5回戦となった。じつはクイーン戦も名人戦と同じ5回戦に、というのは、驚異の12連勝をした渡会永世クイーンをはじめとする歴代クイーンの悲願であった。
競技かるたはクイーン戦(女性)と名人戦(男性)以外は男女混合で、高校生大会はあるが、あとはA・B・C・Dの4つの階級で、それぞれ年何回かの地方大会が開かれ、各階級の大会で優勝すれば上の階級に進むことができる。個々の大会では、1日に何試合もして勝負が決し、女性が優勝することも数多い。なのに、なぜか男女別のクイーン戦だけは、女性は体力でおとるからと、3回戦に止め置かれてきたのだ。
驚異の12連勝を成し遂げた渡会永世クイーンなど、クイーン戦を2勝で勝って、最初の2戦が不戦敗でも、続けて名人戦で3回勝てばクイーン位と名人位を両方獲得できるのではないかと考えたこともあったらしい。そうした時期を経て、今回のクイーン戦から、初の5回戦が取り入れられたのだ(現実のクイーン戦でも、2019年から、それまでの3回戦が5回戦に変わった)。
<名人位・クイーン位 決定戦前夜祭>の挨拶で、挑戦者たるちはやは言う。
「小さいころから、かるた会でも部活でも、男子と同じ土俵で戦ってきました。団体戦も個人戦も男女差のない競技かるたに育てられました。この五番勝負でどうか、私と若宮クイーンの、鍛えてきた気力と体力を見てください」
しかし命を削るような勝負の5回戦は、千早にとっても詩暢にとっても体力ギリギリの闘いとなる。
天下分け目。2連敗しての3戦目。ちはやは頭を、個人戦から団体戦に切り替える。5人での団体戦。たとえ先に2人が負けても、あとを繋いで最後まであきらめない。「するぞ、3勝!」「エースの番だ。わたしが繋ぐよ」たとえ僅差でも、繋ぐ。
「若宮詩暢に出会った日から、自分で見つけた大きな夢。1日も心から消さない炎」「詩暢ちゃんに勝つことだけを目標にしてきたの」
「届きたくて届きたくて、手に入れた一枚一枚への強さ」それは、「全部、全部、私以外の人がくれた」。
一つの勝利の裏側には、それまでに積み重ねてきた思いと練習と経験と、そしてたくさんの人たちの有形無形の貢献がある。そして目標とするライバルの姿がある。
しかし頂から見える光景は、荒涼として孤独だ。若宮詩暢はずっとその荒野に独りで立ち続けてきた。そこから詩暢を救いたい、私は詩暢ちゃんを一人にしない、と決意しつつも、その光景はときに千早をもひるませる。あるいは、詩暢と新が歩いていくその光景の後に、自分一人が置いて行かれるような思いにさせる。
次にその荒野に立つのは誰なのか。あるいは詩暢とちはやは二人してその荒野に立つことができるのか。
詩暢はちはやに言う。「未来のためって言うんやったら、女子が文句のつけようのあらへん強さで5試合戦い切るのが一番や。そうやろう?」
この勝負には、詩暢が、ちはやが、これまで積み重ねてきたものすべてがかかっている。そして、名人戦と同じくクイーン戦も5試合で、と言い続けてきた歴代のクイーンたちのこれまでの努力もかかっている。
新しい世代での新しい闘い。だからこそ渡会永世クイーンと、出産前は4連勝した猪熊遥・元クイーンが、クイーン位への新たな挑戦者たる千早の練習相手となり、「ダイヤモンドを削り合うように」教えてくれたのだ。渡会永世クイーンもまた、5番勝負を最初に戦う者になりたかった。若き現クイーン・若宮詩暢に挑戦する者になりたかった。だからこそ、自ら若宮詩暢のかるたを分析し、研究してきたのだ。
若宮×綾瀬のクイーン戦は、いよいよ運命の5戦目に突入する。
このときの大盤係はかなちゃんである。受験生なのに、親友の大一番に近江神宮まで駆けつけてくれたのだ。
5戦目の途中で詩暢は千早に、ずっと借りていたスノー丸の激レア品を切って作った襷を返す。詩暢が今している襷は、母が「この襷、おばあちゃんから」と言って渡したもの。詩暢はそれを母が作ったものだと知りつつ受け取る。それぞれを応援する人たちからの襷を身につけて対峙するふたり。借りていた襷を渡しながら詩暢は言う。「おおきに。千早」
どこまでも一人だった詩暢が、他者を、対戦相手を、はっきりと意識し、受け入れた瞬間である。
ちはやは思う。「示そう。私たちの鍛えてきた気力と体力を」
「示そう。二人で。一人より友達と一緒に頑張ったほうが強くなるって」【図6】

【図6】末次由紀『ちはやふる』49巻(講談社)84-85頁
人と一緒なら、「自分ひとりでは越えられない壁」も超えることができる。
さて、勝負の行方は――?
