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第18回

家事と大人

[ 更新 ] 2022.11.30
 つい見てしまう。ゴミ屋敷お片付け動画を。文字通り、膝とか胸の高さまで(時には頭の上まで)ギッチリとゴミが堆積してしまったおうちを専門業者の人がものすごい勢いで片付け・清掃していく動画がYouTubeにたくさんあって、なんか、ぼーっと見てしまうのだ。不幸にも部屋の住人が亡くなられてご遺族が清掃を依頼したというパターンもあれば、自分じゃどうにもできなくなったので住人自身が依頼してくるパターンもある。ほとんどのゴミ屋敷はトイレ含むバスルームまでみっちり物が詰まっていることが多いので、住んでるにしてもどうやって生活しているのだろうと不思議なのだけれど、最後には魔法のように全てのゴミが片付いていくのにカタルシスを感じてしまう。
 下世話な好奇心でそういう動画を見ているのは否めない。しかし同時に、「まったく他人事ではない」と思いながら見ている自分もいる。私は片付けができない。下手とかでなく、ほんとにできないのだ。前に住んでいた1Kのアパートは本当にゴミ屋敷一歩手前まで行って、最終的にそのラインを越える直前に引っ越しが決まり、廃品回収業者さんに部屋の中のものほとんど持ってってもらうという力技で「片付け」をした。今は新しい部屋に移って2年ほどになるが、すでに家事代行のスタッフさんを4回くらい頼んでいる。掃除と片付けをしてもらうために。別に大邸宅とかではない。普通の1~2人用の賃貸部屋である。広くなったこともあり以前よりはだいぶましな生活をしているが、気を抜くとまた大変なことになりそうで、掃除・片付けに関してはほんとうに自分が信用できないので、毎日小さなストレスを溜めている。
 一応、ゴミ袋を2袋以上ためないという最低ラインの誓いを立てていて、これはなんとか守れている。しかし洗濯物は最近ちゃんと畳んでないし、掃除機のかけかたは適当である。風呂とトイレは比較的きれいにしてるかな。洗濯は普通にしてる。水回りの掃除はなぜかあまり苦にならないのが不思議だ。

 片付けができないことは、私の大きなコンプレックスのひとつになっている。やりゃいいだろやりゃ、と自分でも思うんだけど、いざ片付けをしようと思うと急に「落ち込み」としか言いようのない感情が襲ってきて動けなくなってしまうのだ。仕方ないので芋焼酎のストレートかテキーラのショットを何杯かって、ごまかしごまかし掃除をしている。あまり健康的なやり方ではない。
 人生の半分近く一人暮らしをしていて、まだ家事との付き合い方、家事の正解が導き出せないでいる。最低限(ほんとに最低限)取り回してはいると思うけど、常に生活全体が雑だしルーティンも決まってない。家事って本当に大仕事だと思う。一家庭につき一個の事業なり会社なりを立ち上げるくらいの処理能力と体力が必要だと感じる。あとおおむねマルチタスクを要求される作業が多い、家事は。
 私はマルチタスク的作業がまったくできないタイプではないのだが、タスクの優先順位をつけること、タスクの処理方法を最適化してルーティン化すること、それを定期的に同じように繰り返すこと、がとても苦手である。特に最後の「繰り返す」、つまり習慣化というやつが何につけても苦手で、カタギの勤め人が続かなかったのも、この毎日のルーティンをこなす習慣化生活にまったく適応できなかったからという理由が大きい。
 大好きな小説であるミヒャエル・エンデの『モモ』に、モモの友達の掃除人ベッポという人物が出てくるのだが、彼は途方もなく広い場所を掃除するのに「ひとあしすすんではひと呼吸いきし、ひと呼吸ついては、ほうきでひとはき」という方法でこなしている。常に目の前と次の一歩のことだけ考えて作業を進めていくやり方で、マルチタスクの対局なんだけど、もう掃除に関してはこれでいくしかないと思って採用している。つまり、とりあえず自分の一番近くの床に落ちているものに触る。それを捨てるなり置き場所に戻す。整理する順番とか部屋全体の大局のことは考えない。とにかくひとつひとつ、そのゴミなり物なりのことだけ考えて片付ける。たとえ紙くず一個拾っただけでも、気力が途切れたら即そこで止める。児戯にも劣るおかたづけ力だが、こういうやり方じゃないとしんどすぎるのでしょうがないのだ。
 かように掃除・片付けが大の苦手なわたくしですが、家事の中でも炊事は好きで比較的まめにやっている。これは食い意地がとてもはっている、自分の好きな味付けで好きなもんを好きなだけ食いたいという強い欲望がベースにあるからやれているのだと思う。床のゴミひとつ拾うのは難儀に感じるが、10種のスパイスを乾煎りして轢いてオリジナルガラムマサラを調合したり、牛すじを丁寧に茹でこぼしたのち2時間煮込んだりするのはまったく苦ではない。アンバランス。
 ただ、いうても独りの生活なので、全部自分の采配で回せるというのは最も気が楽なポイントだ。どんだけ手を抜いても困るのはほぼ自分だけなので、やったこと(やらなかったこと)の結果は全部自分でケツが持てる。これが、どういう関係であれ他者と暮らしていたらとたんに複雑度が跳ね上がるのが、家事のこわいところだと思う。
 今のところ私がしてきた他人との生活は家族と暮らす、県人寮の二人部屋で暮らす、若干ガラの悪いシェアハウスで暮らすという3パターンだが、どれも多かれ少なかれストレスが溜まり、「無理……」となって脱出してしまった。同棲というやつにも興味と憧れがなくはないが、「やれんのか?」という不安が先に立ち、今まで一回もしてみたことがない。まずきちんとした生活ができていて、またそういう状態が好きな人にとって私は家で飼ってるでかい害獣みたいな存在になってしまうだろうし、同じレベルの家事苦手パーソンと暮らしたら今度こそストレート・トゥ・ゴミ屋敷になりそうで怖い。食品の管理だって一人暮らしと二人(以上)暮らしじゃ難易度がぜんぜん違う。構成員に小さい子供や老人、怪我や病気をしている人が含まれたらその複雑さは倍率ドンだ。「生活」のあれこれって、愛とか思想とか友情だけでは乗り越えられない物事がたくさんある。それをすり合わせて共同生活を営んでいる人というのは、年齢を問わずめちゃんこ大人度が高いなと思う。
 家事は生きていくことの基盤で、これをどう解決するか(自分でやるか、他人に頼むか、お金やテクノロジーでなんとかするか等)に貴賤はないけど、家事労働を軽く見たり下に見ることはあっちゃならねえと思う。私たちの細胞一個一個までもが、ぜんぶ家事の上に成り立っているのだ。そのうえで、やっぱり、できるだけラクして生活したい。早く全自動掃除洗濯片付け確定申告機能つきロボットが開発されないかな。世界の大富豪もロケット飛ばしたりTwitter買収するよりそっちにフォーカスしてほしい。(以下次回)
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