最終回
後悔と大人
[ 更新 ] 2023.01.16
42年間ぶん、後悔することはもちろん売るほどある。時を経てもはやどうでもよくなったものもあれば、思い出すたびに新鮮に胃が痛くなるようなものもある。自分の選択の誤りだったとはっきり分かるものもあれば、自分にはどうしようもできなかったものもある。
いつまでも生傷のように痛み続けるものは、やっぱり自分のせいだと分かっているものだ。あのときもう少しちゃんと考えていたら、もうちょっと早く行動していたら、言葉をひとつ変えていたら。何かを違えていたら結果が確実に変わっていたと分かっているものほど、深く後悔する。でも当然、いくら悔やんでももうどうしようもない。何をどうしても時間だけは巻き戻せない。分かっているのに、ときどき無駄に思い出しては悶絶するのを繰り返す。
余談だけど、そういう思い出すのも辛い後悔がふいに頭の中に浮かび上がってきてしまったときって、とっさに「おまじない」のようなことをしてしまいませんか。魔除けというか、その思い出した後悔のことを頭から追いやるために。私はほぼ無意識に「痛っ」と声に出して言ってしまう。こんなことするの自分だけかなと思ってたけど、前に飲みの席で「恥ずかしい過去を急に思い出してしまったときは即座に自分で自分の腕にしっぺをする」というエピソードを披露していた人がいて、似たような人がいる……とちょっと嬉しくなった。
フィクションの世界で、タイムマシンものやタイムリープものが手を替え品を替えいつの時代も生み出され続けているのは、人は誰しも一つや二つは人生に後悔を抱えていて、それを「なんとかしたい(したかった)」という気持ちを持っているからだと思う。過去に戻ってやり直したい、というのは、たぶん普遍的な欲望なのだ。一回もそういうことを考えたことがない、という人はほぼいないと思う。
でもそういう「過去に戻ってやり直す」系の物語って、たとえハッピーエンドでも、たいていちょっとほろ苦かったり教訓めいたオチがついていたりと「やっぱり過去をやり直すなんてできないし、できたとしてもしちゃいけないんだよね」という後味で作られていることが多い。後悔をなくす、過去を変えるというのはあまりに強烈で甘い欲望だから、自制しないといけないという気持ちが働くのかもしれない。
時の流れは不可逆で、起こってしまったものはもう変えることも取りやめることもできないと分かっているはずなのに、どうして人間には「後悔」という機能が搭載されているんだろうか。めんどくさい。人間以外の動物は後悔なんかしないで生きているのではないだろうか。
と、思っていたけど、ナショナルジオグラフィックTVを見ながら、かつて我々も経験してきた「進化」というやつも後悔ベースで行われているものなのかもと考えた。自分の代では鳥に食われまくった虫の後悔が擬態に進化し、水辺で苦労した生き物が何世代も後悔して後悔して陸に上がれるよう進化していく。となると人間も後悔に後悔を重ねることでちょっとずつ進化してるんだろうか? 何某かに。
後悔しまくって進化を続けた人間ってどうなるんだろう。ものすごく賢くなったりものすごく強くなったりするだろうか? いろいろなパターンを想像してみたけれど、もし後悔の気持ちが進化に繋がるのなら、いずれ人類は滅亡するんじゃないかなと思っている。何も克服せずに、何も発展させずに、どんどん脆弱に儚くなって消えていくんじゃないかと思う。何億年か後の人類(だったもの)は、糸くずみたいに大気中をさまよい、産まれて3日で死んでいくみたいな生き物になっているかもしれない。後悔をする暇もない生き物として、心の痛みや辛さを感じる隙間もなく消えていく種になっているんじゃないだろうか。それくらい、人生には後悔が多いし、中には一人で抱えきれないようなつらいものもあるから。
生き物が、特に人類というややこしい種が「発展」のみを願って生きているとは私にはとうてい思えなくて、かなりの数の人間が「消えてなくなりたい」と思いながら生きているように感じる。これは鬱病人間の目で世界を見ているからそう思うだけなのかもしれないけど……。いずれにせよ強く、便利に、賢くという方面でない「進化」もあると個人的には嬉しいし楽しい。働かないで寝てたら生きていける生き物に進化したい。それもひとつの人類の壮大な夢ではないか。
ちょうどこの原稿を書いているのが年明けすぐの時期なので、あちこちで「新年の抱負」を目にする。「悔いのない一年にしたいですね」みたいな言葉がよく出てくる。そりゃ後悔するようなことはなければないほどいいけど、そんなの無理だ。今年の年末も、誰もが一年を振り返り大なり小なり悔やみ、酒を飲んでなかったことにするか、暗い気持ちのまま正月を迎える。それを死ぬまで繰り返す。絶対にだ。後悔は避けて通れない。避けられるんなら全員避けてる。どんなお金持ちもどんな賢い人も、生きている限り後悔からは逃れられない。
後悔をゼロにすることができないからには、「後悔している自分の面倒をどう見るか」を考えておくほうが建設的だなと思う。どうせ今年も何かの理由で泣くほど悔いたり落ち込んだりするんだろうから、そうなったときの対処法を考えておくほうが、避けられない後悔におびえるよりマシな気がする。とりあえず少し前から、私は酒に頼ることはやめようと思っている。同じくらい身体に悪いかもしれないけど、今年は何かに後悔したらフライドポテトのバカ食いをしようと思っている。フライドポテトが大好きなので。そう決めておくと、普段の生活でふっとフライドポテトが食べたくなっても「これは“後悔”用にとっておかないと……」という気持ちが働き「無駄フライドポテト」を減らすことができるのだ。
後悔があればあるほど、振り返ると人生ってほんと選択の連続&積み重ねだなと思うけど、その選ぶ局面にいるときは、それが選択肢だと気づかないことも多い。それがおっかないけど、でもしょうがないんだよな。ゲーム画面みたいに選択肢が全部表示されていたら、途中でセーブできたらいいけど、そうはならない(だから人はゲームをするのか?)。断言するが、生きてるかぎりあなたも私もこの先ずっと恥と後悔にまみれた一生を過ごす。つらい。でもしょうがない。しょうがないんだよ。しょうがねえな~としぶい顔をしながら、一緒に一年を乗り越えていきましょう。これからも。
※続きは書籍『40歳だけど大人になりたい』でお楽しみください。