◆継いでいく者~世代を超えたシスターフッド
この前に、地味だが大事な場面がある。競技かるたは文化部ではあるが、スポーツでもある。瞬発力が重要で、ものすごく体力も使う。ちはやは、体力バカでもあり、成績は下から1桁でも、体育だけは抜群に成績がいい。中学の時は陸上もやっていた。だから4戦目で詩暢の足が攣ったことに気づき、休憩時間に詩暢の控室に水のペットボトルを持って訪れる。足が攣るのは水分とマグネシウムの不足が原因だからだ。
そして「耳が聞こえすぎる」ちはや自身も、極度の緊張で、試合が終わった休憩時間、いっせいに戻ってきた周囲のすべての音に攻撃されるような状態となる(競技かるたは音の聞き取りの勝負なので、試合中は極力、音が遮断されている)。
そのときに救ってくれたのが、瑞沢高校かるた部顧問の宮内先生である。年配で、生徒たちからは「女帝」と呼ばれ、理系で体育会系で、テニス部顧問も兼ねている宮内先生。しかし体育会系だからこそ、ちはやの状態に対し、的確な処置をする。まず仰向けに横たわるちはやの胸に冷たい水のペットボトルを置き、冷却湿布を小さく切って、千早のこめかみと首の動脈に貼るように指示する。体というのは緊張したりストレスを受けている間は脳の血管が収縮するが、逆に解放されると急に拡張されて頭痛が起こることが多い。そういうときは冷やすと落ち着く。宮内先生は言う。「大丈夫よ、綾瀬さん。あなたも若宮さんも大丈夫」【図7】

【図7】末次由紀『ちはやふる』48巻(講談社)30-31頁
同好会から始まって全国優勝するまでになったかるた部の顧問を3年間続けながら、「脳が拒否する」と、ついに百人一首を覚えることがなかった宮内先生。けれど部員たちに、最初の襷を作ってくれたのも宮内先生だ。けっしてミシンなど得意ではないはずなのに。
『ちはやふる』にはこうした、「世代を超えたシスターフッド」がそこここに息づいている。
たとえば、クイーン戦で若宮詩暢に挑戦者として最初の黒星をつけた猪熊遥6段。彼女には2人の子供がおり、出産前は4連覇したクイーンだった。
産休明けに復帰した彼女は、3人目をお腹に宿しながらも思う。「示したい。クイーンだったころより、なお強く、全盛期はこれからだって」【図8】

【図8】末次由紀『ちはやふる』19巻(講談社)35-36頁
それは、あとに続く女性たちのためでもあるだろう。彼女は思う。自分の両親もかるた選手で、週末はどこよりも練習場に遊びに行った。4度もクイーン位を獲って、子供も二人いてかわいくて、もう充分と言えるけど、「『親には私と同じくらい大事なものがある』って感じることが私を自由にした」「子供が大きくなるからこそ、私はかるたで輝くの」。
それはまさに女性たちみんなへのメッセージでもある。
しかし、子供を抱えて授乳しながらのクイーン位挑戦は楽な道ではない。お手洗いで張ってくる乳を搾り、母乳を捨てながら彼女は思う。「34歳の私が勝つにはどうしたら?」
クイーン戦の直前、乳をほしがって泣く子供に、今はあげられないの…とあやす彼女に、呉服屋であるかなちゃんのお母さんはいう。「あげたらいいのに、おっぱい」「なんのために着物の身八つ口が開いていると思ってるの?」(身八つ口とは、着物の脇の上の方にある切れ目のこと)
子を持つ母どうしの、これもまごうことなきシスターフッドである。遥は幼い子供たちに言う。「待ってて。お母さん、女王になりに行ってくる」
私は証明したい。「3人子供がいても女王になれるって」
