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第12回

協調性と大人

[ 更新 ] 2022.07.20
「協調性がありません」を通信簿にえんえんと書かれ続けた人生だった。小学校は半分以上、中学校も相当欠席しまくった元・登校拒否児だったので、まあ、むべなるかな~という感じですが、学校から離れて幾星霜、あの「協調性」って評価軸は一体なんだったのかとふと思う。

 物心ついたころから、「みんなといっしょ」がやりたくてもできないタイプの子供で、それが辛くてそのうち「みんなといっしょになんかなってやるもんか」という成長を果たした。それが良かったのか悪かったのかは、今も正直分からない。今でこそこんなん(零細ニッチ個人事業主)だけど、子供のころの私は本当に、みんなと同じになりたかった。切実に。

 なりたくても、ほんとーになれなかった。頑張って話に加わろうとしても失敗し、積極的に友達を作ろうとしても失敗し、大人しくしてたらハブられ、面白い子にも優等生にも強い子にもなれなくて、どんなに考えても観察しても周りの人間と自分の何が違って自分の何がいけないのかが分からない。常識、価値観、使う言葉、服装、見ているもの聴いているもの全部がみんなんちとうちんちは違っていて、チートスキルゼロの異世界転生状態だった。両親は「他人と一緒なんてつまんないぜ」というタイプのカップルだったため、「みんなと同じになりたい」という子供時代の私の苦悩はおそらく理解されなかったろうし、そのうち思春期を迎え自分のセクシュアリティに自覚が出始め、いよいよどんなに頑張っても「みんなと違う」から逃れられないことが判明し、悩みは深まった。

 高校生ぐらいになるとやや肚が据わって「違う」方面を突き詰める覚悟が出来たが、今思うと本当に痛々しくて恥ずかしいことばかりしていた(コギャル全盛期だったため逆張りしてくるぶしまでスカートを長くして通学したりしていた)。そうなると今度は「みんなと違う」ことにアイデンティティを求めだし、どんどん行動も言動も格好もトンチキになっていって、ますます浮き上がり、自分が本当に何をしたいのかも分からなくなっていく。担任の先生との二者面談の際、思い詰めた表情で「このままでは、あなたは社会から『他人と違う人』と思われてしまいますよ」と言われたときは、思わず笑ってしまった。ずっと言われてます。もうずーっとです。

 結局小中高の12年間「なじまないやつ」扱いのまま学齢期を終えて地元を出たが、新天地でもやっぱりぜんぜん、他人となじめなかった。これはショックだった。というのも10代の私は自分が周囲からハブられるのを「ここが東京じゃないから」と思うことで己を慰撫していたからだ。生まれ故郷(3ヶ月も居なかったが)である東京に戻れば、今度こそスムーズに社会の一員になれると思っていた。その目論見は外れに外れまくり、上京して4年、私はうつ病をひっさげて華々しく地元に舞い戻った。気分は完全に『真夜中のカーボーイ』だ。観たことない人は観てください。人生で一番泣いた映画です。

 それからいろいろあって(抗うつ剤と睡眠導入剤と焼酎の濫用でこのへんは記憶が曖昧なの)もう一度家出同然に上京し今に至るわけですが、30歳を過ぎたあたりで、ようやく自分に「みんなと違う」部分と「みんなと同じ」部分があることを認め、それを受け止められるようになった。あと職歴もないアラサーが孤立無援貯金ゼロで一から生活を始めないといけなくなったので、お前はいらんと言われてもむりくりにでも社会に自分をねじこまないと食っていけなくなり、付け焼き刃でもなんでもいいから周りに合わせる必要ができたのも大きい。

 学校で評価される協調性とは、はみ出るな反抗するな周囲に合わせろというやつだと思うのだが、本来の意味の協調性は、そういう同調圧力から遠い場所にあるものなんじゃないかと、そういう生活の中で思うようになった。いろんな職種を転々としたのち独立して今の仕事を始め、昔は頭から拒否していた協調性というものについて改めて考えたくなった。

 小説家は個人事業主だけど、この世の全ての仕事と同じように、一人で完結できる仕事ではない。書いて終わりではなく、編集者を筆頭にいろんな人と話し合ったり契約を結んだり交渉したりしてやっと、作ったものがお金になる。最近は電子個人出版のプラットフォームも増えてきて完全に個人でクリエイターをやることも可能にはなってきたけれど、私はマーケティングから営業から流通まで全部自分でやる自信がないので、スタンダードな商業出版ルートに乗って仕事するのが向いていると思っている。で、ここでは当然協調性というものがある程度必要になってくる。
 これが新人賞を一気に三冠くらいゲットしてデビューしたとか文学賞を次々とゲットしたような天才作家なら、多少コミュニケーションが不得手でも仕事は舞い込むし周囲がサポートしてくれると思うが、問題はヒットも出さなければ賞も取ってない、しかしなんとかギリギリ食ってける程度の売上は見込める弱小クリエイターだ。このタイプはとにかく喋るなりメールをするなりのコミュニケーションができないとやっていけない。ちなみに両方かなり苦手だ。苦手だけど、天才じゃないからやらないと食っていけない。やっていくうちに慣れていく。ちょっとは上手にもなっていく。私はあいかわらずみんなと違ってみんなと同じだが、いろんな人と協力して生活を回すことができるようになっている。

 究極の協調性って、自分が孤独な一個人であることを強く認識するところから生まれるんじゃないだろうか。

 孤独であるのを知ること、孤独を怖がらないこと、どんな集団に属しどんなに親しい人とぴったりくっついて生活していたとしても、人間はみな独りであると理解すること。自分と他人は決して同一にならないこと。他と自己を同一視するのではなく、他人はどこまでも他人で、絶対に混ざらないし交われないと認識したうえで、なんとかその他者と話し合いすり合わせてやっていく。この「やっていく」の部分が協調性なんだ。誰かと同じになる必要も、無理に浮き上がる必要もない。これが今の私が考える社会性、協調性というやつです。レッツ・孤独!(以下次回)
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