猪熊遥によるクイーン位奪還はこの時はかなわなかったが、遥のお腹に3人目の子がいると知った山城今日子永世クイーンは、彼女をねぎらってこう言う。「私くらいの歳になると、若い人の立ち止まりは種を埋めてるようなものだと思えるのよ」「私から見たらあなたも「若い人」よ。戻ってくるのよ」
そして人は、「負けたら変われる。もっと強くなれる」のである。
かつて猪熊遥とずっとクイーン位を争って準クイーンに甘んじざるを得なかったのが、いまは強豪・富士崎高校のかるた部顧問になっている桜沢先生である。彼女は思う。「同年代のライバルががんばってくれたら、私もまだやれると思う」
彼女は自身も技を磨きながら、若い世代の育成に力を尽くしている。「若い子をキッチリ挫折させる―――そういう気持ちもありね」(傍点原文)
そして猪熊遥は生まれた3人目の子供に、桜沢先生と同じ名前を付けるのだ――「翠」と。「桜沢さんみたいな強くてきれいな子になるわ」。そして「翠」は、ちはやの瑞沢高校かるた部の後輩・田丸の名でもある。彼女の親も桜沢先生のかるたが好きで、娘にその名をつけたのだ。
受け継がれていくもの、受け継いでいくもの。
『ちはやふる』にはその他にもたくさんのシスターフッドがある。選手のお母さん同士のつながりもあるし、たとえば、山城今日子読手と、夫の介護のために半ば引退していた九頭竜葉子読手との友情物語もある。
あるいは、物語の終盤近くで、「スノー丸」と「ダディベア」のキャラクター親会社の販促担当の2人が、クイーン戦を見に近江神宮までやってきて、最初は張り合っていたのにしだいに仲良くなり、ついにはコラボも始めるという展開もほほえましい。これももう一つのライバルとシスターフッドだろう。
しかし、『ちはやふる』を特徴づけるのは、同世代同士のライバルとシスターフッドだけではなく、世代を超えたシスターフッド、道を次の世代へとつなげようとするシスターフッドが描かれている点だろう。千早の最終目標も、「来年も再来年も続いていく、強い瑞沢高校かるた部」をつくることにある。
「男女の別なく、体格の別なく、年齢の別なく、知性と体力の別なく」老若男女が同じ土俵で勝負できる。しかも「歌が読まれた瞬間に千年まえとつながる。そんな競技いくつもない」
それこそが「競技かるた」の特質でもある。年代だけではなく、性別も超える。
『ハチミツとクローバー』に続いて本稿を書きながら、またしても思った。『ちはやふる』にはそれこそ、ちはやが選ぶのは新か太一か、という王道の恋愛関係が描かれてもいるのに、一方で、女性との関係と男性との関係の間にあまり差がなくなってきているのではないか。かつては女性の世界と男性の世界とがはっきりと分かれていたのに、今では両者が混じり合って混然一体となってきている気がする。
『ちはやふる』を連載を読んでいて、私がもっとも印象的だった場面は、ちはやと太一が対戦する場面である。2人を見ながら、メイク命で恋愛脳の菫ちゃんは思う。「綾瀬先輩が真島先輩を見てる……。見てる。見てるんだ。恋じゃなくても。愛じゃなくても」
この瞬間に何かが乗り越えられた、と感じた。
たとえ恋愛感情が絡む男女の間であったとしても、最も貴い瞬間は、2人が愛し合う瞬間ではなく、むしろお互いの魂が対等なものとして対峙しあうその瞬間ではないのか。
ジェンダーの配置が変わる時、ライバルとシスターフッドの関係もまた変わる。
それをふまえて、次回、よしながふみ『大奥』。最終回である。